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斎藤 万寿美さん (MITHUN インテリアデザイナー)

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エリオット・ベイを見渡すウォーターフロントを拠点とし、アメリカはもちろん、アジアでも環境に優しい建築を目指すミスーン。インテリア・デザイナーとして、リテールからオフィス、コミュニティ・センターなど、さまざまなプロジェクトを手がける斎藤万寿美さんにお話を伺いました。
※この記事は2001年3月に掲載されたものです。

斎藤 万寿美 (さいとう・ますみ)

1964年 東京に生まれる。

1976年 本格的に絵を習い始める。

1987年 HITACH海外営業部に入社。

1989年 渡米。シアトルへ。

1992年 コミュニティ・カレッジを卒業。 Cornish College of Artsに入学。

1996年5月 卒業。

1996年9月 シアトルの建築会社NBBJに入社。

1996年末 シアトルの建築会社MITHUNに入社。現在に至る。

現在のお仕事について

ステキなオフィスですね!

ここには昨年末頃に移転してきたばかりです。以前のオフィスとは違って、ここでは廃材を積極的に再利用し、『環境に優しいミスーン』 のポリシーを体現しています。例えば、通常の建築では土台か基礎にしかならない物を床として使用し、カーペットも98%リサイクルの繊維を選ぶなど、資源の無駄遣いを避けるようにしています。デザインを工夫していますので、見た目にはわかりません。また、ここにはクーラーがありません。窓を開けると自然の風がうまく入るように設計されていますので、エネルギーを節約することができます。もちろん暖房はありますが(笑)。

ミスーンではどのような建築を行っているのですか?

オフィスやリテール、大学の寮、コンドミニアム、高齢者用住宅、低所得者用住宅、高層ビル、水族館など、さまざまなプロジェクトを手がけています。また、最近ではベインブリッジで “Puget Sound Environmental Learning Center” という子供達が芸術や環境について学ぶための施設をデザインしています。

渡米するまで

アメリカに来られたのは、デザインを勉強するためですか。

デザインとの出会いはアメリカに来てからでした。でも、小さい頃から絵を描くのが好きで、寝る時は蒲団の横にクレヨンと紙を置き、朝起きたら無心に何かを描いていたそうです。幼稚園の頃だったと思いますが、母親が「ここに何でも描きなさい」と、家の中の白壁を1つ提供してくれたのです。それからは画用紙ではなく、壁に向かって描くようになりました。

本格的に絵を描き始めたのはそれからですか。

いえいえ。まず、弟と2人でいやいやながらピアノを習わされることになりました。でも、弟は、「嫌だ」と思うと吐いてしまう性質だったので、それをかわいそうに思った母親は、私にだけピアノを続けさせたのです。好きになれないものですから、2年間かけてバイエルを2冊というほど進歩が遅く、子供ながらにストレスもたまり、ついに昔から好きだった絵をやるということで、ピアノは勘弁してもらいました。そして、中学1年の時に油絵を始め、高校卒業後は2浪して美大の油絵科へ。卒業後は HITACHI の海外営業部に入社しました。

そこでアメリカへ行くことを決意されたわけですね。

海外営業部というのが良かったですね。上司や同僚は海外経験がある方ばかりで、「自分も海外に行って勉強したい」と思うようになりました。そして、上司に打ち明けたところ、「それはいいことだ」と言われ、さらに、「自分が住んでいたシアトルはとてもいいところ」と、シアトルをすすめられたのです。「そこに息子も娘も住んでいるから、もしシアトルに行くならいろいろと力になれるよ」とも。それなら1年ぐらい英語を勉強しようと会社を辞め、シアトルの英語学校へやってきたのです。

留学から就職まで

初めての留学は、どんな感じでしたか?

最初は「1年で英語をマスター!」と考えていたのですが、終わってみると、日常会話や授業などはこなせても、実際に仕事をするなんてレベルには程遠い。そこで、コミュニティ・カレッジを卒業した後、「どうせならこちらの美大へ行って、もっと勉強しよう」と、キャピトルヒルのコーニッシュ・カレッジ・オブ・ザ・アーツ(Cornish College of the Arts)へ入学を申請。日本で取得した単位が認められ、無事 “Fine Arts” (美術)専攻の4年生に編入することができました。

そこで転機が訪れたわけですね。

1学期が終わった時点で、画家として食べていくのは至難の業だと気づいたのです。「将来は何が起こるかわからないのだから、食べていけるように手に職をつけなさい」と両親に言われ続けてきたこともあり、「それなら」と、インテリア・デザインをやってみようと思い立ちました。これならアートにも関係があるため、これまでやって来たことが無駄にならないのでは、と考えたのです。始めてみると、美術とインテリア・デザインはほとんど同じことで、自分にとてもあっているということがわかりました。特に変わったことと言えば、2次元が3次元になったことと、制限がない中でクリエイティブになる美術から、人間が関わってくるために、ある程度の制限の中でクリエイティブになるインテリア・デザインになったことぐらいでした。そこで、「インテリア・デザインの仕事をし、美術は趣味でやろう」と決めたのです。

どのような勉強をされたのですか。

コースの中で印象に残っているのは、”Material and Resource” というクラス。今では “Green Conscious” と呼ばれて認識されている環境保全や省エネですが、その頃は環境に優しい製品や省エネのデザインなどは、まだまだ新しいことでした。また、プロの建築家が先生となり、コントラクト・ドキュメントと呼ばれるCDセットを1冊描くというクラスもありました。このクラスはインテリア・デザインの学校では珍しいものですが、就職してすぐに仕事をこなすには、図面が読めて描けるということが重要です。学校全体としては、クラスは少人数制ですし、総合美術大学ということで、ドラマや音楽、ダンスなどのクラスも揃っているという点が、私にはとても合っていました。クラスメートと良い競争相手になれたことも良かったですね。でも、美術とは違う専攻だったので、また2年生からやり直しとなりました。卒業まで4年かかりましたが、本当に大変な学生生活でした。週末も返上し、インターンシップをする時間もなく、疲れ果てたまま卒業。それから3ヶ月間は、何もせずにボンヤリとしていました(笑)。

就職は比較的スムーズだったとか。

友達から「就職はタイミングよ」と言われ、シアトルにある NBBJ とミス-ンの建築会社2社で面接。「最初に返事が来た方を選ぼう」と思っていたので、まずNBBJから合格を知らせる電話がかかってきたとき、2つ返事でOKを出しました。でもその10分後、ミス-ンからも合格の電話が。「あらー、すみません、たった今、別の会社から電話がかかってきて、OKを出してしまいました」という私に、ミス-ンの人事部の人は「会社というものは、働いてみないとわからないよ。だから、これからもミス-ンと “Keep in touch” してください」。それが良かったですね。4ヵ月後、NBBJ になじめなかった私は、結局ミス-ンに入社することになったのですから。ここにはカジュアルで、とてもフレンドリー、そして、ファミリーを大切にする人達が揃っています。チームワークも責任感も十分。毎日の仕事でも、プレゼンテーションでも、ストレスがたまりません。私にはピッタリな職場と言えますね。

インテリア・デザイナーとして

それからは、REI などさまざまな大物を手がけておられるそうですね。

REI 本社キャンパス・オフィス、REI 東京、ミネソタ州ブルーミントンにある REI 第2のフラッグシップ・ストアなど、REIのプロジェクトをたくさんこなしています。また、サン・ヘルスケア・システム、セント・ジョセフの体育館、ワシントン大学の寮・コミュニティ・センター・デイケアなども、プロジェクトとしてはとても楽しかったですね。

インテリア・デザイナーとして働く上で、大切なこととはなんでしょうか。

学校を卒業すれば、たいていの人ならインテリア・デザイナーになることができます。でも、センスと、コミュニケーションのスキルが、成功するかどうかを決めると思います。センスというのは、ある程度までは学校や職場での訓練で養えますが、持って生まれた部分が大きいです。また、インテリア・デザイナーと一口に言ってもいろいろあります。家具やカーペットなどの素材を説明するだけの仕事にはセンスは必要ありませんが、フィニッシュまでとなると、色のセンスや3次元の感覚、そしてコンセプトが必要になります。また、仕事の面では、良いチームメイトに恵まれることが大事ですね。ここでは意地悪をする人がいないので、和気藹々と仕事をしています。また、良いお客さんに恵まれることも大事。この業界は「お客様は神様」の世界なので、好きなようにデザインしてもOKが出るような大御所なら別ですが、プロとしてのベストを尽くしながら、お客さんに気に入っていただくデザインにしなければなりません。ここでは、プレゼンテーションのスキルが必要になってきますね。そのスキルによって、自分のアイデアが売れるかどうかが決まります。

英語の面ではどうでしょうか。

英語の上手な言い回しを使いこなすことがポイントになると思います。英語が第2ヶ国語の日本人の中には、よく、「アメリカ人に対しては、ストレートに物を言ってもいい」と思っている人がいますが、それは大きな間違いです。はっきり言ってもいいですが、言い方があります。また、アメリカ人はディスカッションができると言いますが、これも、お互いがディスカッションのやり方を心得ている場合のみ成立するもの。やり方がわかっていないと、『言葉の暴力』 になってしまいます。「はっきり言ってやったんですよ」なんて言う人は、相手をひどく傷つけていたりすることも。これは学校ではなく、経験を通して学んでいくものですので、常に気をつけるようにしたいものです。

これからの抱負をお聞かせください。

今までの仕事でも少しやっているのですが、家具の設計をもっと手がけていきたいと思っています。油絵もまた始めたいですね。でも、プロとして、もっといい仕事をしていければ本望です。

【関連サイト】
MITHUN
Cornish College of the Arts

掲載:2001年3月

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