大衆魚として昔から馴染みの魚で、冷凍品を含めて年間出回っています。米国ではできないことですが、やはり8月の解禁から秋の旬にかけて、産地から市場についた物を食べるのが一番。内臓も食べるので、腹の裂けていないものを選びます。また、尾ビレが黄色いものは脂の乗りがよく、魚体に鱗がたくさんついてるものほど鮮度がよいと言われます。なお、鱗の固い魚は鮮度低下が遅いと言われています。
日本から北米西岸に至る太平洋北部の亜寒帯海域に分布し、最大で体長40cmになるサンマは、1年で成熟し、数回産卵した後に死に至ります。餌となる動物プランクトンが多く、流れ藻が漂っている暖流と寒流の境目、いわゆる潮境が回遊の道筋となり、塩境とともに移動します。日本近海のサンマは季節回遊を行い、餌を求めて夏に北上、8月にはオホーツク海からサハリン冬岸に達しますが、秋には南下を開始し、春には西日本まで南下します。9月から10月には三陸沖で “下りサンマ” が漁獲されますが、漁法は棒受け網で、これはサンマが光に集まる習性を利用し、夜間に集魚灯でサンマを集め、下から四つ手網すくい上げるというもの。戦後日本の水産食料供給に大きく貢献したサンマの漁獲量の8割は北海道道東、三陸沖などで、最近では年間20から26万トンが漁獲されています。
宇和島屋では昨年の秋に漁獲された三陸沖の1尾当たり170gの大型サイズで鮮度抜群の脂の乗った冷凍サンマだけを販売しています。今月2月は月間販促品となっていますので、昨年の秋に漁獲された旬のサンマをご賞味下さい。
昭和32年頃の話となりますが、まだテレビがあまり普及してない時代、東京足立区に住んでいた筆者は、学校から帰宅すると近所の遊び仲間と缶けり、かくれんぼ、めんこ、ベーゴマ、ビーダマ、川魚釣り、竹馬乗りなどの遊びに興じ、勉強や塾通いなど全く縁の無い環境で夕方まで遊びほうけていました。秋の夕方に遊び仲間の誰かの家からサンマの焼いてる美味しそうな匂いが辺りにただよい始めた頃、「マサオ、ご飯だよ!」という母親からの大きな呼び声が聞こえ、その家のその晩のおかずはサンマと分かったものでした。当時の近所には都市ガスやプロパンガスもない時代で、家の外に置いてある七輪の炭火が消えないように、”うちわ” でパタパタとあおぎながら、金網にはさんだサンマを金網ごとひっくりかえしながら焼きました。サンマは目黒ではなく、足立に限ります。
掲載:2006年2月
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