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シアトルの美容師インタビュー 石崎枝美さん

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ショアライン・コミュニティ・カレッジに、「ぶらぼお」な美容師がいるという情報をキャッチ。さっそく、その石崎さんにカットを頼み、インタビューを試みました。
※この記事は1999年9月に掲載されたものです。

1971年 母方の母親はすべて美容師という家に生まれる。

1988年 高校1年生の時、夏休みのホームステイでアリゾナ州へ。

1990年 高校卒業後、ユタ州のWeber State Universityへ留学。Secretarial Science を専攻し、AA Degreeを取得。

1992年 日本帰国。

1993年 フォー・シーズン・ホテルに就職すると共に、美容学校へ入学。

1994年 美容学校卒業後、麻布の美容室に就職。昼間は美容室、夜間はホテルという過酷な労働状態へ突入。

1997年9月 アメリカで美容師になることを決意し、美容室を退職。1ヵ月のアメリカ旅行へ。

1998年12月 シアトルへ。ショアライン・コミュニティ・カレッジに入学。

1999年8月 ビューティー・マネージメント専攻で、AA Degreeを取得。

1999年10月 フロリダの会社で勤務開始。現在に至る。

卒業

今月ショアライン・コミュニティ・カレッジを卒業されたそうですね。おめでとうございます。

ありがとうございます。このクォーターは大変でした(笑)。最後の22単位を一気に取得し、ビューティー・マネージメントという専攻で Associate of Arts Degree (準学士号)を取得したのです。日本での実務経験や、昔ユタの大学で取ったAA Degreeの単位を使うことができたので、早く終わらせることができて良かったです。

数回に渡る渡米

アメリカには何度か来られているわけですね。

シアトルには昨年12月に来たばかりです。それまでは日本で美容師として働いていました。初めてアメリカに来たのは高校1年生の時。ホームステイでアリゾナ州に行き、インディ・ジョーンズの映画セットそのもののような世界にびっくりしました。その次にアメリカに来たのは高校を卒業してから。その時はバイリンガルの秘書になりたくて参加したJALの留学パックで、1990年から1992年の間、ユタ州の Weber State University の Secretarial Science でAA Degree取得コースに入りました。まだまだ、美容師になるつもりなんて毛頭ありませんでしたね(笑)。私の家の母方は、私の母親も含めて全員美容師なんですが、だからといって「美容師になれ」という押しつけはなく、「とにかく自分のやりたい事は全部やりなさい」と、オープンでした。

ユタ州留学から日本へ帰国し、美容学校に入学されたということは、 ユタでの留学がきっかけになったのですか?

そうでもありません。ただ、ユタ州は日本人の髪を扱ったことのない美容師ばかりだったので、みんな四苦八苦していました。そんな時、友達が「枝美ちゃんのお母さんは美容師なんだから、枝美ちゃんもできるでしょ」 とヘアカットを頼んできたんです。今から考えると恐ろしい事ですが(笑)、その友達の髪を当時流行っていた映画 『ゴースト』 のデミ・ムーアみたいにしてあげたんです。そうすると、彼女が広告塔のようになってしまい、アメリカ人のルームメイトから先生まで、そして見知らぬ人にまで口コミで広がって、寮の部屋のドアには予約のメッセージがベタベタと貼られるようになりました。また、学校のインターナショナル・フェスティバルで着付けをやったりして、本当に楽しかったです。でもそれはそれで、その道でプロになろうとはまだ思いませんでした。

美容師の道を選ぶ

そして、日本帰国後に何が起こったのですか?

ユタ州から日本に帰り、進路に悩んでいた私に、「プロの美容師になりたいと思っても、なれない人はたくさんいる。枝美ちゃんは人にできない事ができるのだから、それを生かすべき」 と、大親友が励ましの一言をくれたのです。そのおかげで、プロの美容師になり、アメリカに行く決心がつきました。でもそこから私の過酷な労働の日々が始まったんですよ(笑)。

それはまたどうして?

アメリカへ行く資金を貯めなければいけなかったんですが、私が英語を忘れてはいけないと思った母親が探してきたのが、フォー・シーズン・ホテルでのアルバイト。フォー・シーズン・ホテルは、英語を話せないとやっていけないホテルなので、当時の私にはうってつけだったのですが、私の仕事はルーム・サービスのオペレーター業務。これが午後10時から午前6時半だったので、美容学校が始まってからは、午前9時から午後4時まで学校へ行き、仮眠し、午後10時から午前6時半までホテル勤務となりました。

なるほど、過酷ですねぇ。(笑)

でもそのわりには苦ではありませんでした。多分、目的があったからではないかと思います。自分でも驚くほど勉強もこなし、高校の時は考えるだけでも嫌だった化学が楽しかったのです(笑)。結局、美容学校でも500人中2~3番という成績で卒業しました。

卒業後は美容室へ?

卒業してすぐ、東京の麻布にある美容室に就職。麻布には大使館や外資系企業などが多いので、英語を話せる美容師が必要だったのです。でも、ホテル勤務も続けたので、今度は午前8時から午後8時まで美容室で働き、仮眠した後、午後10時から午前6時までまたホテル。このスケジュールが月に20日ぐらいあったでしょうか。

よく体がもちましたね。

それが、この美容室の社長さんは、「効率よく働くには、ほどよい休暇を」という進んだ考えの持ち主だったので、年に2回の長期連休がありました。この社長さんからはさまざまなことを学びましたが、「誰しも24時間持っているが、それを何倍にも使えるのは、賢い人間だけだ」と誉めてくださったのが、今でも心に残っています。

しかし、その美容室をやめ、アメリカで美容師になる夢にチャレンジしたわけですね。

日本で働いてお金を貯めながら、その夢をずっと持ちつづけていました。麻布の美容室では、シャンプーからカラー、カット、パーマなどの基本をすべてマスターすると、パリの本店で最終トレーニングを受けるようになっていたのですが、私はヨーロッパに興味がもてませんでした。また、トレーニングの費用が自費というのもネックでした。「せっかくアメリカ留学の為に貯めたのに・・・」と。そんな時、すごい占い師に出会ったのです。私のことを何も知らないその占い師のおじいさんが、「今の仕事はあなたの個性をつぶすから辞めた方がいい。そして、ヨーロッパよりも、新しい物を受け入れやすいアメリカに行動を移すべきだ」と言ったのです。

それがきっかけとなったわけですか。

確かにそれは当たっていたのです。いくら美容室が英語を話す人を必要としていても、英語を話すことへの嫉妬や嫌みをたくさん経験し、年功序列による上下関係などにも精神的に疲れていました。どちらにせよ将来はアメリカに行こうと決めていたわけですから、多分あとはタイミングの問題だったのでしょう。そして、この占い師の言葉がひらめきとなり、美容室を電撃退職。1ヵ月アメリカ旅行をした後、ショアライン・コミュニティ・カレッジに入学しました。

再びアメリカへ

ショアラインの美容学校はどうでしたか?

最初のクォーターは講義だけなので、とてもいい復習になりました。また、カラーやパーマなど、日本ではしないような方法を学ぶことができました。でも、恐ろしいことに、2クォーター目にはキャンパスにあるヘアサロンにデビューするのです。1クォーターしか髪について学んでいないのにです。ここが日本とは違うところで、実践を通して学び、学校を出たらすぐに働けるようにデザインされているのです。私の場合は日本でプロとして働いていたわけですから、 “Super Student” と呼ばれ、予約もすぐにうまってしまうようになりました。また、良い仲間にも恵まれ、ほんとうに楽しかったです。

日本で学んだものが、こちらで役に立ったということなどはありますか?

そうですね、1つはやはりお客様に対する細やかな心遣いでしょう。例えば、シャンプーをする時にお客様の顔に水をはねない、などという基本的なことです。また、裏方が忙しそうだったら、汚れたものの洗浄を手伝ったり。相手のことを考えることはとても大事なことですが、これがアメリカではとても感動されました。全体的にアメリカはおおざっぱなのでしょうか。2つ目は、お客様のコンサルティングです。こちらの学校ではお客様のコンサルティングの仕方を教えません。私の場合、まずお客様の髪をあげ、顔の形、おでこの広さ、目の位置などを見ます。それから、頭の形、首の太さ、頬の出かた、毛流(もうりゅう)、生え際、襟ぐり、髪の量、髪質、耳などをチェック。そして、カラーをいれる人なら肌の色を見、普段着る服の色なども尋ねるなど、髪にまつわることをすべて考慮にいれ、一番似合うデザインを提案します。そこまでして初めて 『プロ』 と言えるのではないでしょうか。3つ目は、料金にブロー代も含めること。ブローの料金を追加料金にしているところでは、濡れた髪のままで帰るお客様がおられます。しかし、プロとして髪のセット方法を示してこそ、完全な仕事と言えると思います。でも、本当はお客さんがまた戻ってきてくれるまで、完全とは言えないでしょう。これはすべて日本の美容室で厳しく教え込まれたものですが、それが今ではとても役に立っているので、ほんとうに感謝しています。

これからの抱負をお聞かせください。

10月からフロリダで働く予定になっていますが、これからはマッサージやマニキュアなどのプロになり、将来はスパを開きたいと思っています。でも経営者としてではなく、1人のスタイリストとして、お客様に直接関わっていきたいですね。たくさんの人に喜んでいただければ、疲れなんて吹っ飛んじゃいますから!あ、ボーイフレンド募集中って書いておいてくださいね(笑)!

【関連サイト】
Shoreline Community College

掲載:1999年9月



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