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小学校合唱指導教諭 ソコリック奈緒子さん「音楽を通して国際交流を実現」

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ソコリック奈緒子さん

ソコリック奈緒子(そこりっく・なおこ)

熊本県出身。高校在学中にロータリーの奨学金を得て1年の交換留学へ。その間に師事したピアノ教師の勧めもあり、アメリカの大学に進学して音楽を学ぶ。ワシントン州立大学で学士号、セントラル・ワシントン大学で修士号を取得。2006年にワシントン州の州都オリンピア郊外のイェルム市にあるプレイリー小学校の音楽スペシャリスト/合唱指導教諭となり、現在に至る。

高校留学を経て大学進学、長期留学は予定外

熊本県の高校在学中にロータリーの奨学金を得て1年間の交換留学でアメリカに来ました。田舎育ちでピアノを習うことができなかった母の希望で2歳半からピアノを習っていましたが、留学中も月々のお小遣いを有意義に使うためにアメリカでもピアノの先生を見つけたのが、すべての始まりです。それまではずっと「やらされている」と感じていましたが、アメリカ人のその先生の教え方がとても素晴らしく、ピアノがさらに好きになりました。

その先生の勧めでアメリカの大学で音楽を学ぼうと、ワシントン州立大学へ。学士号を取得した後は、セントラル・ワシントン大学の大学院でさらに音楽を学び、修士号を取得しました。実はそのままネブラスカの大学で博士号を取得したいと思っていましたが、アメリカ人の夫と結婚したため予定変更。夫が音楽科を卒業するまで、私は近所の中学校や高校で伴奏の仕事をしていました。そのうち、その学校の合唱の先生が「先生になれば?」と言ってくれたことがきっかけで、ワシントン州の奨学金を得て勉強し、教員免許を取得しました。

その後、夫が故郷であるワシントン州の州都オリンピア市で教育実習をすることになり、夫婦で引っ越してきたのですが、たまたまイェルムの小学校が音楽の先生を募集していることを知って応募し、採用されました。幼い頃から音楽を教えるのが夢で、だから大学院まで行こうと思っていたぐらいだったので、その夢が叶ってとても嬉しかったです。夫も今は中学校でオーケストラを教えています。

日本語の歌を教え始めて-自分しかできないことをやりたい

シアトルと同じワシントン州西部にありながら、イェルムはとても小さな町で、有色人種があまりいません。ですから、赴任当初は私の存在そのものが目立っていた上、私自身の中にある日本の教育をベースにした教え方は「アメリカらしくなく、厳しい」と思われていたそうです。厳しさについては今も変わりませんが、当時のことについて校長から「あなたのスタイルを受け入れるのに1-2年かかった」と言われました。

ソコリック奈緒子さん

ワシントン州と兵庫県の姉妹提携50周年記念事業での合唱のために訪れた
州都オリンピアの議事堂にて、教え子たちと。

子供達に日本語の歌を教えるのは、やはり自分しかできないことをやりたいと思ったからです。最初から日本語で教えていますが、新しい歌を教える時は、まず楽譜を読ませます。最初に歌を聴かせてしまうと、すぐに覚えてしまうからです。そして歌詞を十分に練習してから初めて歌います。言葉で感情を伝えられるのが歌。日本の歌は、ただハッピーなだけではなく、哀愁が漂うものもありますね。そういった豊かな感情を感じてもらいたいと思っています。歌を教えるのと同時に、そもそも日本のことをよく知らない、アジアの国々を混同している保護者や生徒に、日本のことを教える必要もあります。例えば、同じアジアでも中国と日本は違うということは、「同じ北米でもカナダとアメリカは違うよね」というように説明するとわかってもらえます。

そんな子供達が日本語の歌を歌えるようになり、桜祭や日系コンサーンズで合唱して喜んでいただけるようになるのは、本当に教えがいがあります。私が担当しているのは日本で言う年長から6年生までなので、今年6月にはそれまで7年間もずっと私が音楽を教えた生徒達が卒業していきました。音楽の授業は週に2時間あればいい方ですが、7年もあればお互いのことをずいぶんわかりあうことができますし、保護者や兄弟姉妹との信頼関係も生まれます。

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