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iLEAP x JUNGLECITY.COM 「私が25歳だったころ」<br>北村太一さん(鮨割烹 『田むら』 オーナーシェフ)

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常に考えているのは、コミュニケーションの大切さ。それもうわべだけでなく、人間同士の付き合いや信頼関係というもの。自分が住んでいる地域や国の社会や文化を知ってこそ、お客さんとしっかりした関係を築くことができる。失敗も経験のうち。

やっぱり人間レベルの付き合いが大事になりますよね。今までなかったところに喜びを発見するということは、すごく大きな喜びなんですよね。日本人が普通に持ってて当たり前やと思ってることを、コミュニケーションを通して世界の人に伝えたいんです。向こうも「こいつは俺を喜ばそうとしてるくれてるんやな」ってわかってくれますよね。シェフの気持ちが伝わったときっていうのが、ものすごく大きな喜びなんです。それをオープンキッチンで寿司バーでやってると、ひしひし感じられる時というのは、やっぱりこの仕事をやっててよかったなって思います。

小さいことなんですけど、まず信頼してもらうこと。信頼関係ってのはすごい大切ですよね。美容師さんとか歯医者さんとか、やっぱり知ってるとこのほうがいいっていうのとよく似たもんだと思います。このコミニュケーションを大事にするってスタイルは、だいたい25歳の頃に確立されました。常にそうしないといけない、と考えていましたよね。

僕ね、25歳でも、結構冷静に分析していました。あと、アメリカ社会とかアメリカ人に対する理解度がちょっとあったんですよね。自分の住んでるところでどういうことが起こってて、自分が住んでる社会はどういう風に動いてるとかが気になるんです。せっかくアメリカに来たのに、言葉の壁があるからといって、ギブアップしてしまうのはちょっと残念だなと思いますよね。関西の人はよくわかると思いますけど、なんか面白い事言って受けたら楽しいでしょ。それをアメリカ人のセンスのユーモアで言えるようになったときには、これはもうむっちゃ楽しいですよね(笑)。

当然すべてのことは肥やしとなってますよね。失敗したなと思うことはあんましないですね。強いて言うなら、仕事ばっかりで、アメリカらしいカレッジライフを送れなかったことですかね(笑)。でも後悔することはあんましよくないんでね。これからいかに、どうやってそれを経験にしていくかっていうことだと思いますね。

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