ワシントン州初の日本人経営の不動産会社・宏徳エンタープライズの代表を務める菅沼愛子さんが、今年9月、その波乱万丈な半生をつづった著書 『降っても晴れても』 を幻冬舎ルネッサンスから出版した。
「生きているうちに息子に渡せる遺言と言うのかしら」。
そう言った菅沼さんの顔にはあたたかい笑顔が広がっていた。おそらく目の前には今年40歳になるという息子の秀夫さんの姿があったのだろう。「なかなか口では言えないことだし、口で言っても時間と共に忘れていってしまうでしょう。だからその時その時に思ったことは忘れないように、秀夫が生まれた時から書き溜めていたの。広告の紙の裏とかに。そしてそれを箱に入れて保管ていました。いつか整理しないといけないと思いながら」。
そのきっかけは、2001年から2005年までシアトル・マリナーズでプレーした長谷川滋利氏が作ってくれた。秀夫さんと年が近いこともあり親しくなった長谷川夫妻と食事をした際、アメリカに来てから起きた出来事について聞かれたのだ。菅沼さんが、左手の肘から先が指一本しかないという障害のある生後1歳10ヶ月だった秀夫さんを抱え、駐在員の妻としてとしてワシントン州シアトル市に派遣されたのは1970年だった。多忙だった夫の宏之さんを支えながら、初めての外国生活にも臆することなく、英語を学び、運転もし、新しいことに果敢に取り組んでいく。温かく迎えてくれた近所の人たちとの交流、そして生涯の友との出会いといったアメリカで暮らしているなら誰もが経験するであろうさまざまな驚きや喜びの経験は、悩みぬいた結果の秀夫さんの腕の手術、その後の親子での奮闘、そして夫の闘病と早すぎる死という予想外の展開に直面した菅沼さんを支え、前に進む力を与えてくれた。衝撃的な事件で大けがをしても、持ち前のバイタリティで乗り越え、ワシントン州で唯一の日本人経営不動産会社 『宏徳エンタープライズ』 を設立 -。「そんなことをいろいろ話したら、”それ、本にしてこの世に送り出してよ” と長谷川さんが言われて。私は、”えっ?” と驚きました。本にするなんて、考えたこともなかったから」 しばらくは “自分の半生を本にする” かどうかを考える日々が続いた。いったい、そのような本を出す意味があるのか。あったとしてもどういう意味があるのか。しかし、ふと気づけば、2009年で秀夫さんは40歳になり、初孫は1歳になる。「書くことで、記念になるのではないか」 そう思った菅沼さんはペンを取り、5万字を書き上げて長谷川さんに送った。
「自分の言葉のままにすることにこだわるなら自費出版しかない」と言われたが、勧められた幻冬舎ルネッサンスの公式サイトで小玉圭太氏の熱い思いを読んで感動し、すぐ東京に飛んで小玉氏に会って決心。「本にするには10万字が必要」と言われた時は気が遠くなる思いだったが、昨年12月末に大雪で外出できなかったことを利用して残り5万字を書き上げた。当初は「息子に読んでもらえれば」と思っていたのが、9月の出版を機に日本を訪れた時に乗った電車で、「1人でも多くの人に読んでもらいたい」という思いに変わった。「日本に行くたびに、日本がだめになっていくのを感じます。私が乗っていた車両は、そんな今の日本の縮図のようでした。表情が暗い人が多い。年配の人がすわるべきシルバーシートに若い学生がすわってぺちゃくちゃとしゃべっていて年寄りが前に立っても席を譲るどころか完全無視の学生、大人は寝ている人が多い。本を読んでいたのは1人だけ。これではいけない、と」。
たいていの人には起きないような予想外の展開が起きても前に進むことができたのはなぜなのか。そんな疑問を菅沼さんに投げてみた。「いろんなことにぶつかっても、人に優しくなくては乗り越えていけないでしょう。誠実であり優しくあることを忘れ、ごまかすとか、利用するとか、そういった人生を送ったら、心豊かに生きていけません。いつか行き詰まってしまうでしょう」。
一番の読者の秀夫さんは、「感動して、どうやって感謝していいかわからない」と言ってくれたという。菅沼さんの読者へのメッセージは、「私もがんばるから、一緒にがんばろう」。今後もしまた本を書くことができるなら、菅沼さんが保護し育てている犬猫たちを主人公にした 『ボロボロの天使たち』 という本を書きたいという。「今までに多くの虐待されたり捨てられたり、迷子になった犬猫を保護しましたが彼らは人間以上に感情豊かだと感じます。言葉が話せなくても多くのことを人間に話しかけているのだと思います」。
最後に菅沼さんは、「人との縁を大切に」と言った。「意見の相違はあっても、ここまで来られたのは人のおかげであることを忘れないで」。
菅沼愛子 略歴
1944年生まれ。1970年に夫の転勤にともなって息子と渡米。夫をガンで亡くしてからアメリカで生きていくことを決心し、1991年に起業。翌年にはワシントン州で唯一の日本人経営不動産会社・宏徳エンタープライズを設立し、その代表となって現在に至る。1999年にはワシントン州不動産協会から 『トップエージェント1%』 として表彰された。
>> 宏徳エンタープライズ
掲載: 2009年10月26日