今年7月8日付けの 『Science』 誌で、植物の呼吸や水分の蒸散に使われる気孔の形成と数を決定する遺伝子を特定したことを発表された、鳥居啓子博士にお話を伺いました。
※この記事は2005年10月に掲載されたものです。
鳥居啓子(とりい けいこ)
1993年 筑波大学大学院生物科学研究科修了、博士号(理学)取得、東京大学遺伝子実験施設の日本学術振興会特別研究員に就任
1994年-1997年 イェール大学日本学術振興会海外特別研究員・ブラウン博士研究員就任
1998年-1999年 ミシガン大学 研究員就任
2000年 ワシントン大学 生物学部(旧植物学部)助教授就任
2005年 同准教授就任、現在に至る
2002-2006年 日本科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業研究者就任
渡米
生物学の方面に進むことになったきっかけは何だったのですか。
確か小学校に上がる頃、母親から「勉強に関係するものなら買ってあげる」といわれ、顕微鏡と望遠鏡をお願いしたことがありました。たぶん理科が好きだったのでしょう。でも、両方は無理と言われたので顕微鏡を選び、泥水を見て何かが動いているとか、小麦粉を見てダニがいるとか、そういったことを見ては楽しんだり、恐怖におびえたりしていました。それが生物の方向へ進むきっかけになったのかもしれません。分子遺伝学に興味を持ったのは、中学校の理科のあたりから。ニューヨークでの高校時代に、友人のお父様で、企業で分子遺伝学を研究されている方に研究室を見せていただいたりしたこともありました。高校生で初めてアメリカに来た最初の1年は英語がわからず、授業についていけなかったものの、理数系に強かったこともあり、まわりのアメリカ人から頼られていました。そんな経験からも、自分のできる方向へ進んでいったのかもしれません。そして高校を卒業し、当時としては非常に珍しい帰国子女枠で17歳の時に筑波大学に入学しました。1985-1986年あたりに、植物の遺伝子組み換えの技術ができ、植物でもこれから分子レベルの研究ができるのだと興味を持ち、筑波大学で博士号まで進みました。
渡米のきっかけを教えてください。
筑波大学で博士課程を終え、東京大学の遺伝子実験施設で日本学術振興会特別研究員として研究していた頃、1980年代後半から注目を集め始めたモデル植物「シロイヌナズナ」を使い、これからの植物科学、そして分子遺伝学をまったくもって変えてしまうような研究が始まっていました。私自身もシロイヌナズナを使って、植物で初めて受容体キナーゼ遺伝子が細胞増殖と植物体の大きさを制御していることを発見しました。受容体キナーゼは、動物ではさまざまなホルモンの作用を制御することが知られていますが、植物における機能は全く未知でしたので、だんだんと私の研究の評価も高まりその研究を続けたいと考えていました。しかし、2年という期限つきの博士研究員を終えた後の行き先が決まらず、また、まだ20代だったので自分の可能性などがよくわかっておらず、どうしたものかなと。私がいた当時は日本では職がない状況でした。しかし、1993年に横浜で開催された国際植物学会で、遺伝学の権威と言われているエール大学のシン・ワン・デン教授(Xing Wang Deng)にお会いし、自分の研究と状況を話して売り込んだところ、「半年ぐらいでいいなら、試しに給料を出すから来てみないか」というお誘いを受けることができたのです。半年ということで迷いながらも、1994年に渡米しました。エール大学のあるコネチカットは高校時代に住んでいたニューヨークから目と鼻の先ということもあり、渡米そのものに大きな抵抗はありませんでした。
渡米してからワシントン大学へ来られるまではどのような経緯をたどられたのですか。
当初は半年のはずでしたが、渡米後に海外特別研究員になることができ、結局合計で3年半ほどお仕事をさせていただきました。エール大学ではそこそこの業績を出しましたが、研究分野が自分のやりたいことと少し違っていましたので、ミシガン大学で一時的に1年半ほど自分の興味に近い研究をさせていただいた後、ワシントン大学で教授職を得て、現在に至ります。
ワシントン大学での仕事
ワシントン大学での仕事はどのようにして決まったのでしょう。
学究的な世界での終身在職コース(tenure-track)は公募ですので、一般的に 『Nature』 や 『Science』 などの学術誌に募集が掲載され、採用側は約数百の応募者の中から書類審査・面接を通して、最終的に採用する人物を決定します。私はそれほどたくさんの仕事に応募はせず、植物発生学や植物分子遺伝学、細胞学、分子遺伝学など、モデル・システムと書かれているものに応募し、3つの大学で面接を受け、ワシントン大学ともう1つの大学からオファーをいただきました。そして、学部のビジョンや負担する授業時間数などを比較して、ワシントン大学を選びました。それまでノースウェストには来たことがなかったのですが、日本に似た風光明媚な土地柄で、とても気に入っています。
現在の仕事について教えてください。
実際にワシントン大学に来たのは1999年末でしたが、到着してみるとラボの改築工事が終わっておらず、結局、ラボが完成したのは2000年に入ってから。当初はアシスタント・プロフェッサー、今年9月15日からアソシエート・プロフェッサーになりましたが、アメリカのシステムではアシスタントもアソシエートもフル・プロフェッサーも基本的には変わりません。また、どこの大学でも仕事はだいたいリサーチ・ティーチング・サービスという3つの柱からなっており、それぞれの容量が大学によって異なります。
柱の一つであるティーチングでは、どういったことを教えておられるのですか。
現在、200人ぐらいの大講義でイントロダクトリー・バイオロジーという生物学の初歩、そして大学院生に植物分子遺伝学を教えています。モデル植物を使った分子遺伝学をやっている人は私が2人目だったので、クラスに新しい要素を導入してくださいと依頼され、遺伝子のレベルで植物の形や、いろいろな環境に対する反応などについての実験を行うコースを作りました。日本の大学生はしらけた態度の人が多いようですが、アメリカの大学生はとても積極的。こちらが情熱的に話せば、どんどん興味を持ってくれます。小学生みたいに手を挙げて、「はーい!」と質問してくるような傾向もありますね。その一方で、教授の教える力に対しては厳しい評価を下します。特に動物と植物の生理と発生が授業の中心になる初歩のクラスは、これまで学生から良い評価を得ることはなかなか難しいコースとされてきたので、チャレンジでした。なぜなら、動物の場合なら、「神経がどうなっているか」「心臓がどうして血や空気を全身に送るのか」「腎臓がどうやって体に不必要なものをろ過して体外に流すのか」など、神経や循環器系などに関することなので医大予備課程を履修している学生が多数を占めるクラスでは非常に興味を持たれますが、「どうやって植物は水を吸うのでしょう」「植物はどのように光合成をするのでしょう」といった植物のこととなると「医者になるのになぜこんなことを勉強しないといけないんだ」と考えられてしまうからです。そこで私は、植物と人間の共通点や、植物が人間より優れている点など、なんとか人間のことを引き合いに出しながら、興味を持たせるようにしています。
例えばどういったことでしょうか。
例えば、緑の植物は心を和ませ、外に生えている花は楽しそうに咲いているように見えますが、実は非常に激しい生存競争が展開されているのです。また、動いて逃げることができない植物が持つ環境変化や外敵に対するセンサーは、遺伝子の数も多く、人間よりもはるかに発達しています。例えば、光合成によって生きている植物は人間よりももっとたくさんの波長を見ることができ、 微妙な波長のずれを感知して、「これから夕方が来る」といったこともわかっています。さらに、カビやウイルスに対する防衛機能や、自分の身をその場で危険から守るために毒を蓄積する、侵入者の遺伝情報を断ち切るといった機能は、人間よりももっと強力です。このように説明すると学生も、「実はそうだったのか」と興味を抱いてくれますね。もっとやってくださいと言われますが、研究とのバランスも大事ですから、少し困っています(笑)。
また、植物の発生の鍵遺伝子の変化が、どのようにして花や果実の形状を変え、結果として私たち人間の社会に貢献しているのか、その遺伝的背景なども説明することにしています。バラはもともと5枚しか花びらがないのですが、特定の遺伝子の性質を変えることによって花びらが増えていきます。花びらが多ければ生存力が強いというわけではないものの、見た目が美しいということで園芸品種として珍重されます。みなさんはたいてい、「こんな小さな花から、突然こんな大量の花びらがついた花ができるわけがない、何か中間の花があるはずだ」と言われますが、実は遺伝子1つで花びらの数はとても簡単に変わります。遺伝子は大きなネットワークですから、1つの変化が結果的に大きな結果をもたらし、それが生存に適しているとなると、変異した植物は繁栄します。それが人間の目から美しければ人為的な選抜によって、引き継がれていきます。そのように、発生を制御する遺伝子がどういうもので、それがなくなるとどうなるのかも、私のラボで研究しています。
残りの二つの柱である、リサーチとサービスとは。
簡単に言いますと、リサーチは、大学がアシスタント・プロフェッサーを採用する際に設立資金としていくらかの資金を渡し、「自分のラボを作り、人を雇って研究をしなさい」というところから始まります。そして、ラボの運営が始まったら、研究を行います。ですからいきなり企業経営者になったかのように、学生や博士研究員、それに技術員を面接してスタッフを揃える必要に迫られます。いい人を雇い、設立資金がなくなる前に研究費の申請書を出して競合的研究資金(grant)を国や私設の財団からいただかなくては、ラボがつぶれてしまいます。アメリカの終身在職コース(tenure-track)は、一般的にそのようなシステムなので、日本のように既にできあがっている講座に入り、下から上がっていくシステムとはまったく異なりますから「研究だけに没頭したい」という方は、人事や会計などで神経をすり減らしてしまうかもしれません。でも、一人一人個性的な研究者や学生をうまくまとめて力を発揮してもらう、いい試練になりました(笑)。研究成果は学術論文もしくは特許などという形で社会へ還元します。研究の世界には国境はないので、いい仕事を出せば、どこへ行っても興味を持っていただけますし、今まで論文しか読んだことがなかった方に実際にお会いすることも、とても大きな意味があります。そして、サービスというのはコミュニティ・サービスのこと。例えば、私は国立科学財団(NSF)と米国エネルギー省(DOE)の競合的研究資金審査委員会のメンバーです。これは、応募されたプロポーザルをその道の専門家らと会議をして検討し、採択の是非の決定に関与するというものです。アメリカではこうやって若手のサイエンティストが実際に研究費の分配に関与します。また、講演などであちこちから呼ばれることも最近は増えました。リサーチ、サービス、そして前述のティーチングで一定の成果を挙げた者は、採用から5~7年目に、終身雇用権(tenure)の獲得、同時にアソシエート・プロフェッサーへ昇進します。
気孔の形成と数を決定する遺伝子の発見
今年7月に発見された、気孔の形成と数を決定する遺伝子について教えてください。
モデル植物として使っているのは、1980年代の終わりごろにクローズアップされたシロイヌナズナ(Arabidopsis)です。優れた遺伝学者がいろいろな実験を通して、モデルとしての適性を発見しました。モデルとは、ある生き物がどういう遺伝子を持っていて、その遺伝子がどう機能して、1つの完璧な生命体を作っているのかを知るためのツールです。そうすると条件が限られてくるのですが、植物の場合は、染色体の数が少なく DNA のサイズも小さいけれど、植物として完璧な機能を果たしているものがモデルになります。完璧な機能とは何かというと、根・茎・葉を作り、ある時期になると花が咲き、自殖し、世代が短く、簡単に育てられ、種がたくさんとれることというもので、その他には、突然変異体(ミュータント)や遺伝子組換体を作ることが簡単であるという条件もあります。シロイヌナズナはこのモデルにぴったりであることがわかり、それから10年でこの分野はとても発達し、植物科学の概念を本当に変えてしまいました。
そして、前述のように、東京大学の遺伝子実験施設で日本学術振興会特別研究員として研究していた時に「シロイヌナズナの受容体遺伝子が植物体の成長に不可欠である」ということを発見し、その後、日本・アメリカ・ヨーロッパの国際的な協力で、シロイヌナズナのゲノム(染色体上の遺伝子情報)が2000年に解読されました。そのデータをコンピュータに入れれば「ここに遺伝子があるらしい」ということがわかりますので、ゲノムのデータを見たところ、自分が最初の発見で確認した受容体ととてもよく似ているものが他に2つあることがわかったのです。そこで、「3つあるものの1つだけを欠損させたのでは見えてこないものがあるかもしれない、すべて欠損すると何か大きな変化があるのでは」と考えました。例えば、機能がわりと重複しているスイッチが3つあったとします。そうすると、1つのスイッチを切っただけでは、その結果にたいした変化がないかもしれませんよね。その発想は大当たりで、3つの遺伝子をすべて欠損させてみたところ、シロイヌナズナが本当に小さくなってしまい、花びらを作るといった分化もうまくいっていない。さらに、偶然、植物の表皮を見てみたら、大きな変化が起きていました。それが今回の発見につながったのです。
どのような変化だったのでしょうか。
植物は4億年前に水中から地上に進出し、それに続いて動物が水中から地上へ進出したと考えられていますが、植物が水中から地上へ上がるということはとても激しい変化であったことは想像していただけるでしょう。まず、植物は地上で水分の維持とカビなどから自分を守るため、表皮に強力なワックスの層を作りました。しかし、表面をワックスで覆ってしまうと空気が吸えなくなり、光合成ができなくなってしまいますから、直径十数マイクロメートル(マイクロは100万分の1)ぐらいの “気孔”(stomata)と呼ばれる穴を作り、その周りを特殊な細胞で囲み、空気の入れ替えを行うことにしたのです。この気孔は、人間が口を開閉するように素早いスピードで開閉し、光合成に必要な二酸化炭素の取り入れや、体内の水分の排出にも欠かせない存在です。気体や水を効率よく出し入れするため、この気孔は表面に均一に分布しているのですが、均一に形成されるメカニズムはよくわかっていませんでした。それが、シロイヌナズナの成長に関係する “ERECTA” “ERL1” “ERL2” という3種類の遺伝子を欠損させると、気孔が均一に形成される状態から、かたまってたくさん形成されるようになることを発見したのです。同時に、これら3種類の遺伝子は、植物の表皮の細胞が気孔を形成する細胞に分化するのを抑制する働きがあることもわかりました。今後、気孔の数や密度を制御することができれば、地球温暖化による二酸化炭素濃度の上昇に適応した品種改良につながるのではないかと期待されています。研究成果は今年7月8日に出版された 『Science』 誌に発表しました。幸いにも大きな注目を集め、記者会見等を通してメディアの方々とも接する機会を得ましたが、最先端の基礎科学をどうやって一般の方に伝えていけばよいのか、こちらとしても大変勉強になりました。
これからの抱負を教えてください。
研究面では、やはりこれからも質の高い、自分らしい研究をしていきたいと思います。今、日本でもアメリカでも科学リテラシーの低下が問題になっています。これは、テクノロジーが進歩しすぎた故の科学離れなのではないかと思うのですが、例えば、最初からゲノム情報などを見せられてもどうしようもないように、最初からコンピュータの基盤を見せられても何をしていいのかわからないですよね。ある一面が進歩しすぎると、ある一面が麻痺してしまって、逆に科学が難しく感じられるのかもしれません。 科学的な発見というのは、本当に簡単な単純なことから始まるのです。例えば、豆電球がどうやってつくのか、どう配線したらつくのか、どうしてモンシロチョウはキャベツにつくのにセロリは食べないのか、ひまわりはなぜ太陽の方を向くのかなど、「なぜ?」といったときに、「それがなぜなのか、どうしたらわかるのか?」というのが科学であり、知識や暗記ではありません。そして、本当にひまわりは太陽の方を向くのか、太陽ではなくて電球ならどうか、また、普通の電球ではなく、青電球や赤電球ならどうか、どうして赤だったら向かないのに青だったら向くのかなど、仮説を立てて実験で確認して理解を深めていくのが基本的な科学のスタンスなのです。このように、科学をするということはいったいどういうことなのか、科学的な発見というのは何なのかということは、できるだけ伝えていきたいという気持ちです。
掲載:2005年10月