1990年代後半のシアトルにも日本食レストランは多くあったが、寿司や天ぷら、すき焼きという伝統的なメニューが中心。一方、自分がやりたいのは、旬を大事にし、地産地消を楽しむ日本食。それをアメリカで広めなくてはという気持ちが強かった。
当時から日本食レストランはたくさんありました。ただ、基本的に日系人が多いということで、そういう層に日本食を提供しているという要素が大きかったですよね。今の日本食レストランというのは、アメリカ人に日本食を提供するということが主流です。インターナショナル・ディストリクトには今の倍以上の日本食レストランがあったわけですけど、伝統的なメニューがあるお店ばかり。そういうのから抜け出したいということで、『Chiso(馳走)』 を開店したというところもあるんですけど、当然クラシックなものもしっかり出していました。ただ、スタッフもアメリカ人にして、お客さんとコミュニケーションをもっと上手にやっていくというのが目標でした。
自分は食べ物が好きですし、もっとアメリカ人に、時代に合った日本食を広めたいなという気持ちがありました。シアトルの食材はいいものがありますし。でも当時はローカルとかシーズナブルとかいう観念が、日本食レストランだけじゃなくてアメリカのレストランでも、そこまで浸透してなかったですね。僕はシアトルのローカル性みたいなこと、例えばどうしてシアトルの人はこうなのか、天気のせいなのかなんなのかということに興味がありました。日本にいると季節のものをご当地で食べるというのは日本人の楽しみですからね。そういうのをアメリカ人とも分かち合っていけたらと思っていましたし、今でも目標です。日本食のすばらしいところは、その地でその場所の材料を使って日本の食べ物を作りだすことで、日本から全部輸入してとか、冷凍を輸入してを使って作るというものではないと思いますから。アフリカに行ってアフリカの食材で日本食どうやって作るかとか、そういうことを考えるのが僕はすごく好きなんです。
シアトルで手に入って、日本食に使えるようなものは、やっぱり使っていきたいですよね。特に魚は自分が釣りをするから、こういう魚がいるって知ってることもあってこだわってますよね。サステナブルなのかサステナブルではないのか自分で考えて、サステナブルなら店で出そうと決めるんです。そういう食材はやっぱりうまい。あと、マイナーな季節のもの、マイナーな旬のものもお客さんに出したい。春だったらタケノコだけじゃないし、珍しくてうまいもん食べたお客さんも喜びますよね。ニューヨークからシアトルに来て、シアトルのここでしかとれない魚のいちばんおいしいとこを、寿司で喰ったっていったら結構インパクト強いですよね。そういう喜びを皆さんに感じていただきたいですよね。