筆者プロフィール:松原 博(まつばら・ひろし)
GM STUDIO INC.主宰。東京理科大学理工学部建築科、カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築大学院卒。清水建設設計本部、リチャード・マイヤー設計事務所、ジンマー・ガンスル・フラスカ設計事務所を経て、2000年8月から GM STUDIO INC. の共同経営者として活動を開始。主なサービスは、住宅の新・改築及び商業空間の設計、インテリア・デザイン。2000年4月の 『ぶらぼおな人』 もご覧ください。
レイク・ユニオンの北端にガス・ワークス・パークと呼ばれる、約19エーカーの広大な市営公園がある。レイク・ユニオンに岬のように張り出した公園からは、西端はフリーモント・ブリッジ、南側はスペースニードル、東端はユニバーシティ・ブリッジまで見渡せる風光明媚なロケーションと、芝生で覆われたオープン・スペースの中に廃墟のように点在する産業革命時代の遺物のような巨大な機械類が、他にはないこの公園の魅力だ。
ランドスケープ・アーキテクト、リチャード・ハーグ氏のマスタープランにもとづき1975年にオープンしたこの公園は、実はシアトル・ガスライト会社が合成ガス工場として半世紀近く操業した跡地を再利用したものである。
シアトル市では19世紀半ばに入植が始まってから人口が急速に増え続け、それに伴い家庭へのエネルギーの供給が常に大きな課題となった。
そのような経済的な必要性からシアトル・ガスライト会社はこの工場から1906年から1956年まで、石炭及び石油から合成したガスを地下に埋設したガス管を通してシアトル市内の住宅地に供給していた。この工場が隣接するレイク・ユニオンは、公園や住宅開発が主だったワシントン湖とは対象的に、ダウンタウンに比較的近いこと、またピュージット湾と運河で繋がっているという理由で、19世紀末から20世紀初頭にはむしろ工業地帯として開発が進んでいた。その当時のレイク・ユニオンの湖畔には周辺の木々を切りだして始まった製材所や造船所、皮なめし工場、鉄工所や発電所、またボーイング社の本社屋などがところ狭し並んでいたため(写真1)、工業排水汚染なども既に問題化していたらしい。
公園北側にある駐車場からアプローチを歩いて公園に入ってまず驚くのは、そのビスタだろう(写真2)。爽快なオープン・スペースから見るレイク・ユニオンにはヨットや水上飛行機が点在し、その奥にダウンタウンの高層建築郡が見え、レイク・ワシントンやピュージット湾では見られない都市型景観の醍醐味がある。
入口に一番近いのが、Play Barn と呼ばれる大きくオープンな屋根構造の下に赤や黒などの色とりどりに塗られた圧縮機や空気ポンプなどの精製工場機材群だ(写真3)。併設されたピクニック用のバーベキューを利用する人々はこの巨大なレゴブロックのような機材に自由に上ったり、座ったりすることができる。これらの機材はよく見るとどれも時代を感じさせるレトロチックなディテールを持つものが多く、その色彩のせいかそこでガスを精製していたとはとても想像できない。
また、そこから南西側を見ると、細長く背の高い油吸収及び低温化塔の奥に映画のシーンのように廃墟と化した6本の人口天然ガス製造塔、その西側に Great Mound と呼ばれ記念撮影によく利用される大きな丘が見える(写真4)。この6本のガス製造塔は、遠くからはスケール感がなく、近づかないと大きさがわからないが、遠くから見るとまるで座礁した100年前の軍艦のようにも見える。今から60年前、この廃墟となった塔から3万6千世帯の家庭に向けて人口天然ガスを精製して供給していたのだ。
今はつたが絡まる静かなモニュメントとして多くの人々に楽しまれているが、工場稼動時にはガス合成の副産物として大量の公害物質が大気中と湖水底に放出されていたことも事実。1975年オープン前に公害物質を含んだ土砂やヘドロは安全規定に達する量だけ敷地から取り除かれているので安心して利用できるが、実際のところどの位の量の公害物質が地中に堆積されているのか詳しいことは公表されていない。
そういうことから考えると、この公園のおもしろさは単に景色が良いだけではなく、むしろ過去の暗い歴史を忘れさせない生き証人としての役割なのかもしれない。100年前のシアトル市民は街のど真ん中、それも景色豊かな湖畔にこのような公害汚染を出す工場を建設することに全く疑問を感じなかったようだ。それはちょうど今、ペンシルバニア州の美しい片田舎の町々でフラッキングによる天然ガスの抽出が行われている事実を、ほとんどのアメリカ人が気にしないことと似ているような気がする。
掲載:2013年2月