シアトルのインターナショナル・ディストリクトには、太平洋戦争の勃発まで「日本町」として栄えていた一角があります。
シアトル在住の建築家・松原博さんによると、商店、食堂、ホテル、学校、劇場、銭湯、コミュニティ・ホール等がひしめき、1930年代の全盛期には人口8,500人からなる、活気のあるエリアだったそうです。
しかし、1941年12月に旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したことで太平洋戦争が勃発し、1942年にルーズベルト大統領が西海岸に住んでいた約12万人の日本人と日系アメリカ人の強制収容を命じたため、この地区のすべての日系ビジネスが姿を消してしまいました。そして、戦後も以前のような活気を取り戻すことなく、多くの歴史的建物はコンクリート造のアパート建築に取って変わられています。
1973年になって、アジア系アメリカ人グループの努力によって南側のインターナショナル・ディストリクトとともにようやく特別景観地区に指定され、歴史的建造物が保存されることになりました。
そんなかつての「日本町」に現存するパナマ・ホテルは、1942年当時の経営者タカシ・ホリ氏が強制収容される日本人・日系アメリカ人の所持品を保管するためにホテルの地下室を提供したことで知られる、貴重な建物の一つです。ホリ氏は終戦後にシアトルに戻ったものの、引き取り手が現れなかった所持品は現在もそのまま残されており、1985年にホリ氏からこのホテルを購入したシアトル出身のアーティスト、ジャン・ジョンソンさんが受け継ぎました。
パナマ・ホテルの建物は、シアトルで最初の日系アメリカ人建築家だったサブロウ・オザサさんによってデザインされ、1910年に完成したもの。2006年に国定歴史建造物に指定され、2015年にナショナル・トラスト(National Trust)によりシアトル唯一の国宝に指定されました。国宝に指定されたことにより、ナショナル・トラストがホテルに残された所持品の目録作成・記録・保管を手がけることになり、現オーナーのジャン・ジョンソン氏が引退する際は、新たな経営者を確保することになります。
このパナマ・ホテルの地階には、日本人が利用していた公共銭湯 『橋立湯(Hashidate-Yu)』があります。1910年から第2次世界大戦中を除く1960年まで営業され、その後は放置されたままとなっていましたが、不定期でツアーを行うようになりました(ツアーの詳細については、ホテルに問い合わせること)。
また、パナマ・ホテル1階にあるパナマ・ホテル・ティー・アンド・コーヒーでは、ジャンさんが収集した日系アメリカ人関係の写真や 1940年代の日本語新聞などが展示されています。
このパナマ・ホテルにJackson Street に面しているショップ 『Kobo at Higo』 も、日系人ゆかりの場所のひとつ。第2次世界大戦前から75年にわたって営業してきた 『Higo』 が2004年6月に閉店した後、その歴史を保存するため、シアトルや日本のアーティストによるさまざまな作品を展示販売している 『Kobo』 の経営者びんこ&ジョン・ビスビー夫妻が2004年11月に新しいショップとしてオープンしました。
こうした日本町の歴史をたどることのできる無料ウォーキングマップ(英語版)もあります(日本語版はこちら)。ウィング・ルーク博物館の公式サイトからダウンロードできるので、ぜひご覧になってみてください。また、ウィング・ルーク博物館では、このウォーキング・マップで紹介されているゆかりの地をめぐる英語でのウォーキング・ツアーを実施しています。個別ツアーをご希望の方はウィング・ルーク博物館に直接お問い合わせください。
更新:2023年8月