MENU

日本人・日系アメリカ人強制収容80周年記念式典 最初の強制収容対象となったベインブリッジ・アイランドで開催

  • URLをコピーしました!

第2次世界大戦中の1942年、アメリカ合衆国政府によって強制収容された日本人と日系アメリカ人は約12万人。

その中で最初に強制退去の対象となったシアトル近郊の島、ベインブリッジ・アイランドから当時島内に住んでいた乳児からシニアまで276人が強制収容されてから、3月30日で80年を迎えます。

ベインブリッジ・アイランド 日本人・日系アメリカ人強制収容80周年記念式典

今年は30日午前11時から正午までベインブリッジ・アイランドにある日系人の強制収容の歴史を伝えるメモリアル 『Bainbridge Island Japanese American Exclusion Memorial(ベインブリッジ・アイランド日系アメリカ人排除記念碑)』 で式典が行われます。式典についての詳細はこちら

日本人が最初に米国北西部に移住したのは1880年代のこと。その後、ベインブリッジ・アイランドにも日本人とその子孫の日系アメリカ人のコミュニティができました。白人の多く住む地域では歓迎されなかったことから、今のインターナショナル・ディストリクト、セントラル・ディストリクト、パイオニア・スクエアまで広がる日本町などをはじめ、各地で日本人のコミュニティを作ったのです。

しかし、1941年12月7日(現地時間)に日本がハワイの真珠湾を攻撃したことで日本と米国の戦争が始まり、約2カ月後の1942年3月24日、ルーズベルト大統領が発令した大統領令9066号によって、米国西海岸が第1軍事地域に指定されてしまいます。これを受け、米国政府は西海岸に住んでいた日本人・日系アメリカ人の強制収容を決定します。同年3月30日、西海岸で最初の強制退去の対象となったベインブリッジ・アイランドに住んでいた276人の日本人と日系アメリカ人は、手で持てるだけの持ち物だけで家を追われ、厳しい気候の砂漠地帯などに作られた強制収容所に終戦近くまで収容されました。

太平洋戦争の間に強制収容された日本人・日系アメリカ人は約12万人にのぼりましたが、その約3分の2は米国で生まれた米国市民で、約3分の1は米国籍の取得が法律で許可されていなかった日本から移住した日本人(一世と呼ばれる)でした。

1942年3月30日当日に撮影された写真で最も有名なのは、幼い娘を抱いてフェリーを待つフミコ・ハヤシダさんの写真。ハヤシダさんは強制収容を乗り越え、2014年11月に103歳で亡くなりました。

2011年にベインブリッジ・アイランドのイーグル・ハーバーに完成した日系人の強制収容の歴史を伝えるメモリアル 『Bainbridge Island Japanese American Exclusion Memorial(ベインブリッジ・アイランド日系アメリカ人排除記念碑)』 は、日本人と日系アメリカ人が収容された強制収容所の一つでアイダホ州にあるミニドカ国定史跡とともに、子どもが強制収容の歴史と影響について学べるジュニア・レンジャー・プログラムを提供しています。

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ