MENU

『稲むらの火』 の濱口梧陵ゆかりのモニュメントがシアトルの消防署に?!

  • URLをコピーしました!
稲むらの火

「シアトルの消防署に、『稲むらの火』 で知られる濱口梧陵ゆかりのモニュメントがあるらしいのですが、ご存知ですか?」 ある日、そんな問い合わせが、シアトル在住の逸子モーガンさんから舞い込んできました。それまで濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)という名前も『稲むらの火』 という話を聞いたことがなかったのですが、「Goryo Hamaguchi」で検索してみると・・・

日本の国立国会図書館の公式サイトに英語でこんな情報が。

"Born the son of soy brewery and was adopted heir of Hamaguchi Gihei Shoten (Gihei Hamaguchi Store, current YAMASA Corporation), he became the seventh heir in 1853. When the large tsunami occurred in November, 1854, he worked hard to rescue villagers by building 50 houses and a 670m-long large breakwater."
(要訳:濱口梧陵は、ヤマサ醤油の7代目で、「1854年11月に津波が起きたとき、住宅50棟と全長670メートルの堤防を造り、村民を救った。"稲村の火" は尋常小学校の国語の教科書に載った)

ヤマサ醤油の公式サイトによると、濱口梧陵さんは1820年に生まれ、1853年に家督を相続して7代目を襲名した実業家で、政府閣僚や和歌山県会議長も務めた人物。7代目を襲名した翌年、故郷の紀州・広村(現在の広川町)に偶然滞在していた時、「1854年(安政元年)11月4日、5日の2回にわたって襲った南海の大地震に際し」、「海水の干き方、井戸水の急退などにより、大津波が来ることを予期」します。そこで濱口梧陵さんがしたことは、村の人たちを避難させるため、高台にあった自分の田んぼに積んであった収穫したばかりの稲束(稲むら)に火をつけること。村の人たちは火を消そうと坂を上ってきたため、津波に飲み込まれずにすんだそうです。

これに感銘を受けた文豪・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が英語の短編で紹介し、それをもとに中井常蔵さんが執筆した『稲むらの火』が、1937年から10年間、国定小学国語読本(教科書)に掲載され、子どもたちにも知られるようになりました。

その濱口梧陵さんが創設した和歌山県立耐久高校の卒業生である逸子モーガンさんは、同級生からのメールでシアトルにその濱口梧陵ゆかりのモニュメントがあるらしいと聞いたとのことでした。

濱口梧陵さんはニューヨークで亡くなられていますが、シアトルを訪れたという記述は見つからず。となると、そのモニュメントはニューヨークの消防署にあるのか?

ふたたび逸子モーガンさんに聞いてみると、「(そのモニュメントは)エレン・ジーグラーという人が作ったそうです」。

普段から調べることが好きなので、さらにいろいろなキーワードで調べてみると、そのエレン・ジーグラーさんに行き着きました。

「Ellen Ziegler, with a 1987 grant from the Seattle Arts Commission, inscribed the tale on tablets fronting Jefferson Park fire station.」
(エレン・ジーグラーは、シアトル・アーツ・コミッションからのグラントで、ジェファーソン・パーク消防署の前にある石碑にその話を刻んだ)

さらに調べてみると、なんと1700年のカスケード地震とみなしご津波(lone Tsunami)の関連性を詳細につづった 『The Orphan Tsunami of 1700: Japanese Clues to a Parent Earthquake in North America』 という本の47ページにもそれらしい記述があることがわかりました。

「As public art inscribed in stone in Seattle, a "true story" tells of "an old farmer in Japan who saved an entire village from destruction by a tidal wave."」
(シアトルの石碑に刻まれているように、"日本の年老いた農夫が津波の被害から村を救った" という "事実" がある)

稲むらの火

逸子モーガンさんの夫・マットさん。ジェファーソン・パーク消防署にて。

このことを逸子モーガンさんに伝えると、さっそくこのジェファーソン・パーク消防署まで出向き、本当にモニュメントがあったと報告してくれました。

稲むらの火

『稲むらの火』 の話を刻んだモニュメント

「和歌山の耐久高校というローカルな話なのに、なぜシアトルにそんなモニュメントがあるのか、疑問が膨らんできたのです」と、逸子モーガンさん。「とにかく行ってみないと始まらないと思いました。そこで、夫と一緒にジェファーソン・パーク消防署を訪れました」。

稲むらの火

逸子モーガンさん。ジェファーソン・パーク消防署にて。

消防署で、逸子モーガンさんは、このモニュメントは1987年にエレン・ジーグラーというアーティストが制作したものであることを確認。居合わせた消防員の方によると、たまたま消防署に血圧を測りに来た住民が座るところがなく不便そうだったのでベンチを設置することになり、そのアーティストがせっかくだから待ってる間にいいお話が読めたら面白いと、『稲むらの火』 の話を彫り込んだとのことでした。

稲むらの火

「濱口梧陵の生き方が、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に A Living God と言わしめ世界的に有名になった小説のモデルとなり、エレン・ジーグラーがモニュメントに刻み込んだこと。濱口翁は火で水から人々を救ったけれど、消防署は水で火から人々を守るから、どちらも同じような意味を持つこと。稲むらの火は小学校の教科書にもなったとも聞き、これらの理由から、この地にモニュメントが作られたことを知って感動しました」。

稲むらの火

『稲むらの火』 を英語で説明したものが消防署内に常備されています。

シアトルと日本の不思議なご縁。ご興味のある方は、ぜひジェファーソン・パーク消防署でこのモニュメントをチェックしてみてください。

なお、エレン・ジングラーさんにも連絡を試みましたが、返信はありませんでした。

Jefferson Park Fire Station(Seattle Fire Station 13)
3601 Beacon Avenue South, Seattle
www.seattle.gov/fire/firestations/stations.htm#sta13

掲載:2018年10月 写真:逸子モーガン

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ