MENU

「シアトルには漢字をひもとく景色がある」 宇佐美志都さん(書家・文字文化文筆家、宇佐美本店社長)

  • URLをコピーしました!
宇佐美志都さん
もくじ

書との縁

子供の頃に母を通じて書と出会う。自分にとって無理のない表現方法となった。

私と書の縁を作ってくれたのは、母でした。ずっと書をしていた母は、自分の子供である私と妹に教えたいという思いから、近所の子供を集めて書を教えるようになり、その輪が広がっていきました。書写と書の基本を学び、後に年齢や書の教育段階に応じて、他の先生の師事も仰ぐ必要があるという母の方針で、高校生の頃から他の先生にもついていました。

今思えば、成長段階によって自分と書の距離と関わり方はその時々で違ったように思います。私と書の間に空気が漂っていた時期もありました。子供ですから、ピアノや水泳などのお稽古事もやり、そちらの方が濃くなった時期もあったということですが、それは自分の人格形成や、総合的な視点で言えばよかったのかなと振り返っています。母も書だけやっていてもだめだと考える人だったので、強制的な時期は一度もありませんでした。成長に応じて、いい意味で子供の興味はうつろっていくものですし、何かの影響を受けるのも当たり前だと私も思っています。

他のお稽古事よりも、書がつながってきたのは、やはり血や遺伝子といったものが原因かもしれませんが、自分の生活に染み付いていて、自分に無理のない表現方法として一体化したものが書であったからと思います。加えて、自宅の手の届く所に、筆墨硯紙(ひつぼくけんし)が置いてあったことは大きいと思います。そう考えると、やはり家庭の環境づくりというものは、やはり一生にわたり、すごく影響してくるものなのですよね。昨年、こちらで出産して親となり、家庭環境の試行錯誤が始まっています。子供の素地づくりには、環境というものが大きく起因していますものね。

書を学び、つづること

宇佐美志都さん

「街角で気になる文字があったら、立ち止まって、手の平に書いてみなさい」という母の一言で、今も書をつづる。

高校卒業後、福岡教育大学の特設書道科に入学しました。文科省の教えに則った、高校教員養成の、日本では4つしかない国立の書道科は、狭き門でした。そこでは多岐にわたる書の規範となるべきことを学び、卒業後1年間は県立高校と私立の不登校の子供達の学校で書を教えました。いまだに生徒とも交流があるほど、やりがいのある仕事でした。でも、私が高校生の頃から入退院を繰り返していた母の看病もあり、辞めることになりました。

定時の勤めが難しい点も辞職する要因でしたが、もう一つの理由は、「街角で気になる文字があったら、立ち止まって、手の平に書いてみなさい」という母の教えを思った時、「世の中にはさまざまな表現があふれている。そこには基礎的な整正美(せいせいび)以外の創造的な世界がある。つまり、喜怒哀楽の感情を込めた表現などが世の中にあふれている。そこを追及するために、教壇から離れてみよう」という気持ちになったということです。つまり、やはり芸術の道を選ぼうと決めたのです。

それから、自宅のある福岡を拠点としながら、京都・東京をまわって書の勉強や仕事をし、母の看病をしました。今思えば、がむしゃらな20代でした。

家業と書の両立

宇佐美志都さん

明治29年創業の宇佐美本店は味噌醸造業に始まり、現在は和調味料(醤油・ポン酢など)を販売している。

日本においても、アメリカにおいても、事業継承について考えなければならないご家庭もあるかと思います。私の場合は、家業に関しては、自分が犠牲者であるかのように継ぐことはしたくないという考えで継ぎました。最初は「継ぐこと」が命(さだめ)ではありましたが、自発的に舵を取ることを主軸として始めたことが、自分のその後のライフステージに応じて無理なく続けられてきた理由だと思います。

まずとりかかったことは、旧来は業務用のみの展開だった商品を小売でも商品展開し、百貨店や専門店で150ミリリットルの醤油商品を取り扱っていただくことでした。私がその商品開発を始めた15年前頃は、そういう容量のものは売られていなかったのです。商品のラベルデザインには書を施したり、東京で飛び込み営業をしたりと、今思えば、本当によくやったなと思います。

書と家業。その二つを自分の両輪としながらも、バランスを柔軟にとりながらきたことも、持続した理由かもしれません。そして、人様とのご縁により、多くの貴重なるお導きをいただいてきたことは、胸にしっかりと抱き続け、感謝して参りたいと思っています。

アメリカで育つ子供たち

宇佐美志都さん

親御さんが願っているのは、入口を用意してあげること。

もうすぐシアトルに来て丸2年になりますが、こちらに来てすぐ妊娠・出産をしたので、こちらでの生活は、ほぼ妊婦生活と産後の育児生活を第一に過ごしてきました。その間も、日本からご依頼いただく書の仕事はお受けすることができたのも、この時代の成せる技ですね。また、これまでの活動の大きな柱のひとつでもあった「文字の成り立ち」に関する講演活動も、我が子が一歳の誕生日を迎える頃、そろそろ再開したいと思うようになりました。日本では、声高にグローバル社会と叫ばれる昨今、日常的にさまざまな文化に接することができる海外在住の日本人子女は必ず、日本に貢献できるはずです。私の講演活動が、海外子女らにとって、日本を含む東アジア文化や、漢字や日本語へのいざないの一助になれれば幸いに思ったからです。

アメリカで子育てをされる親御さんが抱えておられる事の多くは、英語への順応もさることながら、日本語教育のことも大きいと感じています。その課題は、実際に住み、子育てをしている親御さん独特のものだと考えます。そして、教育にはふたつとして同じ悩みはないと思います。どんな環境においても課題はつきものかと思いますが、それを克服する力が、子供達にも、親御さん達にもあると信じてやみません。

海外子女の日本語習得のための専門書の大半は、「幼少期は母語の形成期であるため、なるべく日本語のみにしたほうがいい」とありますし、私もそういう教育方針を持っています。他国のお母さん方を見ていると、そうでもない場合も多いですが、多言語同時習得に向いている言語とそうでない言語があります。漢字言語体系の日本語は特殊であることを常に心得ておかないと、日本語を母語としての言語醸成は、なかなか困難なのでしょう。

宇佐美志都さん

しかし、一方では、英語との接点をやみくもに閉ざしてしまっていいのかと悩んでいます。閉ざすといっても、閉ざすには限度がありますが、幼少期は特に、英語話者からの話しかけも多いですし、その時に笑顔が生まれる工夫をしてあげるのも親の務めに思います。乳児・幼児を経て、児童・生徒になれば、日本語とその周辺の課題はさらに広がっていくでしょうから、年齢による課題は永遠に続くのですが。

話を書の話にしますと、書というのは自分の呼吸、影絵、内面の鏡のようでもあります。そこではまず、生み落とした作品と対峙しなくてはならず、現実を突きつけられるわけです。例えば、私が大根とすれば、風呂吹き大根を作ったつもりが、大根おろしが目の前に現れている場合もあるわけで、それを冷静に受け止めなくてはなりません。そして、その現実をどうするかという問答が、自分の中だけで始まるわけです。

結局、自分が生み出したものであっても、自分とは別個体として関係していかなくてはいけないということです。それは親と子もそうではないか、と最近気づきました。自分から産み出したものですが、一つの個体として尊重していかないといけない。産み落とした時から始まっていく、子供の道があるわけですから。

物として、形として、残すべきものもある

宇佐美志都さん

シアトルは漢字をなぞる景色がある、漢字をひもとく景色のある街。

娘が生まれる直前、まっさらな和紙の巻物に、彼女に付ける名前の説明を書きました。まだ見ぬ相手に対する文(ふみ)ですよね。まだ見ぬあなたへという恋文のようでもありました。したためておいてよかった、と思いつつも、その文を書いてから、生まれるまで4日かかりましたが(笑)。

森羅万象の神に対する祈りから漢字の多くは生まれましたが、もともと書くという行為の興りは、誰かに伝えたいとか残したいというところから始まっています。特に日本では文(ふみ)が文字文化の発展につながり、伝えたい想いを歌にのせれば和歌が生まれ、それに音が付けば弦楽、それに舞がついて奉納の能になったりしてきました。言葉に、音が付き、舞が付けば、一層覚えやすい故に、後世に伝わりやすいという点が儀式にはあるのです。

例えば、書き残された譜面があるから、私たちは今でもモーツァルトやベートーヴェンの音楽を追体験できるわけですよね。そんなふうに、私たちの生活環境の中には、書だけではなく、書き残されたからこそ、私たちを潤してくれるものが、たくさんあることにも気づいてほしいです。歌や譜面となった想いを、現代になぞることができる感動を知ってほしいですね。

「文字の成り立ち」を教える時、漢字の背景に自然が映し出されていることを伝えます。子供が習う基本的な字は、わりあい象形文字を起源としているものが多いですね。例えば、木は、天を仰ぐ枝があり、幹があり、土の方へ向かっても枝が生えている。シアトルは、そういうふうに、漢字をなぞる景色のある街、漢字をひもとく景色のある街だと思います。家庭の中の教育環境が大切と申し上げましたが、素晴らしい屋外の環境もここにはあります。ここは幸いにも自然環境豊かなので、日本を含む東アジアの文化を、アメリカに居ながらも探ることができるということです。

自然あふれるシアトルにて、漢字の成り立ちについてお話しする際は、自然から生まれた漢字をご紹介したいです。「川」「湖」「水」など、水をとってもみてもいろいろありますね。また、「山」は、下に地べたがついてるから山であって、下をあげ、火の粉を二つ飛ばせば「火」ですね。

漢字をなぞる景色があり、漢字をひもとく景色がある街、シアトル。皆さんの日々に、そういった視点をご紹介させていただける日に恵まれますよう。

うさみ・しづ/北九州市小倉生まれ。母の導きで3歳ごろから書をつづりはじめる。福岡教育大学特設書道科卒業。京都の認定NPO法人文字文化研究所で漢字学の第一人者で、文化勲章受章者の故・白川静氏に師事。2003年に当時最年少の文字文化認定講師に就任。企業や団体で「文字の成り立ち」をテーマにした講演を多数行っている。

宇佐美志都公式サイト
宇佐美本店株式会社

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ