日本からの最初の移民が米国北西部に入植したのは1880年代のこと。それから約20年後の1902年にアメリカ本土で最初の日本語学校として設立されたシアトル日本語学校の建物は、2003年にワシントン州日本文化会館(JCCCW)として生まれ変わり、現在はシアトルの日本人と日系アメリカ人のコミュニティの活動拠点の一つとなっています。
今回、自宅待機命令が出されている間もオンラインでその成り立ちや日系コミュニティの歴史について知ることができるよう、バーチャルツアーが公開されました。
ワシントン州日本文化会館の西北日系博物館では、100年以上の歴史を持つ日本語学校の校舎を保存し、歴史的な品々を一般に観てもらえるよう、さまざまな展示を行っています。
このバーチャルツアーでは、シアトルの日系一世のリーダー的存在だった三原源治氏(1890-1982)に関する展示(2018)、ロジャー・シモムラによる絵画『Nikkei Story』(2006)、日本語学校及び会館の歴史を伝えるハントホテル展(2016)、Hosekibako(日本の物品再販店)(2012)、伊藤博文の書(1901)、武道館道場(1959)、金継ぎの庭(2014)が紹介されており、写真をクリックすると、さらに詳しい説明を見ることができます。
1907年に17歳で英語を学ぶためにシアトルに来た三原源治氏についての展示では、三原氏のようなシアトルの日系一世が日本町が栄えた時代から戦争、強制収容をどのように生き延びたかを伝えています。三原氏は戦後シアトルに戻り、生活と日系コミュニティの立て直しに尽力したほか、日米関係の友好化にも影響を与えた模範的な日系1世。戦後の日本から来た新一世と言われる日本出身の永住者も、日本に帰国する予定で短期滞在している日本人も、平等を求めて闘ってきた日系アメリカ人の歴史から多くのことが学べるはずです。
旧日本軍による真珠湾攻撃の翌年の1942年にルーズベルト大統領が日本人と日系アメリカ人の強制収容を命じるまで栄えていた「日本町」のあとをたどる無料ウォーキングマップについてはこちら。