- 総領事の仕事を子供に説明するとしたら?
いくつぐらいの子供さんでしょうか?(笑)中学生ぐらいの子供さんになら、「総領事館は日本政府の出張所で、その所長のようなものである総領事は、日本を代表して、日本の国と日本人のための仕事をいろいろやっています」と説明しますね。
総領事の一日には、政治や文化関連の面談、イベントの主催や出席、総領事館内のマネジメント的な仕事、外務省との情報処理など、さまざまなことが分野を問わず、順序だてなく、組み込まれています。一日として同じ日はありません。
総領事館が主催するイベントには、一度に大勢の方をお招きしておもてなしするレセプション、少人数の昼食会や夕食会などがあります。例えば、12月は天皇誕生日のレセプションがあります。こういったレセプションには、アメリカ政府やアメリカ軍をはじめ、地域のいろいろな団体の方々をお招きし、日本の食事をご提供しますが、その目的は、日本に良いイメージを持っていただき、良い関係を保ちたいと思っていただくことです。食事をしながら話をすると、さらに親しみがわきます。また、いろいろな方と面談もしています。最近では、(ワシントン州選出の)デイブ・ライカート下院議員と、自由貿易や TPP の大切さについてお話しました。このように、さまざまな方にお会いし、日本のことを理解してもらい、日本の友人になってもらうことはとても大切な外交活動の一環ですね。
- 幼い頃から外交官になりたいと?
ええ、そうなんです。中学生ぐらいから外交官になりたいと思っていました。そして少しずつ準備して、幸いにして外交官になることができました。ただし、子供の頃に漠然と考えていた外交官の仕事と、実際にやっていることがどれだけ合致しているかは別の話(笑)。どれだけ思っていたほどできているかというと、それほどでもないんです。ただ、仕事の職種としてやりたかった仕事です。でも実は、もっと幼い頃は、物理学者になりたかったんですよ。なぜなりたかったかというとね、湯川秀樹の自伝を読んだからです。ノーベル賞がほしかった。そういった野望もあったんですよ(笑)。
- シアトル赴任当初と今で感じるシアトルの違いは?
シアトルに赴任してまだ3年少しなので、私個人としては長年いらっしゃる方が感じておられるほど大きな変化を感じていないのですが、3年前と比べ、日本の市町村や都道府県が多くのミッションをシアトルに送るようになってきたと思います。
安倍内閣になってから、地方創生の動きが活発化され、経済的な目的、例えば日本の地場産業を輸出する、地元の人材育成のためにワシントン州の力を借りたいというようなことで来られるのが多いですね。企業活動では、MRJ などが活発化してきており、ワシントン州は日本にとってとても大事な州という感じがますます強まっています。
- これまで赴任した土地にはない、シアトルの良さとは?
外務省に入省すると、勉強する語学を一つ選ぶのですが、私は英語を選び、アメリカ赴任を希望しました。そして、幸いにもアメリカに来ることができました。
アメリカ国内では、研修ではコネチカット州のニューヘイブン、そしてワシントン DC の大使館にも勤務しました。ニューイングランド地方は歴史が長くて、いいところもありますね。そして、ワシントン DC はとてもコスモポリタンで、いろいろな国の大使館があり、いろいろな料理のレストランも多い。
でもやはりどちらもシアトルと比べれば、アジアとのつながりが深い感じではないですよね。シアトルだけでなく西海岸の都市は日本との絆が深いという面があり、それが心地安さ、住みやすさにつながるところがあるんじゃないでしょうか。
世界一の大国で、とても魅力的な国であるアメリカで、場合によっては日本人として疎外感を感じることもあると思うのですが、アジア系が多く、日系コミュニティもしっかりしているシアトルは比較的疎外感をあまり感じさせずに生活させてくれる街ではないかと感じています。そういう意味で私の中ではシアトルの評価は高くなるばかりで、住めば住むほど、いいところだと思いますね。海に近いのでアジアの食材も豊富ですし、雨が多い気候はネガティブにとらえられることもあるものの、それだけ水が豊富で湿度が日本ほど高くなく、乾燥しすぎることもない。そして、アメリカ本土では日本に一番近く、日本とのフライト時間も短い。全日空がシアトル~日本直行便を就航したので、日本の方が来やすくなった。いろいろいいことがありますね。
- この3年間で日本人コミュニティで印象に残っていることは?
あまりにもたくさんありすぎて選べないのですが、比較的最近の中から3つ挙げるとすれば、2015年の二世退役軍人会による戦死者の慰霊式典で挨拶を求められたことが一つ。これまで日本の総領事は出席はしても挨拶を求められたこと一度もなかった。戦後70周年という一つの区切りということもあったと思うのですが、二世退役軍人会と日本が少し和解したように感じ、思い出になりました。また、昨年、ジャパンフェアが秋祭りの後を継いで成功裏に開催されたことも一つ。その11月には日本との交流にとても力を尽くしてくださったジム・マクダーモット下院議員が引退されることを記念して、いろいろな日系団体の協力でレセプションを開催することができました。
- 総領事としてこれはやっておきたいと思うことは。
仕事の面では、TPP ですね。私がワシントン DC の大使館で勤務した1980年代と言えば、日米経済摩擦の最中で、日米間での自由貿易協定なんてとても実現できないと思われていました。TPP は多国間の協定ですが、何年にもわたり大変な苦労をして作ったもので、アジア太平洋に新しい時代が訪れ、日米が意味のあるリーダーシップを発揮する、そういう協定なのです。だからぜひ新政権の人たちにもその良さをわかってほしいと思います。雇用など、TPP の問題点もあるのですが、それは別の国内措置で対応できると思うんです。20年間もかかって大変な事件を解決したデイブ・ライカート下院議員も「大きなことを成し遂げようと思ったら、簡単にあきらめてはいけない。何年も努力し続けると、道が開けてくるものだ」とおっしゃっていました。新政権もまだ発足していませんから、どういう政策を打ち出すかはこれから。それを見ながら、われわれは TPP の重要性をアメリカの関係方面に訴えていきたいと思います。
また、この地域の日本人コミュニティにとってこれからも大切なのは、航空宇宙産業。直接この産業で働いていない方でも、地域経済という面でボーイングや航空宇宙産業の影響を受けています。そこに日本が独自に開発した MRJ が来て試験飛行をやろうとしている。MRJ 自体は、エンジンも重要な部品も50%以上がアメリカ製で、実際は日本がアメリカとともに開発している航空機なのです。さらに、ボーイング社がカスタマーサポートに協力してくれることになり、運営面でもアメリカのサポートを受けることになります。それでもやはり、「日本が作った飛行機だ」と、アメリカ社会では警戒する人もいるかもしれません。ですから、これからもボーイングと良い関係を保ちつつ、日本に航空産業が根付いて成長していくかどうかを左右するような大きなプロジェクトである MRJ が成功できるよう、みなで見守ることが大事なのではないかと思います。
大村昌弘・在シアトル日本国総領事 略歴
1955年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。1980年、外務省入省後、アフリカ第二課長、(財)日本国際問題研究所研究調整部長、在ウィーン国際機関日本政府代表部参事官、在ケニア大使館公使を歴任。内閣府経済社会総合研究所上席主任研究官、人事院公務員研修所副所長を経て2013年8月より在シアトル日本国総領事。