幼い頃から祖母が作る手打ち蕎麦を食べて育った相馬睦子さん。渡米して料理学校で料理を学び、スペイン料理やフランス料理のレストランで経験を積みましたが、日本一時帰国中に蕎麦作りに目覚め、アメリカではまだ知名度の低い蕎麦を広めようと決心しました。それから約6年後の2017年に独立して『かもねぎ』を開店した相馬さんに、蕎麦への思いなどについて伺いました。
祖母の手打ち蕎麦がきっかけ
幼い頃から祖母が作る手打ち蕎麦を食べて育ったので、私が蕎麦を打つことになるのはとても自然なことだったと言えると思います。
でも、日本から渡米してアート・インスティチュート・オブ・シアトルで料理を学び、卒業後にシェフとして働いたところはシアトル市内のスペイン料理とフランス料理のレストランでしたし、まさか自分が蕎麦を出すレストランをやることになるとは思ってもいませんでした。
2011年頃に日本に一時帰国した時、初めて蕎麦の製粉・製造に夢中になりました。「自分が探していたのはこれだ」と思ったのです。幼い頃から祖母が蕎麦を作るのを見ていたので、自信を持って出せる蕎麦が作れるようになるまで1年ぐらいしかかかりませんでした。
自分の店を開店する夢を実現
それから日本の蕎麦屋で経験を積んで、2012年からアメリカ西海岸で蕎麦を試す機会を作るようにしました。2012年の1月と2月には日本政府の援助を受けて、シアトルやロサンゼルスのレストランなどで蕎麦のポップアップ・ショップを実施したら大好評。そのイベントがロサンゼルス・タイムズに紹介されたりしたことが、「アメリカで蕎麦をやっていこう」と決心するきっかけになりました。
シアトルで蕎麦をメインに2013年に開店したレストラン(2017年閉店)で共同オーナー兼シェフを務めた後、またしばらくポップアップを続け増田。
そして、2017年10月に蕎麦と季節のてんぷらの専門店 『Kamonegi(かもねぎ)』 をシアトルのフリーモントに開店するという夢を実現することができました。お客様の大半は、シアトルの地元の人や日本人以外の人が占めています。
「アメリカに日本の蕎麦を伝えたい」
アメリカでの蕎麦の認知度はまだまだ低いですが、ワシントン州は米国でも有数の蕎麦の産地です。北海道原産のキタワセソバ(ソバ農林1号)が大半で、そのほとんどが日本に輸出されていることから、日本人にも満足してもらえるクオリティなのがわかります。
アメリカ人に知ってもらいたいのは、蕎麦はとても健康的であるということ。蕎麦は穀物ではなく果実で、炭水化物が少なく、グルテンフリーで、私が打つのはそば粉が80%、小麦粉が20%の二八の割合で仕上げた蕎麦です。材料は、そば粉、小麦粉、水だけ。塩はまったく入れません。
シアトルの食材を使った、冷たい蕎麦、温かい蕎麦、ぶっかけと、蕎麦だけでいろいろなメニューを用意して、天ぷらにも日本にはない、地元の食材をよく使うことで季節感を出しています。だしは3種類の自家製ブレンド。七味や梅酒など、できるだけ自家製のものを作るようにしています。
蕎麦はとてもデリケート。手打ちには気温や湿度が関係するので、生地を練り上げていくときに指先に意識を集中させます。つるつるすぎず、ざらざらすぎないのが、私の目指す蕎麦。噛んだときの歯ごたえ、飲んだときの喉越しも大切ですね。味わいが変わってしまうので、作ったらその日または翌日には食べきります。
私にとって、蕎麦は家族のためにいつも蕎麦を作ってくれた祖母の思い出につながっています。親になって初めて、日本の伝統食のひとつである蕎麦を、次の世代に受け継いでもらいたいなと思うようになりました。シアトルで生まれた娘も蕎麦が大好き。将来、蕎麦作りをするようになったら嬉しいですね。
相馬睦子(そうま・むつこ)略歴:
栃木県生まれ。県内の高校を卒業後、アート・インスティチュート・オブ・シアトルで料理を学ぶ。シアトル市内の 『Rover’s』 や 『Harvest Vine』『Le Pichet』 などでシェフとして経験を積むが、日本に一時帰国した際に蕎麦の製粉・製造にのめり込み、日本の蕎麦屋で経験を積んで2012年に再渡米。アメリカ西海岸で実施した蕎麦のポップアップが好評だったことから、シアトルで蕎麦をメインに2013年に開店したレストラン(2017年閉店)で共同オーナー兼シェフを務めた後、蕎麦のポップアップ・イベントを再開。2017年10月に満を持して蕎麦と季節のてんぷらの専門店 『Kamonegi(かもねぎ)』 をシアトルのフリーモントに開店した。2018年には米国の料理界のアカデミー賞と言われるジェームズ・ビアード賞のノースウエスト部門最優秀シェフのセミファイナリストに。また、食専門サイト『Eater Seattle』の2018年の最優秀レストランに選ばれた。