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ワシントン州南東部の町「ワラワラ」(Walla Walla)

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ワシントン州南東部にある町、ワラワラ。英語のアルファベットで Walla Walla と書くこの名前は、ネイティブ・アメリカンの言葉で "Many Waters" という意味です。

ワラワラとは

Walla Walla

シアトルの南東275マイル(440キロ)、ワシントン州の南東部、コロンビア・リバーとスネイク・リバー流域の東端にある町、ワラワラ。どこまでも広がる大空の下、青く光る山々が連なり、ゆるやかな丘がうねる丘陵地帯。ネイティブ・アメリカンが "many waters" を意味する Walla Walla(ワラワラ)と呼び、大自然と共に生きてきた土地です。

19世紀に白人が入植して開発を始め、小麦とスイート・オニオンの栽培で急成長しましたが、最近ではワシントン州南東部の商業や教育の中心地となっています。

1970年代に始まったワイン産業は全米第2の生産量を誇りますが、このワラワラ地域はメジャーな生産地の一つで、2017年の時点で2,800エーカー(11平方キロ)の土地でブドウが栽培され、120軒のワイナリーがあります(2009年の時点では約70軒)。ワラワラ・コミュニティ・カレッジではブドウの栽培とワイナリーについて教えるプログラムもあり、ワイン造りが地域社会に密着していることがわかります。

ワラワラの歴史

もともとワラワラ族、ネズ・パース族、ウマティラ族、ケイユーズ族などのネイティブ・アメリカンが居住していたこの土地が大きな変化を迎えたのは、例にもれず白人の入植がきっかけでした。

1800年代に毛皮貿易が盛んになると、現在のワラワラにあたる場所に交易所が設置され、1805年にイリノイ州から太平洋を目指し西部を探検したルイス&クラーク探検隊が到着しました。探検隊はワラワラ族の協力を得てワラワラ・バレーを通過し、翌年には現在のワラワラ郡にあたるところを横断したことがわかっています。ルイス&クラーク探検隊はコロンビア・リバーの近くに住んでいたワラワラ族について、「探検中に出会った人々の中で最もあたたかく、正直で誠実な人々」と記しています。

「オレゴン・トレイル」を通ってやって来たマーカス・ウィットマンとナルシサ・ウィットマンが住み着いたのは1836年。ケイユーズ族にキリスト教の伝道を行いましたが、この土地にはなかった新しい病原菌による死者が続出したため、ウィットマン夫妻とその他12人がケイユーズ族に殺害されてしまいました。

1860年代になると、ゴールドラッシュの好景気が訪れ、商業・金融・製造業が発展し、ワシントン・テリトリー最大の町に。ノースウエストで最初の商業銀行が設置され、この地域で最初の大学が開校したのもこの時期です。ゴールド・ラッシュが終焉を迎えた後は農業が経済の中心となっています。

ワラワラでワイン造りが始まったのは1970年代。ゲリー・フィギンズが自宅の地下室でカベルネを初めて製造し、現在は伝統あるレオネッティ・セラーとして世界的に知られるワイナリーに育て上げました。ワラワラは全米第2の生産量を誇るワシントン州ワイン産業のメジャーな生産地の一つで、2017年の時点で2,800エーカー(11平方キロ)の土地でブドウが栽培され、120軒のワイナリーがあります(2009年の時点では約70軒)。また、一時はさびれていたワラワラの中心地のダウンタウンは、1984年から始まった建物のデザインや街の構造の変更によって再活性化し、ワイン、グルメ、アートを楽しめるデスティネーションとして知られています。

掲載:2009年10月 更新:2017年9月

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