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iLEAP x JUNGLECITY.COM 「私が25歳だったころ」<br>ローリー・マツカワさん(King5 TV アンカー&キャスター)

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ローリー・マツカワ

ローリー・マツカワ(Lori Matsukawa)
1974年 Miss Teenage America 受賞
1978年 スタンフォード大学 コミュニケーション/ジャーナリズム学士号取得
1983年 King5 Television 入社
1989年 A Society of Profesional Journalists award for Economic Reporting 受賞
1996年 ワシントン大学 コミュニケーションで修士号取得
2005年 Lifetime Achievement Award 受賞、University of Washington’s Communication Department Alumni Hall of Fame
2011年 日本にて東日本大震災を取材
2012年 Pioneering Asian American Broadcast Journalist 受賞
2014年 Silver Circle for lifetime Achievement 受賞

私の20代

25歳というと、ちょうどシアトルへ移ってきた頃ね。22~23歳はカルフォルニア、23~24歳はオレゴン州ポートランドの小さなテレビ局でジャーナリストとして働いていたわ。テレビ局が小さかったのもあって、撮影から原稿作成、番組の制作まで全ての仕事に携わらなくちゃいけなくて、もっと大きなテレビ局に移ろうと考えていたの。そして、シアトルのテレビ局KOMO NEWSからレポーターとキャスターのお話をいただいて、シアトルへ来ることを決めたのが25歳の時だった。実はその時、ロサンゼルスのテレビ局からもオファーを受けていたの。どちらの町で報道の仕事を続けようか本当に真剣に悩んだけど、最終的にはシアトルへ来る決断をしたの。婚約者がシアトル出身で、彼が「シアトルで結婚できたらいいな」と言ってくれたことが、その決断の理由だったわ。

KOMO NEWS に2年半か3年くらい勤めてから、1983年に現在のKING5に移って、ずっとレポーターとキャスターの仕事をしているの。当時、フィルムからビデオテープに代わって、マイクロウェーブの技術が導入され始めた頃だから、現場からライブで報道することが可能になったわ。だから、原稿を考える代わりに、その場で情報を伝えなければならなくなって、思考のスピードを上げる必要があった。慣れない頃のライブ中継は刺激的で学べることが多かったから、本当に楽しかったわ。

このインタビューを受ける前に20代くらいの自分を思い返してみたけど、大学生の頃は、大学新聞のレポーターとしていろいろな人たちに取材をしていたわね。夏にハワイに行って、そのことについて記事を書いたこともあった。大学の外での実践的な活動はジャーナリストの良い経験になっていると思う。高校時代までさかのぼってみると、高校生の頃はスポーツとかは全くやってなくて、所属していたのはスピーチクラブ。たくさんの児童書を読んで、他校の生徒と話の上手さというか、表現力で競いあったわ。私のお気に入りは『Three Strong Women』というお話。日本のお話で、お相撲さんと3人の女性が出てくるストーリーなの。今思えばあのスピーチクラブで磨いた、「人に伝えるための表現力」は、キャスターとしての今の自分に繋がっているかもしれないわね。

両親の支え

私がジャーナリストになることを、両親は最初は快く思っていなかったみたい。メディアの仕事だから、公共のターゲットになるかもしれないと心配してくれていたのね。でも「あなたの幸せに繋がると思うなら、何でも挑戦してみなさい」と言ってくれたから、私はこの仕事を選んだ。

私の両親は先生だったの。医者の親は子どもには医者の道を、親が弁護士なら子どもにも弁護士の道をと考えることが多いと思うけど、先生の場合は子どもに「多くのことを経験してもらう」ことを薦めるんじゃないかしら?だから私は両親に連れられて、シンフォニーやオーケストラ、そしてオペラを鑑賞したり、ダンスやピアノのレッスンを受けたりと、本当に色んな体験をさせてもらった。頻繁に「旅行しよう」と言ってくれて、アウトドアの感覚を私に染み込ませるために、幼いころからディズニーランドに何度も連れていってくれたことは今でもよく覚えているわ(笑)。

大学生の頃、1年早く卒業して学費を節約するか、フランスへ1年留学して普通に4年かけて卒業するか悩んでいたことがあったのよ。あの時だって「もちろん留学して構わないよ。行ける時に行くことが重要なんだ。行くべきだよ。お金のことは心配しないでいいからさ」と言ってくれたの。そのフランス留学が本当に大切な経験になったわ。フランス語が上手になったし、フランスで多くの友達ができた。そして博識な教授の方々から、大聖堂や歴史を中心にいろいろな話を伺うことができたから、多角的に物事を考えられるようになったの。両親は学びや経験の後押しをしてくれて、いつも私の心に寄り添ってくれたわ。「ジャーナリズムは心だから、あなたも心の赴くままに前に進みなさい」。両親がかけてくれた、大事な言葉よ。

ローリー・マツカワ

恩送り~Pay It Forward~

私のこれまでの人生を思い返してみると、周りの人みんなが私のやりたいことを応援してくれた。そうした人々のおかげで、今の私があるの。例えば、音楽の先生。私、実は幼い頃はピアノの先生になりたくて、それを知った先生が管楽器奏者として行く旅行に私たちを連れて行ってくれて。ワイキキ・日本・フィリピン・ニュージーランド・・・。他にもたくさんの国や地域に行って、さまざまなことを発見したわ。そして、あるビジネスマンからは、ビジネスがどう動いているか、どうやってお金を稼ぐかということを学んだ。そして、一番身近な支援者とも言える教師の両親。さっきも言ったけど、私がチャレンジしたいと言うと、いつでも協力的だった。お金のことは心配しなくていいよ、って。きっと、チャレンジすることで知識を得たり、経験を積むことの重要性を認識していたからね。そんな協力的な周りの人たちのおかげで今、幸せな人生を送れている。だって、夫婦一緒に暮らして、素晴らしい家庭も持てて、自分の愛するニュースキャスターという仕事を続けられている。こんな幸せなことってないと思うわ。

そんな私が今できることは何か。それは、若かった自分が誰かに支援してもらったように、今度は自分が若い世代を支援する、"pay it forward"(恩送り)だと、私は思っているの。若かった頃は経済的な面でもたくさんの人にお世話になったけど、学生の時はお金で返すことはできないでしょう?だからこそ、受け取った支援を若い世代に伝えていくことで、人と人との繋がりをどんどん作っていきたい。繋がりはあればある程、いいから。エネルギーを貰えるし。具体的なビジョンとしては、日本人・日系アメリカ人の文化・伝統を保護し、若い世代に共有して、Japanese Cultural & Community Center をサポートし続けたい。10年前の「Japanese Cultural & Community Center を建てる」という目標は達成できたから、それをサポートし続けたいと思っているの。それをすることで、日系アメリカ人の若い世代にバトンを繋いでいきたい。後、個人的なビジョンはゴルフが上手になりたい(笑)。そして両親のことをもっとケアしていきたいな。

私にとって大事なこと

ローリー・マツカワ

私が大事にしていることは、自分が愛せる仕事をすること。だって人生の中で随分長い時間を仕事に費やすでしょ?私の場合、それがニュースキャスターっていう仕事なの。他の人が何をしているか、どれぐらい稼いでいるかなんて気にする必要はないと思う。どんな仕事をしていても、自分より稼いでいる人はどこかにいるし、自分より稼いでいない人もどこかにいる。競争するなんてナンセンスよ。そしてオープンマインドでいることもとっても大事だと思うわ。人と知り合ったり、人と関係性を築いていくことって確かに難しいけど、そこで恐れたり、やらずに後悔してほしくない。世の中、悪いことも起きるけど、90%は良いことが起こると私は考えているの。自分を3つのキーワードで表すとすると、"optimistic" というキーワードは外せないかな。後の2つは、"grateful" と "curious"。"grateful" に恩送りしていきたいし、"curious" にさまざまなことに挑戦していきたい。でも、私の場合、挑戦する中で自分の夢が見えてきたけど、20代で夢が明確に見えていなくても大丈夫だと思う。夢が見えないとストレスを感じてしまう人もいるだろうけれど、夢を明確にするのは時間がかかるものだし。今、考えているところだとしても全く問題ない。自分が幸せになれることってなんだろうって、考え続けてみて欲しい。

掲載:2015年4月

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