全長5メートル、総重量1.2トン、 最高出力500馬力以上のモンスターマシンを乗り回す梁川和人さんにお話を伺いました。
※この記事は2000年1月に掲載されたものです。
梁川 和人 (やながわ・かずと)
1974年12月14日 愛知県名古屋市に生まれる。
1993年 高校卒業と同時に、鈴鹿サーキットで練習を開始。
1995年 鈴鹿F-4シリーズで総合2位を獲得。
1996年 渡英。F-3選手権にフルエントリーで活躍。
1997年 渡米。ノース・カロライナ州へ。
1998年 ワシントン州へ。エバーグリーン・スピードウェイでレース開始。
1999年 シーズン成績総合6位。
2000年 カリフォルニア州で、新たなレース人生を展開する予定。
シャイな少年時代
小さい頃は、どのような少年だったのでしょうか。
人見知りするタイプでした。幼稚園のお稽古事で小林寺拳法を習っていたのですが、人見知りをする子供だったので、みんなに挨拶できなかったのを覚えています。でも、その一方で、何かに非常に熱中するタイプでもありましたね。一番熱中したのは、小学校からクラブで入れる少年野球です。
では、その時の夢はもちろん・・・
ええ、野球選手になることでした。毎日毎日くたくたになるまで練習して、今でもその時できた豆のあとが手に残っているんですよ、ほら(と、手に残る硬い豆の痕を梁川さんは見せてくれました)。それと同時に、足が速いのを買われて、陸上部にも入りました。とにかく負けず嫌いで、何でも1番になりたかった。だから、中学3年生までの体力測定でも、いつも真剣にメダル争いをしていたのが、多分今でも続いているのかもしれません。
レースとの出会い
では、車のレースとは、どのようにして出会ったのですか?
あれは小学校の頃でしたか、スーパーカー・ブームの名残があった時代で、とにかく、「かっこいい!」と、F1に憧れ始めました。鈴鹿サーキットに足繁く通いながら、車の雑誌を見たりして、フェラーリなどのスポーツカーを中心に、とにかく、車自体に対する憧れが強くなっていきました。中学校で、自分の卒業文集とか作りませんでしたか?僕の場合はその表紙が車だったのです。今考えてみると、その頃から既に車にはまっていく運命だったのかも。
車との出会いからレースにつながるまでは、どういうステップだった のですか?
そうですね、高校2年生ぐらいの時でしょうか、その頃F1にデビューしたばかりのレーサー、片山右京さんについての本などを読み漁り、「自分でレースをしたい」と思うようになっていたのです。そこである日、ついに鈴鹿サーキットで走っているチームのガレージへ行ってみました。その頃は今ほどレーサー志望者用のドライビング・スクールが身近にあったわけではなく、これがやはり1番の近道。 そして高校卒業後、すぐに免許を取り、鈴鹿での練習が始まりました。最初の3ヶ月ほどはカート場でフォーミュラに乗り、そしてその次の6ヶ月は フルコースを走っていました。と言っても、最初はスピードが怖くて怖くて、競争どころじゃありませんでしたけれど(笑)。
レース出場
そしてすぐにレースに出場したんですね?
その時のチームが、レースコントラクターも兼ねていて、もう既にチャンピオンが決定した為、出場者があまりいなかったレ ースに、僕を出場させてくれたのです。しかし、それまで “FJ1600” という入門用のフォーミュラカーしか乗ったことがなかったのに、火曜日に “F-4” という1ランク上のクルマ(しか も借り物)に初めて乗り、その5日後の日曜日には初めてのサーキットで初レースを経験という、めちゃくちゃなスケジュール。とにかく車には慣れたのですが、レースの駆け引きがわからず、結局途中でリタイアに。それも、そのレースが引退レー スだったドライバーに突っ込んで・・・。若気の至りでした。
それが95年にはチャンピオンシップ争いに出るまでに成長し、事態は急展開、と いうわけですね。
2年後の1995年には鈴鹿F-4シリーズで総合2位を獲得するほどになったのですが、表彰台に上がっても、何か求めているものと違う、ということを感じていました。そして、1996年、「F-3の全日本を目指すよりも、目標は高く」 と考えて、フォーミュラ・レースの本場イギリスに渡りました。当時の日本のF-3の上位はいつもヨーロッパ出身のレーサーばかり。なぜなんだろう、なぜ勝てないんだろう、とずっと考えていたのですが、今から考えると、とにかく経験不足だったのです。イギリスに渡ってみて、それが結局日本人レーサーの経験不足が原因である、ということに気づいたのです。とにかく、イギリスで走っているレーサーの戦歴がすごい。「勝てないわけだ」と思いましたね。 それから、本場イギリスで、F-3選手権にフルエントリーを果たし、1年間 やってみました。
イギリスからアメリカへ
本場のイギリスで経験を積んで、それでもアメリカに来ることになったのはどういうわけですか?
そうですね、イギリスでは、レースの数も、練習量も、日本とは比べものになりません。しかし、1年後、これで日本に帰ってやって行くのか、それとも、イギリスでやっていくのかと、考え始めたのです。恵まれた環境でレースができるイギリスも魅力的だったのですが、やはり階級社会で、閉鎖的な文化が僕には感じられました。また、レースはあくまでも貴族の闘い。大富豪のパトロンが、バンバン投資するところです。そうこうするうちに、迷いが生じてきました。すると、ちょうどその時、日本で1996年に NASCAR をやる、というニュースが届いたのです。自分では、NASCAR という存在は知っていたのですが、そこで初めて調べてみて、「これだ!」 と思いました。アメリカで NASCAR をやり、年に1度ぐらい日本でレースをする・・・というわけで、アメリカに来て、1998年にエバーグリーン・スピードウェイにたどりつきました。
1999年シーズンの総合成績は第6位ということでしたが、最後に、今年の目標などを教えてください。
今年はレースの中心をカリフォルニア州に移します。めいっぱい修業をして、ワシントン州でお世話になった方々に、ステップアップした自分をアピールしたいです。
【関連サイト】
Evergreen Speedway
掲載:2000年1月