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つい数年前までは救急隊員として働いていたというベンジャミン・ギルモア氏の監督デビュー作品。当初の脚本を出演者とロケ地の住民と一緒にすべて書き直した結果生まれたこの作品、出演者はすべてアマチュア、台詞にもアドリブが含まれる
− と聞けば、素人臭い映画なのかと思われるかもしれませんが、実際は911後のパキスタンに住むパシュトゥーン族の父子や親戚、近所の関係、世代の違い、パシュトゥーン族の政治・世界観を見事に描きだした、ディープな作品となっています。
アフガニスタンとの国境に近い、パキスタン北東部に広がる複雑で荒涼とした山岳地帯。そこに、銃器の製造を主なビジネスとするパシュトゥーン族の村ダラがあります。銃を買いに訪れる男たちが空に向けて試し撃ちをするパンパンパンという音が常に空にこだましているようなこの村では、住民は銃器と共に暮らし、11歳の少年ニアズの父親シャー・アラムも銃器作りで生計を立てています。かつてはムジャハディーンとして戦ったことを誇りに思うシャー・アラムは、息子を自分の後継者として育てることに疑いも持たず、ニアズに学校に行きたいと直訴されても、実兄にニアズを学校にやったらどうだと諭されても、耳を貸そうとしません。近所の大柄な少年にいじめられたシャイなニアズは、「パシュトゥーン族の行動規範には
"復讐" がある。やられたらやり返せ!」と父親に言われますが、ますます自分と父親の違いの深さを感じて落ち込むばかり。奥地に住む祖父を訪ねる時に乗せてもらったトラックの荷台で音楽を聴いた時、友達で詩人のアガ・ジャーンを訪ねた時には、周りがパッと明るくなるような笑顔を見せるものの、大きな町ぺシャワーに住む従妹アヌーシャからの手紙をアガ・ジャーンに読んでもらい、自分が字を読めないことにまた表情をくもらせます。ある日、歯医者に行くために叔父を訪ねたニアズは学校に行ってみますが、そのおかげで「学校に行きたい」「学校に行って勉強したい」という思いがますます募り・・・。
この作品のロケ地はパキスタン北東部に実在する村ダラ・アダム・ケル。武器の製造で知られているこの村に住むパシュトゥーン族の男たちがティーハウスや床屋などでしゃべるシーンはすべてアドリブのためとても自然で、まるでドキュメンタリーのよう。僻地と言えるような場所で暮らす一般市民からも反米の発言が出ることに、アメリカが外国で一般市民に大してしでかしてきたさまざまな問題行動の深い影響を感じます。アメリカに、またはアメリカにバックアップされたアフガニスタンにいつ攻撃を受けるかわからない不安定な状況の国にも、親がいて、子供がいて、それぞれの人間的な成長や世代間の違いによる葛藤があり、子供は自分の夢を持ち、そして親も人間として成長しながら子供の夢をサポートすることを学んでいくという人間の営みがあります。「学校に行くというシンプルなことを実現するのが大変な国よりも、教育制度が確立して誰でも学校に行けるアメリカや日本の方が進んでいる」と思うのは簡単ですが、その進んでいるはずの国で、誰もが学校に行きたいと思う環境が実現できていないのはなぜなのでしょう。そんな学校のあり方さえも考えさせられるこの作品は、私にとっては今年上半期の一押しです。(た)
【製作国】 オーストラリア、パキスタン
【監督】 ベンジャミン・ギルモア(オーストラリア)
【出演】 Niaz Khan Shinwari、Sher alam Miskeen Ustad Baktiyar、Baktiyar
Ahmed Afridi Agha、Agha Jaan Anousha Baktiyar、Fazal Bibi Pite
写真©Fortissimo film
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