竹村朴美(たけむら・なおみ)
愛媛県の宇和島生まれ。幼少時代は広島で過ごす。母や叔母の影響で、妹ともに幼い頃から茶道に親しみ、京都の学校に進学してからも茶道を嗜む。渡米して最初に住んだカリフォルニア州で茶道を教え、1995年に移り住んだシアトルでは2005年ごろから教え始める。現在は1971年に設立された裏千家淡交会シアトル協会の一員として、週に3日間は子供から大人のための教室を開講し、後進の教育に従事している。
茶道の心が表れたおもてなし
教室の床の間にかけられた、『喫茶去』 という掛物。茶道で最も大切な場所とされる床の間にはその日のテーマのようなものを表した掛物をかける。
『喫茶去』 は “すわってどうぞお茶を召し上がってください” という意味で、わざわざお越しくださったことへの感謝の気持ちを表しています。教室を行う時にかける掛物は、基本的に季節を表すものをかけます。
また、床の間に飾る花は、生け花とは異なり、野に咲くように差します。千利休の「利休七則」にありますが、「花は野にあるように」ということにもとづいています。
茶道具とともに渡米
結婚を機に渡米したのは24歳の時。持参したものの中には、特別に見繕った茶道具があった。
まさか自分がアメリカに来ることになるとは思っていませんでした。夫の父親はシアトルの南東にあるホワイト・リバー仏教会の僧侶で、日本生まれの夫は最初から僧侶になる教育を受け、私より10年早く渡米していました。
「花嫁道具などいらない」と言われましたので、京都の四条にある龍善堂で見繕ってもらったお茶道具を持って来ました。その時はアメリカで茶道を教えようという考えはなく、その茶道具が自分の心の拠り所だったのだと思います。日本を出る前に茶名をいただき、一昨年に家元より正教授をいただきました。
そして、三人目の子供が8歳になった頃の1982年頃、当時住んでいたカリフォルニア州でお茶を教え始めました。シアトルには来たのは1995年ですが、教室を開いて教え始めたのは、仕事で多忙な夫の手伝いが一段落した2005年頃ですね。
茶道の魅力
日本から遠く離れたアメリカで日常的に茶道を嗜む。竹村先生にとっての茶道の魅力とは何だろうか。
私が最初に感じた茶道の魅力は、作法のリズムでした。とてもリズミカルなので、心が集中し、無になります。また、茶道の作法は、無駄がなく、理にかなっています。そんなことが普段の生活にも役立っているように思います。
そして、茶道は「もてなし」の美学。お客様は亭主(お茶をたてる人)を、亭主はお客様を、そしてお客様はお客様同士を、思いやり、もてなします。無駄は省くけれども、そんな「もてなし」でひと手間をかける。茶道に親しんでいると、相手を思いやる心が自然と身につき、気持ちが豊かになるのではないでしょうか。
また、茶道は季節と密接していますので、習い始めてすぐに季節を感じるようになった自分に気づく生徒さんが多いです。何を通して季節を感じるかは個人によって異なりますが、春なら春を、夏なら夏を、いつもと同じような茶道から感じるのです。
裏千家淡交会シアトル協会の会員は約50名に
裏千家淡交会シアトル協会には現在5人の先生と約50名の会員が所属し、シアトルやタコマで教室を開講している。新年を祝って開催する初釜は年々参加者が増え、今年は生徒も合わせて約80名が出席した。
今年の初釜の時にも申し上げましたが、あの催しは、人、物、時間など、すべてが揃わないとできないことです。あの中の誰一人、何一つ欠けてもできない、一期一会の世界です。すべての人々、お道具などすべての物への感謝の気持ちで一杯になります。
利休と歴代のお家元の素晴らしい教えを、私は一生をかけて勉強するのみです。今の若い世代の生徒さんたちにも、どんどん茶道の心と作法を伝えていってもらいたいですね。茶道は作法がありますが、堅苦しいものではありません。着物を着ることやお菓子を楽しみに来ている人もいれば、子育ての間の息抜きに月に一度来ている方もおられます。その方曰く、「知らなかったことを知ることで、心が落ち着く」。まだ茶道を体験したことのない方にも、ぜひお気軽にご連絡いただければありがたく思います。
取材前のお茶
主菓子は、練りきりの中に白味噌餡が入った、竹村先生お手製のきんとん。干菓子は日本からの落雁。
取材後のお食事
取材後にいただいた、竹村先生お手製の点心。「もてなし」を堪能させていただいた。
掲載:2014年3月