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平田直樹さん (シアトル・ウォルドルフ・スクール 日本語教師)

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ユニークと言われるシュタイナー教育を実践するシアトル・ウォルドルフ・スクール。「子供たちにとても慕われている」という日本語教師の平田先生にお話を伺いました。
※この記事は2004年8月に掲載されたものです。

平田直樹(ひらた なおき)

1975年 大学卒業・病院薬剤師として勤務

1980年 東京の鍼灸学校を卒業

1983年 渡米し、特殊教育施設キャンプヒル共同体に参加

1987年 ウォルドルフ・ティーチャー・トレーニング・コース開始

1989年 ウォルドルフ・ティーチャー・トレーニング・コース修了

日本のシュタイナー幼稚園に勤務

1992年 再渡米し、シアトル・ウォルドルフ・スクールで勤務を開始し、現在に至る。

シュタイナー教育との出会い

ウォルドルフ・スクールの教師になられるまでの経緯を教えてください。

日本の大学では教育とも日本語とも関係のない薬学を専攻し、卒業後は故郷で病院薬剤師として1年半ほど勤務しました。しかし、自分にとって は退屈な毎日の中で「自分がこの人生で他にすべきことがあるのではないか」と思うようになり、東洋医学と鍼灸に出会いました。そして一大決心をして田舎を出て東京へ行き、鍼灸学校に入学。これは私の人生において大きな節目となりました。もし田舎を出ないでやはり親と暮らしていたら、まだ田舎にいると思います。この人生、とてもよかったと思いますので、後悔はないのですが、薬局薬剤師をしながら鍼灸学校へ通い、実習生も経験しましたが、「人間はなぜ生きるのか」という問いに出会い、その中で病になることと心の関係、いろいろな治療法を模索する過程で、友人を通してルドルフ・シュタイナーの哲学に出会いました。

シュタイナーは20世紀始め頃のオーストリアの哲学者で、「人間はこの目に見える肉体だけの存在ではなく、霊的な存在である」という人間観 (人智学)を基礎に、教育だけではなく、芸術・医学・建築・農業など多方面にわたって新しい思想を実践した人です。20代の自分が悩み、生きることの意味を探していく中で、その答えがシュタイナーの中にあるのではないかと必死にシュタイナーの文献を読み、勉強会やレクチャーに参加しました。シュタイナーの思想哲学は私にとってとても難解なものでしたが、それに触れるたびに常に心が癒され、自分の生きる道を指し示してくれたような気がします。以来20数年間になりますが、毎日「シュタイナーは」と語る日々を送っています。

シュタイナーの思想を学んでいく中で、どうしてもその実践を見てみたいという衝動にかられまして、妻との結婚を機に、夫婦でアメリカのペ ンシルバニア州にあるシュタイナーの人智学に基づく特殊教育施設キャンプヒル共同体に参加。その治療教育セミナーで4年間にわたって学びながら、豊かな自然の中で知的障害を抱える子供たちの世話をして1日24時間シュタイナーの人智学に基づく生活をしたことは、自分の目を見開かされるすばらしい体験でした。4年間にわたるセミナーを終えたのですが、もっとその根幹となるシュタイナー教育を勉強したいと思い、今度はニューヨーク州にあるウォルドルフ・ティーチャー・トレーニング・コースに通うことにしました。キャンプヒルにいた頃に長男が生まれ、自分自身の子供を育てていくという教育実践が始まったのですが、妻と交替でトレーニングと子育てを同時進行させ、トレーニング終了後には日本に戻り、3年間にわたってシュタイナー幼稚園で幼児教育に携わりました。しかし、長男が学齢期に達したころ、「これからずっと日本で生きていくのか、それともアメリカに戻ってまた新しいチャレンジに挑戦していくのか」という問いに直面し、最終的には私たちはまたアメリカに戻る運命となりました。

このシアトル・ウォルドルフ・スクールで日本語教師として勤務を始めてから、12年がたちました。ちなみに長男はウォルドルフ・ハイ・スク ールのヘイゼル・ウォルフ・ハイスクール(Hazel Wolf High School)を今年卒業し、12年間(日本の幼児教育も含めると15年間)にわたるシュタイナー教育を終えています。

シュタイナー教育とは

シュタイナー教育について教えてください。

アメリカでは一般的に “Waldorf Education” と呼ばれていますが、「人間はこの目に見える肉体だけの存在ではなく、霊的存在である」という 人間観を基礎に、それぞれの年齢の魂の成長過程に何が必要かという考えからカリキュラムが組まれています。「1人1人の人間はかけがえのない霊的存在である」という考えを基にしたそのユニークな教育法は、物質万能の現代において大きな影響を持っていると思います。

シュタイナー教育の特徴としては、1人の教師が8年間同じ生徒を担任し、子供の成長過程を切り離さず、大きな見通しを持って教育していくこ と、教科書を使わず生徒1人1人が “Main Lesson Book” と呼ばれる教科書を自分で作っていくこと、毎朝最初の2時間はクラス担任による “Main Lesson” が行われ、その “Main Lesson” はサークルでリズミカルに身体を動かしたり、歌を歌ったり、詩を唱えたり、お話(story)を聴いたり、絵を描いたりと、有機的かつリズムを考えながら構成されていること、”Main Lesson” は同じ科目を毎日3~4週間続け、低学年では英語と算数を一定期間集中して交互に教え、「忘れることも教育の一面である」ということ、高学年では歴史・科学・地理などの科目を “Main Lesson” の中で教えることなど、そのユニークさは他の教育法では考えられないものがたくさんあります。頭で考えることが教育のすべてであると考える教育法とは正反対のものであり、感情と意志を育てながらそれを思考の中に有機的に組み込んだ教育だと考えられます。低学年ではテストも宿題もなく、1日がゆったり流れていきます。前述のとおり、各年齢の魂の成長過程に何が必要かというシュタイナーの考えに基づいてカリキュラムを組んでいるわけで、低学年では将来の思考の力を育てる基礎の教育であるという考えから、とてもゆったりとしています。コンピュータやテレビなどのメディアはできるだけ避けるようにと保護者の協力を求めていることも一風変わった学校という印象を与えていると思います。特に1~3年生あたりでは魂の発達段階がそれを受け入れる準備がないということですね。7~8年生になればそこまで制限を設けたりしません。

日本語を教えるという私の仕事はこういった大きな教育の1コマに過ぎません。朝2時間の “Main Lesson” が終わりますと、休憩時間を経て、私 のようなスペシャリティ・ティーチャーと呼ばれる先生による授業が始まります。シュタイナーの考えに基づいて、1年生から2つの外国語、運動技術(オイリュトミー)、編み物などのハンドワーク、高学年ではオーケストラの授業が教えられます。これらの授業は “Main Lesson” と有機的に1人1人の子供の魂に働きかけるように配慮されています。外国語はミドル・スクールからではなく、1年生から2つの外国語を教えています。シアトル・ウォルドルフ・スクールではスペイン語と日本語を教えていますが、幼い時から発声器官の柔軟性を増すように働きかけることは、子供の成長にとって将来の思考力や判断力を育てる上でとても大切なことです。実際、低学年の子供たちはスポンジのように私の言うことを、まったく疑いもなく吸収して育っていきます。これはすばらしいギフトだと思うのですが、子供たちは模倣の力をフルに使って、思考を入れず、学んでいきます。低学年のクラスでは、手足を動かしながら歌を歌ったりゲームをしたり、簡単な会話を練習したり、日本語で日本のお話を紙芝居のような形でしたりして、子供たちが喜びを持って日本語を学び、異なった言語文化に触れることによって、魂の栄養になるよう心がけています。顔を見なければ日本の子供たちが日本語の歌を歌っているように聞こえますよ。もちろん、高学年では話すことに加えて、読み書き・文法などが入ってきますから、アカデミックな色合いが濃くなります。これはウォルドルフだけでなく他の学校でもそうだと思いますが、外国語を教えることの根本となるのは、異なった人間・文化をよりよく理解してどんな人間とも心を触れ合わせることができるという、真の “multi-culturing” を育てることだと思います。

シュタイナー教育の教師として

毎日の仕事はどのような感じですか。

毎朝8時に先生全員が集まり “Verse” を唱えなることから1日が始まります。私はその後 “Main Lesson” の間は学習障害を持つ生徒が私のとこ ろにやってきて、15~20分ぐらいかけて運動療法(movement exercise)やアートを中心にした、1対1の “remedial work” を行います。自分にとって25人のクラスに日本語を教えることと、この1人1人の生徒に治療的な働きかけをすることは、1人の生徒をより深く理解する上でもとても有益なことなんです。”Main Lesson” の後に日本語のクラスが始まりますが、1~8学年で各クラスで週2~3回教えます。3時にはクラスが終わりますが、その後毎日のようにミーティングがあります。ウォルドルフ・スクールでは校長と呼ばれる役職はなく、教師の集団が学校を運営していくシステムになっており、またクラス担任とスペシャリティ・ティーチャーが1つのチームになって1人1人の子供の成長に関わっていくわけですから、先生同士の意思の疎通や情報交換はとても大切なことなんです。従いまして、信じられないぐらいたくさんのミーティングがありますね。その後、教材の後片付けをして学校を出るのは6時ぐらいです。夕食後は高学年の宿題やテストのチェック、翌日の準備をします。また、学校でコミティのミーティングがあったりすると、私の生活は週末を含めて学校一色で、「趣味は?」と聞かれても「学校」と言わざるを得ない状態です(笑)。でもこれは自分にとってとても幸せなことなんですよ。

子供たちにとても人気があると伺っていますが、その理由はなんだと思われますか。

そのように言ってくださる方がおられるのはとても光栄なことです。やはり好きで一生懸命やっていることではないでしょうか。クラスの準備 にも長時間を費やしますし、それが楽しみでもあるのです。私は教育にずっと携わってきましたが、同僚の教師の中には子供への接し方がうまく、あたたかい心を持っている、生まれながらにして教師という人がたくさんいます。ウォルドルフ教育で育ったわけではない私はそれとは正反対な人間だと思いますが、少なくとも自分はそれに向かって努力しているということが子供にも伝わり、また、認めてくれる人は認めてくれているのではないでしょうか。

平田先生の教育感・信念について教えてください。

やはり私はシュタイナーの根本的な思想に惹かれ、そこから入ってきた人間ですので、「1人1人の人間はかけがえのない霊的存在である」とい うことが1番の魅力だと思います。そして実際の教育を通して、生徒の成長を見ながら、自分も人間として教師として成長していけるというのもまた1つの魅力ですね。この仕事は私にとって一度やったらやめられないほど楽しいものですし、意味のあるものです。1人1人の生徒とのふれあいの中で彼らの成長を8年間ゆっくりクラス担任とともに見守っていけるのは大きな喜びです。私の授業は常にうまくいくわけではなく、生徒の態度の悪さに腹を立てたり、これは失敗だったかなと反省することの方が多いかもしれません。しかし、うまくいかなかったら何とかして次回はという過程が自分にとっての成長過程であると思います。全校200人いますから全員に常にうまく教えることはなかなかできないと思いますが、シュタイナー学校では先生にめい想することを課しています。そのめい想の中で、自分が教えている子供たちのことを思い浮かべ、子供のポジティブな面をイメージして、それを引き出そうとすることは、私にとってとても大事なことです。どんな科目を教えていてもそうだと思うのですが、子供たちが何かを理解して興味を膨らませてくれた時の喜びはそれまでの苦労を吹き飛ばしてくれます。私の場合ですと、何か日本語で質問をして、生徒が前に教わったことを覚えていてちゃんと答えてくれた時の喜びは大きいですね。

今後の抱負を教えてください。

ウォルドルフ教育の一環として私が生まれ育った国の言葉や文化をアメリカ人の子供たちに教え、そこから彼らが私という人間を通して何か学 んでくれたらいいと思います。1人1人の生徒にとって私を教師とした日本語学習は8年間で終わりますが、私の目標の1つとして、できるだけ多くの生徒に高校・大学、そしてその後も日本語の勉強を続けてくれて、日本のことを理解してくれたら嬉しく思います。それにウォルドルフ教育(シュタイナー教育)の1人の担い手として、この教育がただ一風変わったユニークな教育だという認識だけでなく、この物質万能の世界を、少しでも心の通った世界に変えていくような原動力になってくれたらいいと思います。

【関連サイト】
Seattle Waldorf School

掲載:2004年8月

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