シアトルの観光名所の一つ、パイク・プレース・マーケットが、恒例のホリデー・イベント『マジック・イン・ザ・マーケット』を11月30日(土)に開催します。29周年を迎える今年も、マーケットの伝統、心温まるパフォーマンス、ホリデーならではのスイーツ、そしてサンタクロースも登場するホリデーのイベントなど、全世代が楽しめるアクティビティが盛りだくさんです。
無料で楽しめるアクティビティ
ホリデー音楽とパフォーマンス
サンタとの無料写真撮影(11:00AM – 4:00PM)
サンタと一緒に、パイク・プレース・マーケットのトラックの前で記念撮影を撮影できます。あちこちで開催されているサンタクロースとの写真撮影は基本的に有料ですが、ここでは無料です。
買い物キャンペーン
この日にマーケットで$50以上の買い物をすると、特製ギフトバッグがもらえます。レシートをインフォメーションテントに持参してください。バッグの数に限りがあるので、なくなり次第終了です。
ハンドメイドワークショップ
「リトル・パイク・ポーラーベア」のオーナメントやホリデーカード作りなど、アーティストによるワークショップも開催されます。
バスカーによるライブパフォーマンスで、ホリデー気分を盛り上げます。マジックショーも開催される予定です。
ライトアップセレモニー(5:00PM – 6:00PM)
サンタのカウントダウンでマーケットの木々や装飾が一斉に点灯。ホリデーシーズンの幕開けを祝います!
パイク・プレース・マーケットの歴史 日本からの移民が大きく貢献
パイク・プレース・マーケットは、食材の価格高騰に怒る市民の声と、仲介業者が農作物を低価格で買い取ることに怒る農家の声を受けて1907年に開設された公衆市場です。
オープンしてすぐに人気となり、翌年の1909年には1日平均64軒の農家が出店し、月間30万人が訪れるようになりました。
日本から移住して農業を営んでいた日本人とその子どもたちの日系アメリカ人も出店しましたが、農家同士が出店する場所を取り合うようになり、多くの日本人・日系アメリカ人は市場の中でもアクセスの悪いところに追いやられてしまったそうです。パイク・プレース・マーケット・ファンデーションによると、日本人・日系アメリカ人に対する差別は1920年代〜1930年代に入っても続きましたが、マーケットで販売されていた野菜や果物の75%は日本人・日系アメリカ人の店によるものだったそうです。
1941年12月7日(米国時間)に日本がハワイの真珠湾を攻撃した当時、日本人・日系アメリカ人の農家はマーケットの店の5分の4を占めていましたが、1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名・発令して米国西海岸に住んでいた日本人や日系アメリカ人約12万人がアメリカ西部の過疎地に設置された強制収容所に収容されてしまうと、マーケットは廃れてしまいました。
そこで、マーケットを解体し、オフィスビルやアパートにするという再開発の案が出されましたが、1964年にマーケット保存を目標とする Friends of the Market という団体が設立され、建築家ビクター・スタインブルック氏が率いる保存運動が展開され、1971年にパイク・プレース・マーケットを歴史地区として保存する条例が有権者投票によって可決されました。
この保存と開発の決まりは現在も徹底して守られており、パイク・プレース・マーケットはシアトルを代表する観光スポットの一つとなっています!
パイク・プレース・マーケットの発展に貢献した日系人の歴史を伝えるために、正面入口の上部に設置されている切り絵の壁画『Song of the Earth』は必見です。