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iLEAP x JUNGLECITY.COM 「私が25歳だったころ」
ブリット・ヤマモトさん(iLEAP 主宰)

ブリット・ヤマモト

国際アントレプレナー。非営利団体 iLEAP(アイリープ)主宰。アンティオック大学教授。ワシントン大学グローバルヘルス学部臨床助教授。専門は社会変革理論と実践。ミシガン大学アナーバー校文学部卒(文学学士)、ワシントン大学大学院人文地理学部博士課程終了(学術博士)、カリフォルニア大学デービス校大学院地域開発学科修士課程終了(理学修士)。フルブライトフェロー賞の他、ワールド・カウンシル・フェロー賞、ワシントン大学 Excellence in Teaching 賞、アンティオック大学プレジデント賞など、数々の賞を受賞。日系アメリカ人4世。1970年東京都立川市生まれ。

No Guts, No Glory.

振り返ってみると、25歳というのは、僕にとってものすごく大きな転換期だったんだよね。

僕は当時、環境とか教育に興味があったんだけど、具体的に何をしたいのかということまでわかっていなかった。ハワイの会社で働いていたんだけど、その仕事にもあまり興味を持てなくて。そこで、思い切って仕事を辞めて、友達の海外旅行について行くことにしたんだ。インド・タイ・メキシコ・オーストラリア・アメリカ・ヨーロッパのあらゆる国を旅した。その時は日本には行かなかったけど、ずっと頭の中には日本があったんだよね。なぜなら、僕の人生に最も強い影響力を与えたのは、日本人の祖父・山本音太郎だから。

僕は東京で生まれて6カ月後にアメリカに移ってきたんだけど、祖父は日系アメリカ人2世で、いつも僕が幼い頃からいろんな話をしてくれた。たった10歳の頃に1人でアメリカへ来て、英語が話せないながらも生活のためにいろんな仕事をしたらしい。1941年の真珠湾攻撃以降は日本人や日系アメリカ人が強制収容所に収容されて、彼もその一人だった。

その後、日本は戦争に負けたけど、アメリカとつながりを持とうとしていた。アメリカもアメリカで、日本の農家がアメリカに来て農業を学べるプログラムを作っていた。

祖父もカリフォルニアで農業をずっとやっていたんだ。彼の昔からの決まり文句はね、"No Guts, No Glory"。「リスクを取ってでも前に進まなければいけない」。「おじいちゃんはこんなことをしてきたよ、君も挑戦してみたら?」とも言われていた。幼かったときはその意味をよく理解できていなかったんだけど、今、彼の生き様を振り返って、この言葉について改めて考えてみると、本当にすごくタフな人だったんだなあと思わせられる。

人と繋がる瞬間

そんな祖父の影響で有機農業に学ぶべきことが詰まっているとわかっていたので、25歳のときに初めて日本に行ったんだ。このときの出来事がね、僕の人生を間違いなく大きく変えた。

なぜ有機農業かというと、僕が環境に興味を持ち始めた頃からずっと思っていたことなんだけど、人と触れあうために一番の有効な手段は "食" だと思うんだ。"食" って人間に共通なものだからね。この食べものはどこから来ているんだろう、どんな種類の食べものなんだろう、どうやってここまで育ったんだろうとか、そこに思考を向けることが大切なんだ。それが食と人を繋げる出発点にもなる。だから有機農業というのは人と繋がる非常に効果的な方法で、すごく興味深かったんだ。

有機農業についての本を読み漁っていたときに、熊本県の菊池養生園というところに竹熊宣孝先生という有機農業を教えている方がいることを知った。自分が学びたいものとぴったりだと思って、すぐにそこに掲載されていた住所に手紙を書いたよ。当時はGoogleとかネットもなかったし、メールもなかったから、全部アナログだった(笑) 。それから2ヶ月後、竹熊先生から電話がかかってきて、僕がそこへ行くことを快く承諾してくれた。

竹熊先生は栄養学や伝統的な日本のダイエットにとても関心を持っている有名な方で、日本中に講演をしに行っていた。彼も僕にとても興味を持ってくれて、あらゆる場所に僕を連れていって、その場にいた人に僕を紹介してくれた。

もう一つ、大切なエピソードがある。菊池養生園で農業をしていた時、祖父が僕にある新聞の切り抜きを送ってくれたんだ。「この記事を読んだら僕の農場を訪れた日本人グループのことがわかるよ」って。それは1995年のことだったから、それからさらに40年も前の1955年の日本の新聞でね。日本語で書かれてたから僕は読めなくて、竹熊先生に聞いたら、そこから面白いことが起きたんだ。

その記事にあった写真に祖父と写っていたのは、当時の熊本県菊池市の市長。1955年にカリフォルニアを旅していた途中に訪れた僕の祖父の農場について記事に書いていた。市長は祖父の有機農業から得たヒントを日本へ持ち帰り、竹熊先生にどうにか日本でもできないかと話したところ意気投合し、菊池養生園ができたんだ。その40年後、孫である僕がその菊池養生園にいて、農業を学んでいる。

この偶然って、ほんとにすごくない?時代も土地も超えて繋がった瞬間は、本当に感動的だった。だから時々思うんだ。僕は音太郎の夢やレガシーを背負っているんじゃないかなって(笑)。

このときの日本での6ヶ月間のすべてが、僕のターニング・ポイントになった。

祖父が残してくれた、最期の言葉

それから僕はアメリカに戻って農業を始めたんだけど、しばらくたって祖父が亡くなる時、僕にこう言ったんだ。

「百姓、ダメ」

きっと、祖父は僕にもっと楽な仕事に就いて欲しかったんだろうな。一見、これまで僕がやっていた農業を否定したような言葉だけど、この言葉が僕に新しい見方を与えてくれた。"百姓" って、"百" と "姓" という漢字から成り立ってる。つまり、百個の才能(タレント)という意味なんだ。だから僕は、百姓は21世紀のリーダーのシンボルだと思うんだよ。一つのことだけできるよりも、マルチな才能があった方が、より幅が広がるように。だから祖父が最期に残してくれた「百姓、ダメ」という言葉は、僕のお気に入りの言葉。いつか、古い "百姓" を未来に必要な新しいリーダー像に変えてやるぞって、この言葉を思い出すたびに意気込むんだ。

僕がやりたいこと

やっぱり僕は教育にもずっと興味があったし、教えることにもある種の才能を感じていたから、祖父の最期の言葉をどうにか表現したいと思った。

教えるといっても僕が興味を持っていたのは教え方ではなく、教育環境。僕が常に自分自身と向き合い、一歩一歩進んできたからこそ、人が自分自身と向き合うよう手助けできるし、最も貢献できる。だから、その強みを活かすために、iLEAP(社会起業家リーダー育成のプログラム)をやっているんだ。

自然の中に身を置くことで精神面から学ぶという方法は本当に重要だと思う。自然の中にこう、一人で立つと、改めて世界が自分より大きいことを知って、自分の可能性をより簡単に見いだすことができる。その時、学びが変化するんだ。

掲載:2015年4月

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