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映画ロケ地めぐり 『99年の愛 ~ Japanese Americans~』 シアトルに渡った日系移民家族の愛の物語

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ジャンル ドラマ
放送 2010年
脚本 橋田壽賀子
監督 福澤克雄
出演 草彅剛、仲間由紀恵、松山ケンイチ、中井貴一、泉ピン子、イモトアヤコ、大泉洋、小林稔侍、八千草薫、上条恒彦、岸惠子
公式サイト www.tbs.co.jp/japanese-americans

あらすじ

2010年8月。シアトル・マリナーズで活躍するイチロー選手の試合を観に、孫と息子の妻とシアトルを訪れたさち(岸惠子)は、生き別れとなっていた次兄・次郎(上条恒彦)と長兄・一郎の妻しのぶ(八千草薫)に70年ぶりに再会する。11歳の時に家族に捨てられたと思いこみ、長年アメリカを避けてきたさちだったが、この再会を機に、アメリカに残った家族がどのように生きてきたのか、そして自分がどんな思いで日本で生き抜いてきたのかを互いに語り合い始める。

2人の父親である長吉(草彅剛)がアメリカへ渡ったのは、99年前のこと。島根県の貧しい農家の次男として家計を支えるための決断だったが、まだ19歳だった。知り合いを頼ってシアトルで仕事を探し始めるが、排日運動の影響を受け、季節労働者として農場を転々としながら暮らすことに。やがて、写真花嫁として渡米してきたとも(イモトアヤコ)と結婚する。

時は流れ、長吉(中井貴一)ととも(泉ピン子)は4人の子宝に恵まれるが、長男・一郎(草彅剛)がシアトル大学に入学する頃になっても排日運動は相変わらず続いていた。日米関係が悪化の一途をたどっていることから、長吉は長女しづ(寺島咲)と次女さち(川島海荷)を日本の親戚の元へ避難させるが、それから3ヶ月後の1941年12月に日本軍が真珠湾のアメリカ基地を攻撃、太平洋戦争が始まってしまう。日系コミュニティの主要人物の一人だった長吉が危険人物とみなされて検挙され、まもなく残された家族もカリフォルニア州のマンザナー強制収容所へ入所させられることになり・・・。

On Screen

スミス・タワー

当時のシアトルを映し出す場面で頻繁に登場するスミス・タワー

TBS 開局60周年と終戦65年を記念して2010年秋に5夜連続で放送され、翌年の 『国際ドラマフェスティバル in TOKYO』 では作品賞単発ドラマ部門でグランプリを受賞。これを記念し、同年末には8時間のディレクターズカット版が2夜連続で放送されています。

脚本を手がけた橋田壽賀子氏は、終戦時は20歳。「"敵国" だったアメリカに来ることは一生ない」と思っていたそうで、本作の脚本を手がけるまでアメリカが登場するドラマもほとんど観ていなかったそう。しかし、戦後に親戚のいる山形へ行った経験をもとに NHK 連続テレビ小説 『おしん』 の脚本を執筆してから "戦争と平和" というテーマに興味を持つようになりました。日系移民たちの資料を読んで今の日本人にないものを当時の日本人の中に見出し、本作では日系移民家族の歴史を通して日本人の誇りや勇気、愛を描いています。

セーフコ・フィールド

セーフコ・フィールド(現 T-Mobile Park)

制作においては、テレビドラマ 『華麗なる一族』(2007)や映画 『私は貝になりたい』(2008)を手がけたプロデューサー・瀬戸口克陽と監督・福澤克雄がタッグを組み、日系アメリカ人の歴史を後世に伝える活動を続けるシアトルの非営利団体 『Densho』 が構想段階から全面的に協力。長吉が渡米するのは1912年ですが、実際、日本では1885年から1924年にかけて多くの日本人がアメリカに渡り、長吉のように農場で働く者もいれば、缶詰工場での勤務や鉄道建設に関わった者もいました。過酷な労働条件にも関わらず低賃金で勤勉に働いたことがアメリカ人の反発を招き、排日労働につながりました。そのような当時の社会と現代を対比させる演出に、日系移民たちの乗り越えてきた苦労と築き上げてきた信頼関係に対する敬意が込められています。

アメリカでの撮影は2ヶ月にわたって行われ、シアトルではパイオニア・スクエアやインターナショナル・ディストリクトなどがロケ地となりました。第1夜の冒頭で、さちが孫とセーフコ・フィールドに野球観戦に行く場面ではイチロー選手も映っています。また、長吉一家の営む平松農場にはワシントン州とアイダホ州の州境にあるパルース地方の農場が使われ、マンザナー強制収容所の場面の一部は収容所跡地で撮影されました。

掲載:2010年

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