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原田 典子さん (AlphaOmega Soft, Inc. VP of Marketing)

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日本のソフトやハードをアメリカ市場へー。今月は、設立から約1年半のベンチャー企業、AlphaOmega Soft, Inc. のマーケティング部門副社長、原田さんにお話を伺いました。
※この記事は2002年9月に掲載されたものです。

原田 典子 (はらだ・のりこ)

1974年 福岡生まれ。小学校卒業までを千葉や東京で過ごす。

1986年 中学校入学と同時にドイツへ。

1994年 日本帰国。大学入学。

1998年4月 SAP社入社。

2000年12月 アルファオメガソフト社入社。

2001年 AlphaOmega Soft, Inc.設立。渡米。現在に至る。

アメリカで働くことへの夢

もともとアメリカで働くことを希望されていたのですか?

父親の仕事の関係で、13歳から高校卒業まではドイツに住んでいましたが、インターナショナル・スクールで受けたカルチャー・ショックがきっかけで、アメリカで仕事をしたいと思うようになりました。それは、高校ではチームで何かをする場合、各自の責任が非常にはっきりしていたことです。当初はあまりにも個人の責任が追求されすぎているように見えて、「とんでもない!」と思っていたのですが、しばらくするとそちらに魅力を感じ始め、何でもチームで決めるという日本の典型的なやり方には納得できなくなっていました。そして、「自分の責任って何だろう」と考えるようになり、日本に帰ってもその時の影響があって、やはり将来は外資系企業で働きたいと思い始めたのです。

入社、そして渡米

原田さんがアルファオメガソフトに入社されたのは、何がきっかけだったのですか?

大学卒業後、統合業務パッケージ 『ERP』(Enterprise Resource Planning)を作っているドイツのSAP社の日本法人で、テクニカル・コンサルタントとして2年半勤務しました。お客様のニーズにあったソフトを提案していく仕事でとてもおもしろかったのですが、大企業であるがゆえに自由が欠けていたのと、ゆくゆくは海外で、特にアメリカで働きたい、と考えていたので、アルファオメガソフトに入社しました。

御社がシアトルにオフィスを設置されるまでのことについて教えてください。

もともと富士通で働いていた社長が日本で7年前に起業したのが、株式会社アルファオメガソフト(以下、アルファオメガソフト)です。筆頭株主である富士通のサポートを得て最先端のハイテク関連商品を発売するというベンチャー企業ですので、ブランドは富士通を使いながらも、ソニーやその他ライバル企業と協力して製品を開発・販売しています。

パートナー企業が韓国やその他アジア諸国、アメリカに点在していることから、海外拠点を持つことは会社設立当初からの計画でしたが、昨年半ばになって AlphaOmega Soft, Inc. を無事設立することができ、ようやくそれが実現しました。

渡米することは、原田さんにとって大きなステップだったのでは?

もともと弊社には海外のパートナー企業が多く、海外アライアンス部で海外との連絡窓口をしていた私に、渡米の話が来ました。もともと「行きたい」と希望を出していたので、夢がかなったという感じです(笑)。

シアトルを選ばれた理由はなんでしょう?

当初、サンノゼとシアトルが候補にあがっていました。しかし、シアトルは長年のパートナー企業の本拠地で、また、マイクロソフト社のおかげでハイテク企業が多いことから、最終的にシアトルに決まりました。私自身も何度か渡米した時からシアトルの方が良いと思っていました。環境的にもいいところです。

毎日の仕事

会社全体の業務について教えてください。

日本で好評のハードやソフトをこちらに紹介する、またはその逆が主な業務です。現在は、データ復元ソフトのリリースに向けて準備をしています。発売と同時にカスタマーサービスも始めますので、忙しくなるでしょう。また、今回リリースするのはスタンダード版で、年内にはエンタープライズ版もリリースする予定です。さらに、デジタルカメラのデータ復元に特化したソフトや、インターネットを使い、ブラウザだけで顔を見て声を聞きながら会議ができるビデオ会議システムもリリースする予定です。

原田さんの仕事はどういったものが中心ですか?

典型的な1日というのはありません。最初はオフィスの細かなことから外部との連絡まで、すべて1人でやっていましたが、今は従業員が増えていますので、私の仕事は主に日本の本社や在米日系企業とのやり取り、日々のオペレーション関連などになっています。

ソフトウェアのリリースまでのステップを教えてください。

会社としては、まずパッケージのデザイン・製作です。製品に関してはローカリゼーションをします。そして、販売に関しては小売販売やオンライン販売に関すること、カスタマーサービス、PR(雑誌やワイヤー、トレードショーの企画など)、価格設定のための調査、リベートなど、いろいろありますね。また、ラウンチのためにエンジニアをこちらに呼んで、製品に関してはそのエンジニアが中心になり、わたしはプロモーション・価格設定・販路の決定を行います。

アメリカで仕事をしてみて、どうですか?

仕事はもちろんですが、普段から個人が何をやるのかがはっきりしているのが、日本との大きな違いですね。また、やはり最初はアメリカでの仕事に対してイメージばかり膨らませていましたが、実際に来てみると、想像していたとおり、自由ですね。例えば、突然の電話でも用件を聞いてもらうことができ、どんどん物事が進んでいく、という感じがあります。また、こちらの仕事はとても細分化されていますね。日本は内容よりも、課長や部長といった階級が重要ですが、アメリカは階級はもとより、どの部門かがとても重要になります。

社内での仕事に関して言えば、アメリカに来て初めてアメリカ人の部下ができて、コミュニケーションがうまくいかないこともあります。例えば、日本とはビジネスのやり方が違うことで私がつい「日本ではこうなんだよ」と言ってしまったり、いろいろなことが原因で誤解が生まれたり・・・。でも、アメリカ人は責任感が強いですね。安易に仕事を引き受けることはしませんが、いったん自分の仕事と決まれば、時間どおりに仕上げてくれます。

これからの抱負を教えてください。

今は仕事が中心の生活で、ゆとりあるシアトルを満喫するところまで至っていません。でも、まずは、より良い製品を日本とアメリカで販売すること、そして、会社を大きくすることが私の目標ですね。とにかく前進することが私の哲学です。目標を決めて達成し、また新たな目標を決めてそれに向かって努力し達成し、昨日よりも今日と、会社も自分自身も進歩しつづけていくこと。そして、ゴールに到達すれば、それが仕事での成功や人生の成功になると思います。

掲載:2002年9月

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