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iLEAP x JUNGLECITY.COM 「私が25歳だったころ」<br />堀剛さん(Amazon.com ディベロップメント・マネジャー)

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堀剛

堀 剛(ほり・ごう)
1971年 東京に生まれる
1991年6月 サンフランシスコの英語学校入学
1991年12月 South Seattle Community College(SCCC)の英語学校編入
1992年9月 SSCC 入学
1994年1月 ワシントン大学で心理学専攻
1995年9月 コンピュータ・サイエンスの学位コース開始
1997年6月 WRQ で6ヶ月間のインターンシップ
1998年3月 心理学とコンピュータ・サイエンスで2つの学位取得、首席で卒業
1998年6月 Real Networks 入社
2012年3月 Isilon Systems や Livemochaを 経て Amazon Web Services 入社

やり直し

中学生の頃は不真面目で、学校の成績はあまりよくありませんでした。「今の成績で入れる高校を紹介してください」と先生にお願いして入ったけど、高校時代は辛い時期だったね。入学式の日(確かそうだったと思う)に先生に怒鳴られたんです。なぜ怒鳴られたか覚えてないし、よく怒鳴られてたからそのこと自体はたいしたことじゃなかったんだけど、何かが切れた感じ。毎日脱力感があって、本当に何もする気が起きませんでした。本当に突然だったと記憶しています。当然学校に行かなくなった。どうでもよかったから。両親は「剛が決めたことならそれでいい」という考えの人だったから、一日中寝て過ごすようなことも多かったです。その結果、高校1年は留年しました。

高校は出ておこうとなんとか4年間通ったけど、高校3年の成績は当然、赤点ぎりぎり。進路指導の先生からは就職を勧められていました。でも僕は「アメリカに行く」となんとなく決めていました。中学2年生の時からカナダとシアトルに住んでいた帰国子女の子と仲が良くて、アメリカに興味を持っていたし、環境が変わればなんとかなると安易に思っていました。アメリカンドリームっていうのは「やればできる」っていうことだからね。それで、アメリカ行ってやり直そうと思っていたんです(笑)。

堀剛

アメリカでの出会い

18歳で渡米して、最初に通った英語学校はパーティ校みたいな感じで(僕がそう思ってただけかもしれないけど)、遊んでばかりでした。だってアメリカだよ!でも1991年の秋に、「留学は2回目から!」と、車で走り出して、最終的にたどり着いたのがシアトル。そして、シアトル・セントラル・コミュニティ・カレッジの英語学校に入学申請している時、日本人の大学生に出会ったのです。僕は車生活でまだ住む所がなかったから、その人に「家に住ませてください」って頼んだら、すんなりOK。2週間ずっと車中泊で、身なりもきれいとはいえなかった僕をずっと居座らせてくれたんだから、出会いというのは面白いものです。でも本当に助けられたよ。

物知りな彼と話すようになって、知的なことに挑戦にするのが楽しくなりました。昔から雑学とかは好きだったから、少しずつ議論したり討論したりしていくうちに、「俺は何も知らない」ということを嫌なほど知らされました。でも、彼は「剛くんはやればできるから」と言ってくれて。素直にいろいろ話したり本読んだりすろと、やっぱりそれなりにできるようになるんだね。できるようになるとやっぱり嬉しくなるから、もうちょっとやろうって学びに前向きになれました。みんなから褒められたりすると結構調子に乗っちゃうタイプだから。でも知的なことが面白いと思ったことが、たぶん、スイッチが入るきっかけだったのかな。彼との出会いは大きいです。

1994年にワシントン大学の編入申請をしたら、不合格通知が届きました。他の学校に行くという選択もあったけど、シアトルにいたかった。そこで、大学に自分の思いを訴えました。「自分を入れないと、大学にとって大きな損失となる」という勢いで。そして、最終的に編入を許可されました。ワシントン大学での最初の1年半は心理学を専攻していました。25歳という年齢はちょうどコンピュータ・サイエンスのプログラム(CS)を始めた頃です。CSを始めた理由は単純に面白そうだったからというのと、僕もそこそこできそうだったから。それで勉強を熱心に続けて、27歳くらいのときに首席で卒業できました。

人生のすべては基本的に「運」

ひとつ僕が思うのは、自分の人生の中のすべてのことは基本的に「運」だということ。今でこそ家族がいて、子育てして、仕事して生活してるけど、全然違う方向に行ってたかもしれない。あの引きこもりのままだったらどうなってたかな、あのときあの人と会わなかったらどうなったかなと、たまに思います。ぼくが何かしたからここまで来たのではなくて、「いろいろラッキーなことが起きた」。基本的にはそういうふうに考えています。でも、何でもいいからやらなきゃ、運は回ってこないと思っています。

引きこもりがちだった高校生の頃は、先生が毎日「学校、来いよ」って、電話をかけてきてくれて、見守ってくれました。電話に出ないときには、迎えに来てくれることもありました。僕の人生における大事な出会いの一つです。だから今ふり返ると、あの高校の先生と出会えてよかった、あの彼と出会えてよかった、あそこで大学入れてラッキーだった、あそこであの人に会えてラッキーだった。すべてほとんどラッキーな出来事です。

だから基本的にはどうにかなる。それを本当にそう思えるかどうかだけど、僕は本当にラッキーだと思う。出会いってそうでしょ?一つ一つ自分の人生を考えてみて、僕が勝ち取ったものだとは思わない。自分もいろいろやったとは思うけど、そんな人なんていくらでもいるわけだから。そこにチャンスと運があって、良かったなと思います。そしてこれからもそんなふうに思い続けたい。楽しそうなことをしていきたい。落とし穴があっても(いろいろ落ちてます、実際(笑))、「あぁ、落とし穴があったのか。気づかなかったよ」という感じかな。成功するためには失敗を積み重ねていくしかないと思っているから。気の持ちようですね。

堀剛

"内向的" な僕のコミュニケーション方法

アメリカに来たころ、英語(言葉)もなんとかなると思っていました。うちの親父はあの時代には珍しく、英語で少し仕事をしていたんです。彼がよく言っていたのは、英語なんていうのは意思を伝えるツールであって、コミュニケーションする能力がなければ話せたってどうしようもないということ。パーティなんかでは、話せないなら相手にしゃべらせればいいんだと考えて、片っ端から質問ばかりしていましたね。どこから来たの、なんでここにいるのと質問してはリアクションでとりあえず時間をかせいでいました。そうやっていくと、だんだん何となくできてくるよね。あと、他の国から来ている留学生相手とたくさん話をしました。そうすればお互い英語下手だから、会話のスピードが遅くてもお互いあんまり気にならない。逆に「何て言うんだっけ?」みたいな感じで、「こうじゃない?」「「いや違う違う」とか。それがすごく楽しく勉強になりましたね。

もう一つ、「根拠のない自信」も大事だと思っています。自分が何か言ってわかってもらえなかったら相手のせいにするくらいの自信を持つこと。「僕の言っていることがなんでわからないの?」とそれくらいの勢いでいかないとね。でも基本的に”内向的”なので、人と接するのは疲れます(笑)。コミュニケーションも一つのスキルなので、普通にコミュニケーションはできますよ。でも特にアメリカでは外向的な人のほうが仕事をしやすいのは事実だと思う。コネクションがいっぱいあって、よく人と話をしている人は情報が多いからね。最終的に仕事にしても何にしても、人との繋がりやコミュニケーションが大事だから、僕もやらなきゃいけない最低限のネットワーキングはがんばっています。特に新しいことについて行こうという時期は、人とたくさん会わなきゃいけないので。そうしてがんばっている時期もあれば、やっぱり力がなくなってくると少し隠れて、友達から電話かかってきても出なくて「ごめん、ちょっと充電しなきゃいけない」って言うんだよね。でもみんなわかってくれています。

コミュニティでの自分のキャラの確立

「最初の3か月間は、たくさん質問してください」。会社に入ってきた人にもよく言うことなんだけど、ここで質問しなかったら後で恥ずかしくなるでしょ?逆に言えば、その期間にいかに片っ端から質問できるような環境を作っていけるかということなんです。そして、コミュニティの中での自分のキャラを確立しなきゃいけない。基本的には好奇心だけはいっぱいあるから、「質問」というのはすごく好きなんだけど、たぶん、ここらへんも僕が内向的だから考えることです。

友達との間でも、仕事でもそうだけど、片っ端から質問することです。そうしてどんどん人と話して、向こうも質問してくれるようになれば仲良くなりますね。そうするとすごく楽になる思います。そんな3ヶ月間の質問期間にちょっといい質問すると「こいついいこと聞くなぁ。できるやつなんじゃないの?」と勘違いしてくれたりして(笑)。そんなこともまた根拠のない自信に繋がっていくんだよね。逆に言えば、わからなくて当然だから、質問してこないと「本当にわかってるの?」と思う。それだと、できないラベル貼られちゃうしね。だからいかにいい質問をするか、それもスキルですね。スキルだからやっていくうちに上手くなります。

一回キャラの確立に失敗しちゃうと敗者復活は難しいから、これは大切です。だから今、伸び悩んでいる人は、環境を変えてキャラを再確立するといいかもね。僕はけっこうそんなのばっかりだったかも。自分の居場所を探さないとね。

これからの僕

仕事面で言えば、会社の外と中という概念はなくて、会社の中でも楽しいことがあったらやるし、他のところであればそっちでもやる。コンピュータ業界って特別そうだけど、話をしに行って「こんなことがあるけど一緒にやってみないか」とか、他の会社のリクルーターとも結構よく話す。そうして常にやりたいことやもっと面白いことを探しつつ、そんなに無茶はせずに楽しいことをやっていきます。

でも今はとりあえず子どもと一緒に時間を過ごしたい。もうすぐ8歳なんだけど、僕とめちゃくちゃ性格が似ていて(笑)。そして、家族と料理するとか、自転車に乗るとか、そんな小さな楽しみを少しずつがんばってやっていこうと思っています。それが今の僕の "top priority" ですね。

掲載:2015年4月



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