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iLEAP x JUNGLECITY.COM 「私が25歳だったころ」<br>北村太一さん(鮨割烹 『田むら』 オーナーシェフ)

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開店する場所はシアトルしか考えていなかったという北村さん。大都会ではない、適度なサイズの都市と自然が調和しているこの土地が自分にあっていると分析する。

高校のときにシアトルに来た理由っていうのも、自然がきれいというのがありました。京都で育ってると、きれいはきれいですけど、海があったり、雪山が見えたりとかそういうことはないわけじゃないですか。ここにおったらそれは全部ありますし。かといって結構なサイズの町なんで、アーバンライフとかそういったものも両立できるような立地条件ではありましたよね。大都会に対する憧れみたいなものはあんまりなかったです。うちにきたお客さんに喜んでもらってたらそれでええかなって。わかってくれる人が、僕のお客さんとして来てくれる人が、喜んでくれたらそれでええわって。それで自然に認められたらええなって思うし。

25歳のときは、天下とったろうって思ってましたけど(笑)。具体的にどうやって取ったらええかはわからないんですけどね。日本に戻る気は当時からなかったです。アメリカで自分の居場所がわかってたし、こっちの社会を理解してしまってたから。今後も、日本に店を出すとかいうよりは、アメリカに来たい人に、(こちらでの)コミュニケーションのとり方とか、そういうことを教えたいと思いますね。

25歳という時期は、いろいろなことを吸収しながら、勉強し、努力する時期と、振り返る。これから転機を迎える人へのアドバイスは、「いろいろな経験をし、いろいろな人と出会うこと。そして、人間関係を大事にしていくこと」。

最終的に店を出したのは27歳の時ですけど、25歳の時にやったことをやってなかったら実現してないわけですから。やっぱり具体的な目標があって、それのために着々と準備を進めていくということで、25歳というのは大事な年でしたよね。焦って具体的な目標を見つけようとするのはオススメできないですね。

いろんな物事を見て、いろんな人と会って、いろんなこと勉強して、ああ自分はこれなんじゃないかなと。ある時点でもうだいたい見たから俺はこれやと。これやったら社会に貢献できるし、生活していけるしってことがみなさんあるといいんですけどね。でも、焦っちゃいけないと言いたいんですけど25歳の段階やったらやっぱりちょっと焦ったほうがいいですよね(笑)。その段階でおそらくこれやろうということは、もう追い求めるべきですよね。別に後からでもやり直しできるんですよ。物事10年やったらだいたい、「あ、こんな感じなんや」ってわかりますから。そのまま一生いけるのか、それで一生やっていけへんのやったら他のことやったらいいんですから。その辺はアメリカはいいところがあると思いますよね。やっぱりいろんな経験をすることっていうのは非常に大事ですよね。

この記事は、東日本大震災をきっかけに誕生した米国と日本の TOMODACHI イニシアチブの一環として、社会企業家を育成するシアトルの非営利団体 iLEAP が始めた 『TOMODACHI SIIS Scholar Program』 に参加した大学生の方々が中心となって執筆したものです。
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