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シアトルに眠る、日本初の本格的なコーヒー店『可否茶館』の創業者・鄭永慶さんを訪ねる

鄭永慶さん

レイクビュー墓地に眠る鄭永慶さんの墓石

4月13日は、日本では「喫茶店の日」。その理由は、1888年(明治21年)4月13日に、東京の下谷西黒門町(現在の台東区上野)に日本初の喫茶店『可否茶館』が開業したことに由来していると、ジャングルシティで取材したコーヒー豆焙煎会社 『Beans Eight Roasters』 の佐野哲哉さんに教えていただきました。「でも、喫茶店の日、という認識はあるにせよ、日本で最初の喫茶店をオープンさせたのが鄭永慶さんで、そのお墓がシアトルにあることはまだまだ知られていないのが現状です」と、佐野さん。そんな方のお墓がシアトルに?さっそく佐野さんにお話を伺ってみました。

鄭永慶さん 日本初の本格的なコーヒー店『可否茶館』の創業者

鄭永慶さんの名前は日本語読みで「てい・えいけい」。検索すると、たくさんの記事やブログが見つかります。

1858年(安政5年)に肥前長崎で生まれ、明治7年に米国のイェール大学に留学した鄭さんは、帰国後は外務省や大蔵省に務めるも、1888年(明治21)年に東京の下谷西黒門町(現在の台東区上野)に日本初の本格的なコーヒー店『可否茶館』を開業しました。店内にはビリヤードや更衣室、シャワー室もあり、「若者の社交場」を想定していたようです。しかし、時代を先取りしすぎたのか、ビジネスはうまくいかず、借金を背負って閉業。紆余曲折の末、鄭さんはカナダのバンクーバー経由でシアトルに密航しますが、6年後の1894年(明治27年)7月17日に37歳の若さで亡くなりました。

『可否茶館』について理解するには、2008年に出版された 『日本最初の喫茶店―『可否茶館』の歴史』(星田宏司著)がおすすめだそう。

1894年といえば、日本から多くの人が米国に働きに来ていた時代の真っただ中で、日清戦争勃発した年でもあります。シアトルでは日本からの労働者の多くが建設作業に従事したグレート・ノーザン鉄道が開通した翌年にあたりますが、日本人に対する差別が激しく、大変な時期でした。

日本から出稼ぎに来ていた人や移住した人の歴史を記録しているシアトルの非営利団体 『Densho』 の公式サイトで年表や記事を読むことができます。

キャピトル・ヒルのレイクビュー墓地

コーヒー豆焙煎会社 『Beans Eight Roasters』 の佐野哲哉さんは、鄭永慶さんのお墓に自ら焙煎したコーヒー豆を供えました。

鄭さんのお墓のあるキャピトル・ヒルのレイクビュー墓地は、シアトルの著名人が多く埋葬されている墓地として有名。特に、俳優のブルース・リーとブランドン・リーの親子が埋葬されていることはよく知られており、今もファンがお参りしています。

黄色い丸で囲まれているがブルース・リーのお墓。そこから赤い線に沿って行くと鄭さんのお墓が見つかります。
提供:佐野哲哉

鄭さんのお墓は、そのブルース・リーとブランドン・リーの親子のお墓からそう遠くない位置にあります。長年にわたり所在が不明でしたが、墓石に名前が刻まれている野口孝志さんと横田亘生さんの尽力で突き止めることができたそうです。

20220407 Tei Eikei Ohaka mairi – Spherical Image – RICOH THETA

日本初の本格的なコーヒー店『可否茶館』を開店した方が、今やコーヒー・キャピタルとなったシアトルで永眠されている ー 不思議なご縁を感じます。

Lake View Cemetery
1554 15th Avenue East
Seattle, WA 98112

掲載:2022年4月 写真提供:佐野哲哉

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