シアトル・センターでは、地域の先住民部族や日本を含む世界各国からの移民コミュニティが、それぞれの歴史、伝統、芸術、食文化、観光スポットなどを紹介するフェスティバル『Festál』(フェスタール)を年間を通して開催しています。このイベントでは、伝統的な音楽、舞踊、武術、芸能などの実演、伝統料理のショー、体験型アクティビティ、さらには歴史的展示など、多彩なプログラムが満載。家族連れや観光客を含む多くの観客が訪れる、シアトルを代表する文化イベントとなっています。
2025年1月
1月25日(土)・26日(日) ベトナム: Tết
ベトナムの旧正月の祝いは 『Tết』(テッ、またはテト)と呼ばれます。
シアトル・センターでは、ボランティアベースのコミュニティ組織 『Tết in Seattle』 がイベントを開催します。1996年から毎年行われているこのイベントでは、ベトナムと、ここ北西部のベトナム系アメリカ人の歴史、食べ物、音楽、伝統芸能などが紹介されます。
ロゴに使われている黄色の花は、「ベトナム北部・中部・南部を代表する花」と説明されています。
第2次世界大戦終結後、独立を求めるベトナムがフランスと戦争を開始し、1954年にジュネーヴ協定という休戦協定が結ばれました。しかし、ベトナムは北緯17度線でベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分かれて対立し、アメリカも介入して1965年からベトナム戦争が始まりました。1975年に北部が南部を制圧して戦争が終結し、翌年に南北が統一されましたが、たくさんの人がベトナムを脱出。ワシントン州にも約4万5千人が移住しました。
2025年3月
3月15日(土)・16日︎︎(日)アイルランド:アイリッシュ・フェスティバル
シアトルのアイルランド系アメリカ人コミュニティが中心となって開催されるフェスティバル。ダウンタウンからシアトル・センターまで行進する恒例のパレード 『St. Patrick’s Day Parade』 が人気です。
シアトルのアイルランド系アメリカ人コミュニティは常に聖パトリック・デーを祝ってきましが、正式にパレードが行われるようになったのは1972年のこと。もともとは北アイルランドのデリーで人権運動家13人が殺害されたことを批判するための行進でしたが、翌年には Irish Festivities Committee がパレードの運営を任され、3月10日から3月17日をアイルランド週間とすることを宣言する昼食会をシアトルの政治家らと開催しました。現在でも昼食会が毎年行われており、アイルランド政府の高官やサンフランシスコのアイルランド総領事館の高官が参加するのが定番となっています。
1846年のオレゴン条約によるオレゴン・カントリーの区分(1848年にオレゴン・カントリーはアメリカの準州となる)、1848年のカリフォルニア・ゴールドラッシュなどの影響で、1846年から1890年にかけてヨーロッパ出身者とヨーロッパ系アメリカ人の人口が増加しました。シアトルに本部のあるアイリッシュ・ヘリテージ・クラブが1856年に行った調査で、ワシントン・テリトリーで所有地宣言をした人のうち約12人に1人がアイルランド人で、入植者の大半は1847年から1852年にかけてアイルランドで飢饉が起こる前かその最中に移住したことがわかっています。飢饉の後に入植が加速し、ワシントン州のアイルランド人の人口は1880年に2243人に増え、人口全体の比率では少なかったものの、ヨーロッパ系ではカナダ人に次いで2番目に大きなグループとなりました。その後、1916年から1921年にかけてイギリスからの独立を求めて始まったアイルランド独立戦争後、さらに多くのアイルランド人がワシントン州に入植したことがわかっています。ワシントン州の歴史に関する情報をオンラインで提供している HistoryLink.org によると、米国北西部に入植したアイルランド人は、商人や銀行家、政治家や炭鉱経営者など幅広い職業で成功を収めています。
3月23日(日) フランス:フレンチ・フェスト
フランス語とフランス語圏の文化を称えるため、世界100カ国を超える国々で祝われるフランコフォニー・デー(Francophone Day)にあわせて開催されるフェスティバル。シアトルでは2013年に初めて開催されました。ライブミュージック、演劇、フランス料理、フランス語書籍の販売、セミナー、シアトルのベーカリーが焼いたバゲットの味比べなどが楽しめます。
2025年4月
4月11日(金)~13日(日) 日本: 桜祭り Seattle Cherry Blossom & Japanese Cultural Festival
日本の伝統文化・芸能を知り、体験することができる桜祭。1975年からシアトル南部で毎年開催され、シアトル・センターでは最初の文化フェスティバルとして、最も長い歴史を誇ります。
シアトルに初めて日本人が移住したのは、1880年代。1900年代初頭には、現在のインターナショナル・ディストリクトを中心にたくさんの商店・ホテル・銀行・銭湯・ホテルなどが軒を並る 『日本町』が栄えていました。しかし、第2次世界大戦が始まり、1941年に日本がハワイの真珠湾を攻撃すると、約2カ月後の1942年2月19日、ルーズベルト大統領は西海岸に住んでいた日本人・日系アメリカ人の強制退去・強制収容を始動する大統領行政命令9066を発令。これにより、日本にルーツを持つ約12万人は、手に持てるだけの荷物を持って砂漠地帯などに建てられた収容所に送られてしまいました。そのうち約3分の2は米国市民でした。その結果、シアトルを含む西海岸の日本人コミュニティは廃れてしまいました。
全米日系人博物館によると、第2次世界大戦中に日系2世のみで組織された第100歩兵大隊と第442連隊戦闘部隊が、ヨーロッパや太平洋海域で戦いました。Historylink は、第100歩兵大隊と第442連隊戦闘部隊は多くの死傷者を出し、その規模で比較すると米国で最もたくさんの勲章を授けられた部隊であると記しています。1988年8月、レーガン大統領は Civil Liberties Act に署名して強制収容について正式に謝罪し、連邦政府は強制収容した各個人に対し、2万ドルを支払いました。
2025年5月
5月3日(土) アジア・太平洋諸島: Asian Pacific Islander Heritage Month Celebration
5月はアジア・太平洋諸島の伝統文化月間(Asian Pacific IslanderHeritage Month)。1977年に米国議会により制定され、今では全米各地でコミュニティ・フェスティバルや政府主催のアクティビティ、教育目的のアクティビティが開催されるようになりました。1977年にニューヨーク州選出のフランク・ホートン下院議員とカリフォルニア州選出のノーマン・Y・ミネタ下院議員が毎年5月を Asian/Pacific Heritage Week とする法案を提出。翌月にはダニエル・イノウエ上院議員とスパーク・マツナガ上院議員が上院に同様の法案を提出し、両方の法案が可決されました。
1978年10月5日に当時のジミー・カーター大統領が共同決議に署名し、Asian/Pacific Heritage Week が定められました。さらに、1990年5月にはブッシュ大統領が5月をアジア・太平洋諸島の伝統文化月間(Asian Pacific IslanderHeritage Month)に拡大し、1843年5月7日に米国に最初の日本人が移住したこと、また、1869年5月10日に大陸横断鉄道が完成したことを記念するため、5月が選ばれました。
シアトルのこのフェスティバルでは、中国・フィリピン・サモア・カンボジア・太平洋諸島などから米国に移住してきた移民とその子孫による獅子舞や青少年のドリルチーム、武道の実演などが楽しめます。
5月10日(土) アフリカ: Spirit of Africa
アフリカのさまざまな音楽・舞踊・芸術・文化を知ることができるフェスティバル。セネガル出身でシアトル地域に住む西アフリカの伝統音楽の音楽家たち『グリオ』によって始まり、2023年で15年目を迎えます。
アメリカで2月がアフリカ系アメリカ人歴史月間(Black History month)。1926年に制定された当初は 『Negro History Week』 と呼ばれ、後に 『Black History Month』 と改称されました。この 『Black History Month』 の制定は、著名な学者でアフリカ系アメリカ人に関する数々の著作を残し、『黒人史の父』 と呼ばれるカーター・G・ウッドソン博士の尽力で制定が実現したと言えます。
奴隷だった両親のもとに生まれ、子供時代にケンタッキー州の炭鉱で働いたウッドソン博士は、20歳で高校に入学すると2年弱で卒業し、シカゴ大学で修士号、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得。研究資料にアフリカ系アメリカ人について書かれていないか、書かれていても劣等的な立場で描かれていることに気づき、1915年に Association for the Study of Negro Life and History(現 the Association for the Study of Afro-American Life and History)、その翌年に Journal of Negro History を設立。1926年にはアメリカの歴史におけるアフリカ系アメリカ人の功績に全米の注目を集めるためのイニシアチブとして 『Negro History Week』 を設定しました。
ウッドソン博士が2月の第2週を選んだのは、奴隷廃止論者で政治家のフレデリック・ダグラス氏(1818-1895:誕生日は2月14日)と第16代アメリカ合衆国大統領アブラハム・リンカーン(1809-1865:誕生日は2月12日)の誕生日の週にあたるため。ダグラス氏は奴隷に生まれ、逃亡して自由の身になり、ワシントン DC で連邦執行官、ハイチのアメリカ公使などを務め、人種差別の激しかった19世紀としては異例の出世をとげた人物です。
5月17日(土) 中国: A Glimpse of China–Seattle Chinese Culture & Arts Festival
芸術・食・音楽・舞踊・武道などを通して、中国の文化を称えるフェスティバル。中国庭園や工芸品の展示のほか、伝統舞踊、中国の楽器を使った伝統音楽や民俗音楽が楽しめます。
ワシントン州の発展において、中国系移民は大きな役割を果たしてきました。Historylink.org によると、1880年までに全人口の約4%にあたる3176人の中国人がワシントン・テリトリーに居住するようになり、1870年代から1880年代にかけて大陸横断鉄道の線路工事など大小さまざまなプロジェクトにおける重要な労働力となりました。1850年代にはカリフォルニア州で反中国感情が高まり始め、オレゴン州、ワシントン州、ブリティッシュ・コロンビア州で金が発見されたことなどがきっかけとなり、たくさんの中国人が現在のワシントン州に移住してきたと言われています。
1800年代初期は低賃金で働く中国人労働者が受け入れられましたが、1870年代に景気停滞が始まると状況が一変。1882年には中国人排斥法(Chinese Exclusion Act)が可決され、中国からの移民や中国人の米国市民権取得が禁止されました。1885年~1886年には西海岸各地に中国人排斥運動が広がり、シアトル市でもタコマ市でも約700人が強制退去させられました。しかし、1943年に中国人排斥法が撤廃され、中国人女性の移民が許可されると、1950年代から1960年代にかけて医療・エンジニアリング・企業経営・政治など、これまでは中国人が職務に就くことが許されなかった産業で中国人が活躍するようになりました。1962年には、中国系アメリカ人のウィング・ルーク氏(1925-1965)がシアトル市議会議員に選出され、米国本土で初の市議会議員に就任。その後、1965年に移民・帰化法で反アジア的な要素が米国移民法から排除されると、香港・台湾・中国からの移民が増加し、ワシントン州の中国人人口は増え続けています。
5月31日(土)・6月1日(日) フィリピン: Pagdiriwang Philippine Festival
音楽やダンスなどを通してフィリピンの芸術・文化を体験するフェスティバル。Pagdiriwang とは「祝い」の意味で、1898年にスペインによる統治が終わったことを記念しています。Filipino Cultural Heritage Society of Washington が主催しています。
シアトル地域のフィリピン系アメリカ人の人口は約3万人で、1990年代後半にはシアトル地域最大のアジア系コミュニティを築いていました。1898年のアメリカ・スペイン戦争後、アメリカは教育資金を提供してフィリピン人をアメリカの大学に入学させています。中でも、ワシントン大学は米国で最も多くフィリピン人を受け入れた大学となりました。シアトルの歴史学者フレッド・コルドヴァ氏の著作 『Filipino Americans: Forgotten Asian Americans』 によると、フィリピン人は1906年以前、1906年~1945年、1945年~1965年、1965年以降の4回に分けてアメリカに移住しています。シアトル市で最初のフィリピン人として記録されている名前はマニラで、1883年頃にベインブリッジ・アイランドで働いていたそう。
2025年6月
6月7日(土) アメリカ先住民: Indigenous People Festival
2011年にシアトル・センターの 『Festál』 シリーズに加わったフェスティバル。北米の先住民の音楽・舞踊・芸術・工芸を紹介し、理解を深めることを目的としています。
地元の音楽グループによるライブ、ファースト・ネーションの映像監督による映画上映、アートの作品展示、スクリーンプリント、さまざまな部族によるアートやジュエリー、衣類、食品の販売があります。売上の一部は Seattle Indian Health Board のシニアプログラムに寄付される予定です。
1850年代にヨーロッパ系の入植者が来るはるか昔から、今のワシントン州には多くの先住民が住んでいました。しかし、ヨーロッパ系の白人が入植し、1855年にポイント・エリオット条約が締結され、先住民は米国政府が決めた居留地に強制移動させられてしまいました。
6月28日(土) イラン:Iranian Festival
Iranian American Community Alliance(IACA)が提供するフェスティバル。ペルシャ料理のサンプルが楽しめるほか、ダンス・パーティや子供向けの劇、フェイス・ペインティングなどさまざまなプログラムが揃っています。
イランは、中東に位置するイスラム国家で、世界有数の産油国。なつめやし、ピスタチオ、サフラン、柑橘類なども、生産量・質ともに世界でトップレベルにあると言われています。かつてペルシャ帝国が繁栄した地でもあり、現在の郵便制度はその最盛期にできたものがもとになっていると言われています。国名がイランとなったのは1935年。
2025年7月
7月12日(土) ポーランド: Polish Festival
2023年で12回目を迎えるポーリッシュ・フェスティバル。ポーランドの伝統的な音楽や舞踊の舞台のほか、ポーランドの料理などが楽しめます。
7月19日(土)・20日(日) アラブ: Seattle Arab Festival
第一次湾岸戦争(1990年8月2日から1991年2月28日まで)の後に開催されるようになったアラブのお祭り。アラブの22カ国の歴史や文化、食が紹介されます。
2025年8月
8月2日(土):A Day in Punjab
「パンジャーブの日」(旧称:ターバン・デー)は、シーク教およびパンジャーブ文化を紹介するイベントです。この催しでは、ターバンの巻き方、ダンス、音楽、ガトカ(シーク教の伝統武術)のデモンストレーション、出店、伝統料理などが楽しめます。
パンジャーブとは、ペルシャ語で「五つの川」(パン=五、ジャーブ=水)を意味し、5本の大河が流れる現在のインドとパキスタンの両国にまたがる地域のことを指しています。古代インダス文明の中心地で、農業が盛んな地域です。1947年のインド・パキスタン分離独立の際に、パンジャーブは2つの国に分割されてしまいました。
8月9日(土)・10日(日) チベット: Tibet Fest
Tibetan Association of Washington によると、1911-1912年には独立していたチベットは、1949年に中華人民共和国の軍事侵略を受けました。1959年・1961年・1965年の国連総会で非難されましたが、1959年のチベット動乱が武力で鎮圧されると、ダライ・ラマ14世と8万人のチベット人がインドに亡命。今日も難民としての生活を余儀なくされているダライ・ラマ14世が初めて米国を訪れたのは1979年。シアトルにはその米国訪問中の1979年10月3日から3日間にわたって滞在し、チベットからの移民との会議や、シアトル大学とワシントン大学での講演を行いました。ダライ・ラマのシアトル訪問は、中国統治下のチベットから亡命してシアトルにたどり着いた元チベット政府高官の発案だったそう。現在、ワシントン州のチベット人コミュニティは200人近くとされています。
8月17日(日) ブラジル:BrasilFest
さまざまな民族が住むブラジルの多様な文化をたたえるイベント。奴隷が格闘技の訓練をカモフラージュするため、音楽と舞踊を使ったことから生まれたというブラジルの格闘技舞踏カポエイラ(Capoeira)のデモや、派手なコスチュームを身に着けたサンバの踊り、伝統的な食事が楽しめます。
8月23日(土)・24日(日) アフリカ: Festival Sundiata
2025年で45回目を迎えるアフリカ系アメリカ人のフェスティバル。ゴスペルをはじめとするさまざまな音楽のほか、絵画や写真の展示に雑貨や食べ物の販売、子供向けのアクティビティも楽しめます。
『Sundiata』(スンジャータ)の名前は、人民を悪政から解放した王の中の王と言われたマリ共和国の始祖スンジャータ・ケイタ(1210-1255)にちなんでいます。スンジャータは1235年に当時悪政を強いていたスマングルを殺害して王位につき、その後継者のマンサ・ムサの時代にマリ共和国は全盛期を迎えましたが、その後は衰退の一途をたどりました。
2025年9月
9月7日(日) ハワイ:Live Aloha
ハワイにゆかりのある人たちが作り上げる本格的な文化フェスティバル。ライブ・パフォーマンスや展示、ワークショップや子供向けのプログラムなどを通してさまざまなハワイの文化が楽しめます。
ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島の7つの島に加え、100以上の小島からなる州。年平均気温が20度以上と高く、夏と冬の気温の差も少ないため、その気候を生かした観光関連産業が発展し、毎年国内外から多くの観光客が訪れています。ワシントン州からのデスティネーションとしても人気。
もともとポリネシア民族が住んでいたが、カメハメハ1世(大王)が1810年にハワイ王国を建国してハワイ諸島を統一。しばらく王政支配が続きましたが、1894年にハワイ共和国が建国され、4年後に米国自治領となった後1959年に米国50番目の州となりました。
9月13日(土)・14日(日) ラテンアメリカ: Sea Mar Fiestas Patrias
メキシコ、チリ、パナマ、ペルー、グアテマラのスペインからの解放を祝い、メキシコ、コスタリカ、チリ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアの文化・歴史・芸術、これらの国々から米国に移民した文化を紹介するフェスティバル。2日間にわたり、音楽、ダンス、フード、子供向けアクティビティ、ヘルスフェア、Zumba®フェスティバルなどが開催されます。このフェスティバルは、9月中旬から10月中旬にかけての「全米ヒスパニック文化遺産月間」(Hispanic Heritage Month)と同時期に開催されます。
9月27日(土)・29日(日) イタリア:Festa Italiana Seattle
パシフィック・ノースウエストのイタリア人とイタリア系アメリカ人の芸術、食、文化、歴史を紹介するイベント。1988年から開催されています。
イタリア人がシアトルに移住し始めたのは1800年代後期のこと。炭鉱で働く人が多数を占めていましたが、農業をする人も多く、当時のイタリア系住民のコミュニティの中心地であったレーニア・バレーは garlic gulch(ニンニクの峡谷)と呼ばれていました。
Historylink.org によると、シアトルで初めてイタリア語の新聞 『Il Tempo』 が発行されたのは1908年11月6日(1913年廃刊)。1910年には2番目のイタリア語新聞 『Grazzetta Italiana』 が創刊し(1961年に廃刊)。1935年と1936年には英語とイタリア語の2カ国語新聞 『Italo-American Press』 も発行されました。
1956年から1965年までワシントン州知事を務めたアルベルト・ディーン・ロッセリーニ氏は、イタリアから移住し、アメリカで結婚した両親の長男としてタコマ市に生まれたイタリア系アメリカ人二世。幼少時代は貧しかったものの、ワシントン大学で法律を学び、弁護士となって活躍。1938年にワシントン州上院議員に当選し、1956年にワシントン州知事に選出され、1960年に再選を果たし、2期を務めました。
2025年10月
10月5日(日) クロアチア:CroatiaFest
クロアチアの民族舞踊や民俗音楽、美術品や伝統食が楽しめるほか、その歴史や観光情報も学ぶことができるイベント。2004年から開催されています。
また、歴史的な写真や工芸品、伝統的な衣装や民族楽器を通して、クロアチア系アメリカ人の体験も紹介されます。
南ヨーロッパのバルカン半島に位置するクロアチア共和国は、アドリア海の宝石と呼ばれる美しい国。国土面積は日本の九州の約1.5倍で、1635年にルイ13世を支援するためにパリを訪れたクロアチア兵士のスカーフ「La cravat」がフランス人に好まれ、今日のネクタイとなったことでも知られます。
クロアチアは1991年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立。2013年日に正式にEUに加盟し、28番目のEU加盟国となりました。アドリア海沿岸の観光地をはじめとして観光業が急激に成長し、世界各地から年間1千万人近くが訪れています。
10月11日(土)・12日(日) トルコ: TurkFest
2001年に始まったタークフェスト。トルコの伝統的な舞踊や音楽、ポップミュージックのパフォーマンス、トルコ絨毯の展示販売、トルコ料理やコーヒーなどの販売のほか、シアトル・トルコ映画祭やAmerican Turkish Academy of Washington、ワシントン大学の Turkish and Ottoman Studies Program などが参加するコミュニティ・ブースもあります。歴史、芸術、建築に興味のある方は、トルコの必見スポット、体験、旅のヒントなどのプレゼンテーションや、トルコ語の基本を教えてくれるクラスをお見逃しなく。
10月18日(土) インド: Diwali: Lights of India
インドで毎年開催されている、秋の到来を祝うお祭り 『Diwali 』(ディワリ)にちなみ、インドの芸術や文化を紹介するイベント。国内外で活躍するアーティストが参加するほか、インドの古典舞踊、現代舞踊、民族舞踊、武道、地元の青少年ダンススクールによる音楽とダンスのエンターテインメントが披露される予定です。
花曼荼羅(ランゴリ)の展示、ヘナ、フェイスペインティング、体験型アクティビティ、チャイやサリーのブース、子供向けの人形劇やワークショップなどもあり、誰もが楽しめる企画が揃っています。
2025年11月
11月1日(土)・2日(日) ラテンアメリカ諸国: Dia de Muertos
Dia de Muertos はラテンアメリカ諸国における行事で、毎年2日間にわたり故人があの世から戻ってくると言われる「死者の日」(Day of the Dead)を意味しています。
故人の好物や故人に縁のある色とりどりの物、土・風・水・火という4つの要素をカバーする供物をお供えした祭壇を祭ります。骸骨は生と死、生きることの喜びを表しており、骸骨の人形を飾ったり、骸骨をモチーフにした菓子、骸骨のマスクをつけてパレードをしたりします。
Dia de Muertosの歴史は、スペイン人がアメリカ大陸に到着する前にさかのぼります。歴史家によれば、アステカからトルテカまでのさまざまな文明の間で、2000年も前から行われていた可能性があるそうです。
11月8日(土) モン族: Hmong New Year Celebration
モン族の新年の祝いは、先祖に感謝し、新しい始まりを迎えるために作られたもの。このフェスティバルでは、伝統衣装、伝統料理、舞踊、音楽が紹介されます。
古代中国の南方に民族の起源があるとされるモン族は、ベトナム戦争中に米国と共に戦った歴史があります。しかし、米国がベトナム戦争に負けて撤退した後、取り残されたモン族は虐殺されたり、難民となったりする苦難を強いられました。この時、米国に移住したモン族の一部がワシントン州に住むことになり、Hmong Association of Washington(HAW)を1983年に設立し、就職・英語教育・市民権取得・移民法など、モン族の福祉や教育を援助するようになりました。
シアトル・センター・フェスタールについて
シアトル・センター・フェスタールは、太平洋岸北西部の先住民や移民のコミュニティの歴史や伝統、芸術などを紹介し、讃えるイベントシリーズです。毎年、24の無料フェスティバルが地域団体と協力して行われ、市や文化支援団体が後援しています。
会場となるシアトル・センターは、74エーカーの敷地にスペースニードル、多目的アリーナ、子ども劇場、科学館、IMAXシアター、オペラやバレエなどの劇場、ポップカルチャー・ミュージアムなどが集まっており、年間訪問者数は1200万人となっています。