11月18日に、今年で6回目となるシアトル日系人会主催のチャリティ・コンサート「ミュージカル・ブリッジ・コンサート」が開催される。スペシャルゲストとして登場するのは、2010年に 『トイレの神様』 を大ヒットさせた植村花菜さん。現在は家族と共にニューヨークに住み、育児をしながら音楽活動を行う植村さんに、渡米を決意した経緯やニューヨークでの暮らし、今後の目標などについて伺った。
– 2016年末、家族でニューヨークに移住されました。渡米を決意されるまでの、植村さんとアメリカとのかかわりを教えてください。
2011年に、テレビ番組のお仕事でテネシー州ナッシュビルに1週間ほど滞在しました。小さいころ、祖母とよくカントリーソングの『テネシーワルツ』を聴いていたので、その曲のルーツをたどろうという企画でした。私にとって、この時が初めてのアメリカです。
現地に着いてすぐ、地元のライブハウスで自分の曲を披露しました。スタッフの方がお客さんに反応を聞いてくれたのですが、歌やメロディは好評だったものの、「日本語だから何を言っているのかわからない。英語で歌えばいいのに」という声が多かったんです。そのことに、すごく驚きました。
もともと、洋楽は好きでよく聞いていました。でも、歌詞の日本語訳を見てみると、あまり大したことを言っているようには思えなかったんですね。だから、アメリカの音楽は言葉よりもメロディやリズムが重要なのだろうと思っていました。ところが、実際には言葉が大事だった。
現地のコーディネーターさんにこの話をしたところ、「花菜さん、英語には英語にしかない表現があるんですよ」と言われて、目から鱗が落ちる思いでした。自分はなんて浅はかだったんだろうと。そのときから急に、英語という言葉や、アメリカの文化に興味を持つようになりました。
– その後の2012年には、約1か月半かけて、一人でアメリカを横断する旅をされています。
テネシーを訪れたときは仕事だったので、スタッフの方が何もかも準備してくれていました。何不自由ない旅でもあれほどの刺激があったのだから、一人で旅したらどんなにすごい体験ができるんだろうとワクワクして、日本に帰国したときから「来年は絶対に一人でアメリカを旅するぞ」と決めていました。それに、2010年に 『トイレの神様』 がヒットしてから働きづめで、インプットがほとんどできていない状態だったんです。ずっとインプットしないままでは、いつか曲が書けなくなるのではないかという危機感もありました。
ロサンゼルスから入って、セドナやグランドキャニオン、サンフランシスコなどを回った後、ニューオリンズに3週間ほど滞在しました。ジャズフェスティバルに行くことが一番の目的だったので、期間中は毎日通って楽しみました。
旅の間は各地でストリートライブをしましたが、そのときも、歌ったのは日本語の曲です。英語ができませんでしたし、日本でJポップを歌っている植村花菜というアーティストに対して、アメリカ人がどんな反応をするのか見たかったところもあります。そうしたら、やっぱり「英語で歌えばいいのに」という反応が多くて。
でも、旅の最後に訪れたニューヨークでは、そういうふうに言う人が誰もいなかったんですね。むしろ、「歌詞はわからないけど面白いね」とポジティブに受け止めてくれる人がたくさんいました。ニューヨークって、いろんな人種の人がいて、いろんな文化があるから、違うものでも受け止める姿勢があるんだなと感じました。それで、「よし、ニューヨークに住もう」と決めたんです。
当時、ニューヨークに住んでいた夫(ジャズドラマーの清水勇博さん)と出会ったのも、この時です。すぐに意気投合して、翌年に結婚。2015年に長男が生まれたときは日本にいたのですが、親子で渡米するかどうか、ほんの少し迷いました。でも、息子が生まれたからといって、やりたいことを諦める理由はどこにもないなと思って。ちょうどメジャーデビュー10周年を日本で迎えられたこともあって、それをひと区切りに、家族でニューヨークに引っ越しました。
– 子育てをしてみて、ご自分の中で変わったことはありますか?
息子には、自分の懐をすごく広くしてもらっているなと感じます。日々「自分のエゴやイライラを子どもにぶつけてはいけない」と心がけていますが、やっぱり、思いどおりにならないこともあります。そんなときは一瞬、立ち止まって、「私、どうしてイライラしようとしてるんだろう?」と考えるようにしています。例えば、息子が食事中に食べ物を床に放り投げたら、もちろん行儀が悪いということもあるのですが、結局は「汚れた床を掃除したり、シミの付いた服を洗濯したりするのが面倒くさい」というのがイライラの原因なんですよね。でも、「それって掃除すれば済むことじゃない?」「洗濯すれば済むことじゃない?」と思えば、イライラする必要なんてなくなる。だんだん、何が起きてもオッケーになってきて、どんどん心が広くなっている気がします。
もちろん、人間だから、疲れていたり、気持ちに余裕がなかったりして、感情的になってしまうこともあります。そんなときは、すぐに「ごめんね」と謝るようにしています。そうすると、息子も「いいよ」と許してくれます。息子はいろんなことを理解して、納得してくれるので、すごくやりやすいです。私のほうも息子を必要以上に子ども扱いしたことはなくて、0歳のときから、一つ一つ言葉で説明するようにしています。
– ニューヨークの子育て環境はいかがですか?
皆さん、すごく親切にしてくれます。例えば、息子と一緒に電車やバスに乗ると、満員でも必ず誰かが席を譲ってくれます。日本の都市部と比べてエレベーターやエスカレーターなどの設備が整っていないことが多いので、ストローラーを抱えて階段を上るのはちょっと大変ですが、そんなときも、通りすがりの人に手伝ってもらえることが多いです。街を歩いていると、見ず知らずの人がまるで知り合いのようにニコッと微笑んでくれたり、フレンドリーに話しかけてくれたりするのも、アメリカならでは。その瞬間にその場所で居合わせた人と他愛もない話ができるのは、とても素敵なことだなと感じます。
ニューヨークには本当にいろいろな人種の方が住んでいるので、ちょっと公園に行くだけで、ほかの国の子どもや、その親たちと友だちになれます。息子も、この半年でアメリカ、ロシア、フランス、日本などルーツの異なる友だちができました。親同士は英語で話しても、子どもに話すときはたいてい母国語なので、いろいろな国の言葉が聞けて面白いです。
トイレ事情は、日本の都市部の方がずっといいですね。ニューヨークでは、一部の駅にしかトイレがないし、お店のトイレはお客でないと借りることができません。そろそろ息子のトイレトレーニングを始めようと思っていますが、外出時はどうしようかと、若干の不安を抱えています(笑)。
– ニューヨークでは、どんなふうに音楽活動をされているのでしょうか。
昼間は息子の相手をしなければならないので、息子が寝た後に曲作りをしています。息子がもっと小さかったころは、作詞も作曲も、授乳中にスマホを使ってしていたんですよ。授乳中はすることがなくて暇ですし、一日に何度も授乳するので、結構まとまった時間になるんですよね。
8月までは毎月1回、地元のバーやライブハウスで歌っていました。日本のライブではスタッフの方がすべて手配してくれますが、こちらでは機材を持っていったり、マイクをセッティングしたりするところから全部自分で行います。お客さんとの距離も近くて、終演後に写真を撮ったり、おしゃべりをしたり。今までとはまったく違う環境で、新鮮ですね。現地に住む日本人の方も大勢聴きにきてくださるので、とてもうれしいです。
これからは、日本の方に加えて、現地の方にも私の歌を聴いてもらう機会を増やしていきたいと思っています。誰も私のことを知らない、地元のミュージシャンがたくさん出演するようなライブハウスに、ポンと出てみたいなと。もともと英語に対する苦手意識が強くて、そういうところで歌うのは英語がうまくなってからにしようと思っていたのですが、それではいつになるかわかりません。英語力はあまり進歩してないけれど、もっと街へ出ていこうという気持ちが強くなってきました。
その準備をするために、これまでやってきたライブのペースを少し落として、もう少し自分の時間を作ろうと思っています。英語の勉強にも本腰を入れたいので。今はライブの途中、英語の MC はカンペを見ながら話しているので、何も見なくても話せるようになることが目標です。
– 11月には、シアトルで行われる「ミュージカル・ブリッジ・コンサート」に出演されます。ライブに向けての抱負を聞かせてください。
シアトルは行ったことがないので、とても楽しみです。歌いたい曲はいろいろあって、今はあれこれセットリストを考えているところです。
シアトルでがんばっている方も、日本を恋しく思ったり、日本に帰りたいと思ったりすることはあると思うので、そんなときに心に響く曲、共感してもらえる曲を歌いたいですね。
– 今後の目標を教えてください。
アメリカに来た一番の理由は、もっともっといろいろな文化を知りたいと思ったからです。世の中にはCDになっていない音楽もたくさんあるので、たくさんの音楽をこの耳で直接、聴きたいですね。やっぱり、生で聴く以上のものはないと思っています。
そして、一人でも多くの人と話して、いろいろな国の文化や音楽、環境、考え方を知りたいです。ニューヨークでは、アメリカ人だけでなくいろいろな国の人と接する機会があるので、今まで知らなかったことをたくさん学んでいます。どんなことでも、正解は一つではなくて、いろいろな答えがある。日本でずっと育ってきた私は、アメリカを旅するまでそのことを知りませんでした。だから今は、とにかく「学びたい」。最低でも10年はニューヨークに住みたいし、ここを出発点にして、グローバルな活動ができるようになりたいです。視野を広げ、いろいろなことを吸収して、それを持ち帰って日本の皆さんに伝えることが目標です。
植村花菜 略歴:1983年、兵庫県生まれ。シンガーソングライター。8歳のときにミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見て感動し、歌手を志す。2002年より独学でアコースティックギターを始めるとともに作詞・作曲に目覚め、精力的に路上ライブを行う。同年「服部良一記念大阪音楽祭 ザ・ストリートミュージシャン・グランプリ」でグランプリを獲得し、『大切な人』でメジャーデビュー。2010年、祖母との思い出を歌った『トイレの神様』が大ヒット。結婚、出産を経て、2016年末よりニューヨーク在住。現在2歳半の長男を育てながら、ライブ活動や曲作りも行っている。
取材・文:いしもと あやこ 写真提供:植村花菜