Waitsburg ワイツバーグ
ワイツバーグは、ワラワラの北約20マイル(約32キロ)、ワラワラ郡東部のトゥーシェット・リバーとコッペイ・クリークの合流点に位置する町。周囲の丘陵地を利用した小麦栽培が大幅に拡大し、1865年にシルベスター・M・ワイトが製粉所を建設して、町の基盤を築きました。
ヨーロッパ系の入植者が来るまで、先住民のパルース・ピープルが住んでいました。1806年に、セント・ルイスから太平洋に到達したルイス&クラーク探検隊が東へ戻る途中にこの地域を通過したことが記録されており、町の北端にはルイス&クラークの像が建てられています。
Historylink.org によると、1859年に白人の入植者がこの地域で最初の土地所有権を主張し、その後、多くの開拓者が続きました。当初は川沿いで穀物栽培や家畜の飼育を行っていましたが、1860年代初頭には周辺の丘陵地での乾地農業が始まり、小麦生産が大幅に拡大しました。
1865年には町の北端を流れるトゥーシー・リバーのそばにシルベスター・M・ワイト氏が最初の製粉所を建設し、その名前が町の名前となりました(この製粉所は2009年9月上旬の火災で焼失)。製粉所の周囲には、商店、酒場、学校などが建設され、小さな村が形成されました。そして、1866年には郵便局も設置され、地域の中心地としての役割を担うようになりました。
1878年にはワイツバーグ・タイムズという新聞が発行され、2025年1月現在も毎週発行されています。1881年に鉄道が開通し、ワイツバーグはさらに発展を遂げました。製粉所は1957年に操業を停止しましたが、小麦は現在も町の主要産業の一つです。また、近年、ワラワラ・バレー AVA でのワイン産業が拡大し、ワシントン州のワイン産業に大きく貢献しており、1880年代に遡る町の中心街はワイツバーグ歴史地区としてアメリカ合衆国国定歴史建造物に登録され、観光業も成長しています。
Dayton デイトン
現在のデイトンにあるトゥーシェット川とパティットクリークの合流地点は、さまざまな先住民の部族が集まる重要な場所でした。先住民はこの地域でポニー競争や社交、ダンスやゲームに興じていたことがわかっています。
そのため、アメリカを「未開の土地」と考え、「土地は個人が所有して開拓できるもの」と認識していた白人の入植者と、それとは異なる概念を持っていた先住民の間で広範な武力衝突が起きるのは当然のことでした。先住民の視点から見ればこれは明らかに侵略であり、抵抗するのは当然のことでしたが、先住民は結果的に先祖代々が利用していた土地へのアクセスを奪われてしまいました。その後、1859年に牧畜業者のジェシー・N・デイ氏が現在のデイトンの西側の土地の所有権を宣言し、1871年にデイトンの町が設立されました。こうした歴史は、デイトン市の公式サイトにも掲載されています。
数ブロックにわたる中心部は夏の昼間でも人通りは少ないですが、歴史的な建物を見てまわることができます。上の写真は、地元の建築家 W.H. バロウズ氏がデザインしたコロンビア郡裁判所で、ワシントン州が42番目の州として誕生する2年前の1887年に完成しました。ワシントン州で継続して使用されている最も古い裁判所として知られています。
1980年代から1990年代にかけて大規模な修復工事が行われ、ワシントン州で最も古い鉄道駅の駅舎(1881年完成)や前述の裁判所などが修復され、国定歴史地区となりました。
ワシントン州東部初の公立小学校(1880年開校)、ワシントン州初の公立高校デイトン・ハイスクール(1881年開校)、そして米国の史跡に登録されている民家や商業ビルなどもぜひチェックしてみてください。
デイトンの20マイル東(約32km)にあるスキー場『ブルーウッド』は、24のコースがあり、スキーとスノーボードのレンタル/修理サービス、レッスン、レストラン、カフェ、パブが揃ったスキー場です。知名度は高くありませんが、ベースの標高はワシントン州で2番目に高く、ワラワラ地域のスノースポーツ好きには人気があります。
ワイツバーグからデイトンに向かう途中、ルイス&クラーク探検隊が通過したとされるルートを通ることになります。先住民が何世紀にもわたって利用していたルートで、その大部分が現在の道路となっています。太平洋に到達したルイス&クラーク探検隊は、1806年5月初旬に東へ戻る途中でこの地点を通過し、9月23日に出発点のセントルイスに帰還しました。
Pendleton ペンドルトン(オレゴン州)
ワラワラまで来たら、南へ車で約45分のところにあるオレゴン州東部の小さな町ペンドルトンまで足を運んでみましょう。
白人の入植者が1860年代に大牧場主から土地を購入したのが始まりで、1880年10月25日に市として併合されました。大恐慌で大きな影響を受けましたが、第2次世界大戦が始まると、国外で戦うパイロットの訓練施設の建設が設置され、町の発展に貢献しました。
そのペンドルトンで1910年から開催されているロデオ大会 『Pendleton Round Up』 は、ラスベガスに次いで広く知られる一大イベントで、カウボーイとカウガールが、荒馬乗りや雄牛乗り、投げ縄などの技術を満員の観衆の前で披露し、点数を競います。最もエキサイティングとされるのはやはり雄牛乗り(bull riding)や、鞍をつけない荒馬乗り。また、美しい羽と民族衣装で正装したネイティブ・アメリカンのパレードも見逃せません。このパレードでは、エンジンのついた乗り物ではなく、ラバや荷馬車、サーリーやモルモン教徒の馬車などが連なるのが特徴です。「Powwow」と呼ばれる、酒宴や踊りを交えた儀式も見物できます。
アンダーグラウンド・ツアー
1800年代末から1900年代始めにかけて建設された歴史的建造物から出発し、ペンドルトンの100年以上に及ぶ歴史をたどるツアー。売春・賭博・酒の密造・中国人労働者の差別など、生々しい過去を目の当たりにできます。90分にわたって歩くため、歩きやすい服装で参加すること。6歳以下の参加不可。
タマストスリクト・カルチュラル・インスティチュート
ペンドルトンから車で東へ約10分のところにある、ネイティブ・アメリカンの歴史と文化を学ぶミュージアム。1万年以上前からこの土地に住んでいるとされるネイティブ・アメリカンの伝説や歴史が年代順に展示されています。特別展も常に開催されているので、ウェブサイトをチェックしてみましょう。屋外にもさまざまな住居のモデルが展示され、中に入ることもできます。館内は撮影禁止。ミュージアム・ストアでは書籍や雑貨などを購入できます。