伝統的な寿司はもちろん、モダンな日本食も楽しめる 『西野』。日本食レストランと言えばまだまだヤキソバやテリヤキが定番だった1995年に、京都府出身の西野達也さんが開店しました。
アメリカでテーブルにホワイト・テーブルクロスを使っているのは「ワンランク上のレストラン」であることを示していますが、同店では開店当時からホワイト・テーブルクロスを使用し、シャツにネクタイをしたサーバーが笑顔でキビキビとプロフェッショナルなサービスをしてくれるのが印象的です。
高校卒業後に入学した大阪日本調理師学校から卒業すると同時に、日本料理店で勤務を開始した西野さん。5年後、「ロサンゼルスのサンタモニカで寿司屋を開店する人がいる」と調理師学校のつてから聞き、1985年に渡米しました。それから3年にわたりその店で調理を受け持ち、その後、「ノブ」こと松久信幸さんの経営するロサンゼルスの有名店 『Matsuhisa(松久)』で約5年にわたり料理の経験を積みました。その経験が、「今の 『西野』 で出している料理の基礎になっている」と西野さんは振り返ります。
シアトルに引っ越して来たのは1993年。アメリカ各地を旅行した時、シアトルの印象が良かったというのその理由です。
1年半にわたりシアトル各地の日本食レストランで勤めましたが、10年にわたり住んだロサンゼルスと比べると、当時のシアトルはまだ定番の日本食が多いと気づきました。
「『松久』 の影響を受けた、よりモダンな日本食を出そう」
シアトルのマディソン・バレーに 『西野』 を開店したのは翌年の1995年でした。
今もその方針は変わっていません。5人の寿司職人による伝統的な寿司に加え、オリジナルのソースやローカルの材料にこだわった料理がたくさんの常連客を惹きつけています。シアトルならではのオイスターや甘エビ、サーモンやミル貝といった魚介類はもちろん、ワシントン州東部ヤキマ市のアスパラガスやワラワラ市のスイート・オニオン、そしてワシントン州西部に豊富な松茸などのきのこ類も欠かせません。定番ではない日本食を出す 『西野』 だからこそ、扱う食材も幅広く、洋食もとりいれた調味料に工夫を重ねています。
今でこそ開店と同時にお客が入る人気店としての地位を確立している 『西野』 ですが、「開店当初はかなり批判を受けた」と、西野さん。特に1995年頃は消費者やレストラン批評家がモダンな日本食に慣れていなかったため、「高い」「分量が少ない」という批判に加え、「ビバリー・ヒルズではこれでいいかもしれないが、ここはシアトルだ」と厳しい意見もあったそうです。そうした意見を参考にして微調整を行いながら、西野さんのスタイルが受け入れられていきました。
「旅行したり、さまざまなレストランで食事したりして、舌の肥えている方々が多くなっている。また、フード・ネットワークなどのテレビ番組やインターネットなどのメディアも大きく貢献していると思う」
『西野』 ではお客さんを飽きさせないように工夫することが課題だと語る西野さん。
「そして、初心を忘れず、きっちり仕事をしていくことが大事。レストランは食べ物だけでなく、サービスなどすべてを含めて満足してもらえるようにしなければなりませんから」