シアトル観光の名所、パイク・プレース・マーケットの正面入口を見上げると、天井近くに美しい切り絵のアート作品があるのをご存じでしょうか?これは、マーケットの歴史と発展に深く関わってきた日本からの移民とその子孫である日系アメリカ人の歩みを描いたパブリックアートで、シアトル在住の切り絵作家・曽我部あきさんによって制作され、1999年に設置されました。地元の文化と歴史が交差するこのアートは、訪れる人々にシアトルと日本のつながりを静かに語りかけています。
日本からの移民が支えた、戦前のパイク・プレース・マーケット
パイク・プレース・マーケットは1907年8月にオープンしましたが、1800年代後半に日本から移住してきた日本人の多くは農業を営み、パイク・プレース・マーケットに出店しました。
Historylink.org によると、太平洋戦争勃発前には、店子の約3分の2が日系の農家だったと言われています。

©Pike Place Market

©Pike Place Market

©Pike Place Market
大統領令9066号で、状況が一変
しかし、日本軍が1941年12月7日にハワイの真珠湾の海軍基地を攻撃し、その約3ヵ月後の1942年2月19日にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が大統領令9066号(Executive Order 9066)に署名したため、日本人を祖先に持つ人たちは自宅から強制退去させられ、資産を失い、強制収容所に送られてしまいました。戦後、日本人・日系アメリカ人の中には、この地域に戻らなかった人も多かったそうです。

悲しみに満ち溢れた様子 『Song of the Sorrow』
©Pike Place Mark

©Pike Place Market
戦後の歩み
そんな日本人と日系アメリカ人の苦難とマーケットへの貢献を残そうと、JACL(日系アメリカ人市民協会)シアトル支部が日本生まれでシアトル在住の切り絵アーティスト・曽我部あきさんに作品の制作を依頼したのは1998年のことでした。
曽我部さんはこの作品を1年かけて完成し、翌1999年2月19日に行われた除幕式には、第二次世界大戦に従軍した日系二世の退役軍人らも出席しました。
「パイク・プレース・マーケットは日系農民が始めた市場です。日系人の思いが満ちているこの作品を、たくさんの方々にご覧いただいているようで嬉しく思います」と、曽我部さんは話しています。
ぜひ、パイク・プレース・マーケットを訪れて、正面入口のこの作品をご覧になってみてください。
