シアトルの南東275マイル(440キロ)のワシントン州の南東部ある町、ワラワラ。大空の下、ゆるやかな丘がうねる丘陵地帯が広がり、コロンビア・リバーとスネイク・リバーが流れています。
ワラワラとは
英語のアルファベットで Walla Walla と書くこの名前は、ネイティブ・アメリカンの言葉で “Many Waters” という意味です。
19世紀に白人が入植して開発を始め、小麦とスイート・オニオンの栽培で急成長しましたが、最近ではワシントン州南東部の商業や教育の中心地となっています。
ワラワラの歴史
もともとワラワラ族、ネズ・パース族、ウマティラ族、ケイユーズ族などのネイティブ・アメリカンが居住していたこの土地が大きな変化を迎えたのは、例にもれず、白人の入植がきっかけでした。
1800年代に毛皮貿易が盛んになると、現在のワラワラにあたる場所に交易所が設置され、1805年にイリノイ州から太平洋を目指し西部を探検したルイス&クラーク探検隊が到着しました。探検隊はワラワラ族の協力を得てワラワラ・バレーを通過し、翌年には現在のワラワラ郡にあたるところを横断したことがわかっています。ルイス&クラーク探検隊はコロンビア・リバーの近くに住んでいたワラワラ族について、「探検中に出会った人々の中で最もあたたかく、正直で誠実な人々」と記しています。
しかし、何世紀にもわたってこの土地を利用してきたネイティブ・アメリカンは、白人と衝突し、土地を失ってしまいます。
1860年代になると、ゴールドラッシュの好景気が訪れ、商業・金融・製造業が発展し、ワラワラはワシントン・テリトリー最大の町に成長しました。ノースウエストで最初の商業銀行が設置され、この地域で最初の大学が開校したのもこの時期です。ゴールド・ラッシュが終焉を迎えた後は、農業が経済の中心となりました。
ワラワラでワイン造りが始まったのは1970年代。現在、ワラワラは全米第2の生産量を誇るワシントン州ワイン産業のメジャーな生産地の一つに成長しています。また、一時はさびれていたワラワラの中心地のダウンタウンは、1984年から始まった建物のデザインや街の構造の変更によって再活性化し、ワイン、グルメ、アートを楽しめるデスティネーションとして知られるようになりました。ワラワラ・コミュニティ・カレッジでは、ブドウの栽培とワイナリーについて教えるプログラムもあります。