シアトル発のコーヒーチェーン、シアトルズベストコーヒー、スターバックス、タリーズは、日本では今も「シアトル系」として親しまれています。なぜなら、シアトルにはもう店舗がないシアトルズベストコーヒーやタリーズコーヒーも、日本では日本法人が店舗を展開しているからです。シアトルの昔を懐かしみたい方は、ぜひ日本の店舗に立ち寄ってみてください。そして、シアトルズベストコーヒーのファンは、ぜひシアトル近郊の島、ヴァション・アイランドへ!
シアトルズベストコーヒー
シアトルズベストコーヒーは、1969年にシアトルの北西に位置するウィッビー・アイランドでアイスクリームとコーヒーを売る『ウェット・ウィスカー』という店から始まりました。創業者のジム・スチュワートがピーナッツロースターを使ってコーヒー豆を焙煎していたことは有名な話です。
その後、コーヒー豆の人気が出たため、スチュワートは『ウェット・ウィスカー』を売却し、シアトルのピア70に『スチュワート・ブラザーズ・ウェット・ウィスカー』を開店しました。1983年に『スチュワート・ブラザーズ・コーヒー』に社名を変更し、1991年にシアトルのコーヒーコンペで優勝したことを機に、『シアトルズベストコーヒー』となりました。
1990年代半ば、スチュワートは、シアトル発の高級コーヒー『トレファチオーネ・イタリア』の創業者エマニュエル・ビザーリとタッグを組み、シアトル・コーヒー・ホールディングス(後にシアトル・コーヒー・カンパニー)を設立します。そして、『シアトルズベストコーヒー』と『トレファチオーネ・イタリア』のコーヒー豆を焙煎するため、1995年にフェリーで渡るヴァション・アイランドに焙煎所を建設しました。
しかし、1998年に AFC Enterprises に買収され、2003年にスターバックスに買収された後、『シアトルズベストコーヒー』の直営店は徐々に閉鎖されていきました。2022年、パイク・プレース・マーケットの景色に馴染んでいたコーヒーのネオンサイン(写真上)も撤去されました。(ダウンタウンのウエストレイク・センター前にあった店舗は2000年12月16日にスターバックスの店舗になってしまいました。その店舗も2022年に閉店し、2024年7月現在、空き店舗となっています)
そして、2022年にスイス企業ネスレ(Nestlé)に売却され、現在は Amazon.com や Walmart などでコーヒー豆を購入できるようになっています。
ヴァション・アイランドにあった焙煎所は、2003年10月にスターバックスによって閉鎖されましたが、オーガニック食品などの店 The Minglement の経営者が事業を拡大するために購入し、『The Vashon Island Coffee Roasterie』として再開しました(写真上)。シアトルズベストコーヒーの創業者ジム・スチュワートが使用していたオリジナルのロースターも健在で、同社のコーヒーローストマスターを務めたピーター・ラーセンが、現在も焙煎に携わっています。
アメリカ国内では店舗がなくなったシアトルズベストコーヒーですが、日本に店舗があるのはご存知でしょうか。1999年に三井物産系のボウリング場運営会社・日本ブランズウィックが東京の渋谷に1号店をオープンし、現在は複数の複数のフランチャイズ企業による約70店舗が展開中。シアトルにも店舗があった時代を知る方は、まるでタイムトリップしたかのような、不思議な感覚を覚えるはずです。
スターバックス
今や世界企業となったスターバックスは、1971年にシアトルのパイク・プレース・マーケットで、ジェリー・ボールドウィン氏、ゼフ・シーグル氏、ゴードン・ボウカー氏によって設立されました。高品質のコーヒー豆とコーヒー関連器具を販売する1店舗から始まった同社は、1987年にハワード・シュルツ氏が買収してから、イタリアのコーヒーカルチャーにインスパイアされたカフェチェーンに変わっていきました。
シュルツ氏のリーダーシップの下、スターバックスは急速に成長し、1992年に上場しました。通常のコーヒー豆に加え、高級ラインの『リザーブ』を提供するなど、多様性も2024年7月現在、世界全体で約3万8600軒のカフェを展開しています。
タリーズコーヒー
タリーズ・コーヒーは、1992年にトム・タリー・オキーフ氏によって設立され、居心地の良い雰囲気と高品質のコーヒーを提供することで、シアトル地域で多くの店舗を展開するようになりました。
シアトル・タイムズによると、2000年代初頭にはアメリカ国内に75店舗、海外に35のライセンス店舗を持つまでに成長しましたが、2000年代半ばから財政的な困難に直面して買収が繰り返され、2012年に連邦倒産法第11章による再生を申し立てます。その後も苦戦し、2018年にアメリカ国内の店舗は閉鎖され、現在はカプセル式コーヒーマシンで知られるキューリグ(Keurig)の販売するコーヒーのブランド名としてのみ存続しています。
アメリカでは店舗がなくなったタリーズコーヒーですが、2005年にアメリカ法人からライセンスを買い取って日本法人として経営しているタリーズコーヒージャパンは、アメリカ法人倒産の影響を受けず、現在も日本で店舗を展開中。1996年に銀行員だった松田公太氏が、渡米中に飲んだタリーズコーヒーの味に感銘して創業者に直談判し、日本での開店を実現したのは有名な話。1号店は1997年に銀座にオープンし、松田氏はタリーズコーヒージャパン株式会社の代表取締役社長に就任、上場も果たしました(2007年に退任)。現在、株式会社伊藤園の子会社となっています。
トレファチオーネ・イタリア
日本には進出しなかったので、日本で「シアトル系」と呼ばれる中には入っていませんが、シアトルのコーヒー文化に大きく影響したトレファチオーネ・イタリアについてもご紹介します。
イタリア出身のウンベルト・ビザーリが、シアトルのパイオニア・スクエアにトレファチオーネ・イタリアの1号店を開店したのは1986年のこと。食器からテーブルに至るまでイタリアから輸入したものを使い、本場イタリアのクラシックなカフェ文化を伝える店として人気を博していました。
1990年代半ば、ビザーリは、シアトル発の高級コーヒー『トレファチオーネ・イタリア』の創業者エマニュエル・ビザーリとタッグを組み、シアトル・コーヒー・ホールディングス(後にシアトル・コーヒー・カンパニー)を設立します。そして、『シアトルズベストコーヒー』と『トレファチオーネ・イタリア』のコーヒー豆を焙煎するため、1995年にフェリーで渡るヴァション・アイランドに焙煎所を建設しました。
しかし、シアトル・コーヒー・ホールディングスは1998年に AFC Enterprises に買収され、2003年にスターバックスに買収され、2005年にトレファチオーネ・イタリアのカフェがすべて閉店されてしまいました。
トレファチオーネのファンにとってとても悲しい展開となりましたが、そのレガシーは、ウンベルトの息子エマニュエルがシアトルで創業したロースターカフェ『カフェ・ウンブリア』に受け継がれています。
2002年、エマニュエルは、父親が創業したトレファチオーネの1号店があった店舗に『カフェ・ウンブリア』の1号展このカフェ・ウンブリアを開店しました。実は、エマニュエルはコーヒーのロースターとしては3代目。そのルーツは祖父オルネッロがイタリアのペルージャでロースターを開業した1940年代に遡ります。ルーツを大切にするエマニュエルは、ウンブリアの街のランドマーク、アルコ・エトラスコ(Arco Etrusco)を『カフェ・ウンブリア』のロゴに使っています。カウンターの向こう側にエスプレッソ・マシンを置き、立ち飲みができるようにしているのがイタリア風。照明やカップもイタリアから取り寄せています。2024年現在、北米各地のカフェや高級レストラン数百軒、フォーシーズンズやリッツカールトンのホテルなどでも提供されているので、公式サイトをご覧ください。