シアトルの北東に位置するカークランド市。レイク・ワシントンに面した小さなダウンタウンには、ギャラリーやレストラン、ブティックが並び、レイク・ワシントン周遊クルーズの離発着ポイント、ボートを係留できるマリーナ、コンサートなどが行われる公園などがあります。
2000年代に入ってからは、Google や Tableau、PACCAR 傘下の Kenworth Truck Company、Astronics、WB Games、Wave Broadband、Inrix、Bluetooth Special Interest Group などが進出し、街が急成長中。2014年には『Money Magazine』の「アメリカで住みたい街」ランキングの5位に選ばれました。
概要(2018年推定 国勢調査)
人口 | 89,557人(2018年) 48,787人(2010年) |
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面積 | 12.09平方マイル (31.2平方キロ) |
世帯年収平均 | $109,715(2018年) $60,332(2000年) |
学士号以上保持者 (2014-2018:25歳以上) |
60.6% |
住宅価格の中央値 | $607,800 |
住宅の戸数 | 36,143軒(2018年) 20,736軒(2000年) |
人種 | 白人 76.3%、アジア人 14.3%、ヒスパニック/ラテン系 7.6%、黒人 1.2% |
カークランドの歴史
カークランドという名前は、イギリス出身の鉄鋼王ピーター・カーク氏(Peter Kirk)に由来しています。スノコルミーの豊かな資源と、チッテンデン水門の建設に目をつけたカーク氏は、ここレイク・ワシントンの東側に「西部のピッツバーグを作る」という計画の下、1880年にシアトルの企業経営者達と起業しました。しかし、1893年の株の暴落で、せっかく建設した工場は何も生産することなく閉鎖してしまいました。運河の開通を望んで町に残り、所有地を切り売りしていたカーク氏は、ついに1910年にすべてを売却、サンファン諸島で老後を送り、1916年に睡眠中に亡くなりました。
その後、カークランド市は造船産業と毛織産業で金融危機を乗り越えました。レイク・ワシントンを横断するフェリーに始まり、世界大戦に突入する頃には戦艦まで造るようになり、1939年には約300人だった作業員は第2次世界大戦中の1943年には9千人近くまで急増。レイク・ワシントン造船所は合計29の戦艦を海軍に納品し、戦争中は500隻近くの修理を行なったとされています。
現在、この造船所があった場所は高級ホテルや小売店、マリーナやレストランが並ぶカリヨン・ポイントとなっています。カリヨン(carillons)とは組み鐘のこと。ワシントン州初の毛織工場ができたのは1892年。カークランドで製造された毛織の商品はアラスカのゴールド・ラッシュや第一次世界大戦で使われたそうです。
カークランド市 公式サイト
www.kirklandwa.gov
更新:2019年12月