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"Kaiseki" 料理人 俵裕和さん「日本人として、伝統的な日本料理を伝え、広めていく」

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Kaiseki

たわら・ひろかず/大阪府生まれ。同志社大学卒業後、憧れの料理の道へ。京都の料亭で修行を始め、さまざまな店を渡り歩いてキャリアアップし、29歳で割烹店の料理長に。しかし、旅行先のカナダでふと浮かんだ「海外で店を持つ」という夢が自分の中で大きくなり、一念発起して2005年に渡米。シアトルの 『しろう寿司』 や 『田むら』 などで経験を積み、2015年春に独立。シアトルの観光名所パイク・プレース・マーケットでのイベント開催を皮切りに、"Kaiseki" を日常用語にしていくという静かな情熱を持つ。
【公式サイト】 hirokazutawara.wix.com/kaiseki-chef-hiro

憧れの料理人となり、一念発起して渡米

幼い頃から料理が好きで、小学生の頃から漫画 『美味しんぼ』 を愛読していたこともあり、憧れの職業はいつも料理人でした。

大学卒業後、念願がかなって京都の料亭で修行を始めることに。22歳の時です。でも、2000年代に入ると、「海外では日本料理がブーム」「日本人ではないシェフも日本料理の技術を学んでいる」という報道を耳にするようになり、大学時代の海外旅行で頭に浮かんだ「海外で日本食を伝える」というアイデアが自分の中で大きくなっていきました。「それなら海外で自分を試してみよう」と渡米したのは、今からちょうど10年前の2005年のことです。

10年で見えてきた、シアトルの変化

渡米当初は何もかもこれまでとは違う刺激的な毎日に夢中でしたが、数年して落ち着いてみると、当時は寿司といっても巻き寿司、それ以外の日本食で本当に一般的に知られているのは焼きそばぐらい。入国審査で「職業は "chef"」と言うと、「"Sushi chef" だね」と言われるぐらい、シアトルで「日本人のシェフ」と言えば「寿司シェフ」しかありませんでした。

Kaiseki

でも、それから10年で、シアトルは少しずつ変わってきました。寿司以外の日本食が少しずつですが知られるようになり、本当の和食の味が好まれるようになってきています。でも、伝統的な日本料理はまだまだ知られていない。それならやはり、自分が学んだ知識や技術を総動員した "Kaiseki" を作る料理人として自分をプロデュースし、チャンスを自分で作っていかなくては。そんなわけで、渡米10年目の今年、本格的に始動することにしました。

"Kaiseki Chef Hiro" として

Kaiseki

その第一歩が、シアトルきっての観光地である、パイク・プレース・マーケットでの "Kaiseki" のイベント開催です。

いろいろな人が集まってくるこのマーケットは、コミュニティの一員として地元を盛り上げることをするのにぴったり。15人の小さなイベントですが、このイベントをしたら成功というよりも、これをスタートとして、シリーズ化するなど考えています。

日本語では「懐石」「会席」とあり、それぞれに内容が違っています。特に「懐石」「茶懐石」と呼ばれるものは細かな決まりごとなどがたくさんあるので、「それは懐石ではない」といった意見がいろいろ出てきます。でも僕は、日本語で書く時にもあえてローマ字で "Kaiseki" と書くことで、漢字の意味や形にとらわれずに、日本食・和食のさまざまな素材・調理法をコースで少しずつ楽しむ「懐石」「会席」のエッセンス、特に季節の表現というものに重きを置いています。

例えば、3月なら雛祭り。女の子の成長を願って人形を飾るという習わしにちなみ、お雛様を模した手毬寿司で華やかにし、一生のパートナーに巡り会えますようにという願いを込めて左右一対の貝を使うといった工夫があります。ただ食べるだけでなく、知識を得られてもっと楽しくなるような、素敵な話を盛り込んだ体験にしたい。そんなわけで、これからは "Kaiseki Chef Hiro" で行こうと考えています。

Kaiseki

失われる寸前の日本の伝統をつないでいきたい

Kaiseki

また、"Kaiseki" は、さまざまな職人たちの知識と技術、そして日本文化の集大成でもあります。"Kaiseki" を作る包丁にしても器にしても食材にしても、一つ一つがプロの仕事。昆布は単に「干した海草」ではありませんし、鰹も包丁も、単なる燻製の魚でも、食材を切る器具でもありません。今それを手がけてくれているご高齢の職人さんがいなくなったら、何百年もの時を経て研ぎ澄まされてきた人類最高の知識と技術が絶えてしまう瀬戸際に来ている、そんな貴重なものなのです。

そうしたものを作っている職人さんの物作りは映像としてもデータとしても記録されていない場合が多いので、その人がいなくなったら本当に終わりです。もう同じものは二度と再現できません。ですから、最近は仕事用の包丁を日本で買うと、「もうこれが最後」と言われます。

Kaiseki

実は、そんな価値の高い、やり直しがきかない、世界にもっと認知されなくてはならないもの、それこそが日本が誇り、守り、世界に広める必要のある「クール・ジャパン」ではないでしょうか。せっかく和食が世界遺産になったわけですし、日本にあるそうしたものを知らしめて国内外に需要を生み出していけないか。アメリカ人シェフとのコラボをしたりすることで、日本人以外の人の間で "Kaiseki" を新しいブームにし、日本国外に広め、そしてそれをきっかけにして日本に日本の伝統料理を見直してもらえたら。それが、"Kaiseki Chef Hiro" としての役割だと思っています。

掲載:2015年3月

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