夫の米国転勤がきっかけでシアトルへ。専業主婦・2児の母という役割をこなしながら早期教育の資格を取得され、モンテッソーリの教師補佐としての就職を実現させた、根岸幸子さんにお話を伺いました。
※この記事は2003年9月に掲載されたものです。
根岸 幸子(ねぎし さちこ)
1987年 家族と共に渡米
1996年 ”Foreign language for youth”で日本語を教えはじめる
2000年 エドモンズ・コミュニティ・カレッジ入学
2002年 エドモンズ・コミュニティ・カレッジ卒業
2003年 モンテッソーリのアシスタント・ティーチャーとして採用
渡米
渡米のきっかけについて教えてください。
大学を卒業して結婚し、2人目の子供ができた後で、夫のアメリカ駐在が決定。最初は5年間の駐在ということでしたが、それがどんどん延長されて今に至ります。赴任当時は英語もできず、E2ビザでは働くこともできず、子供も小さい、ということで家にいることになりました。今でこそ母・妻・主婦・プリスクールの先生と何役もこなしていますが、やはり家庭が一番大事。そんなわけで、渡米直後はとにかく家庭のことに専念しました。
赴任された当時は大変だったのでは。
ボランティアの英語教師に自宅まで来ていただいて英語を勉強したり、ジャザサイズをやってみたり、トールペイントをやってみたりと、趣味の方から少しずつアメリカの社会に参加するようになったという感じですね。その間に英語も少しずつわかるようになり、子供が小学校にあがった時には、子供の学校でボランティアもやりました。また、ある日、花屋でボランティアを始めたという友達に「どうやって働き始めたの?」と聞いたら、彼女は「花が好きだから、ボランティアでいいから働かせてくれ」と飛び込みでお願いしたと教えてくれたのです。そこで、私もイギリス人の人が運営していたプリスクールに行ってパスポートを見せ、「あやしいものではないが、子供も好きだし、英語も勉強したいので」と、お願いしました。そしたら、すんなりとボランティアが決定したのです。そのプレスクールに日本人のお子さんが2人いらっしゃったのが理由だったのかもしれません。私自身のためにやったボランティアはそれが初めてでしたが、本当に良いスタートを切ることができ、ボランティアの良さがわかりました。
コミュニティ・カレッジ入学
本格的に子供の教育について勉強しようと思われたきっかけはなんだったのですか?
子供が大きくなるにつれ、「私はいったい何をやりたいんだろう」と思うようになったことがきっかけだったと思います。そして、私は子供が好きだから、子供の教育方面に進もうと決めました。小学校6年生の文集に「将来は幼稚園の先生になりたい」と書いていたのですが、その頃からそういった考えがあったのかもしれません。また、友だちにこちらにいる間に何か勉強しなさいと言われたこと、そして “Foreign Language for Youth” というところで日本語を教える仕事 をしたこと、日米協会の主催で日本のことを小学生に教える “Japan In a Suitcase” というプログラムでボランティアをしたことも、教育方面に進みたいと思うことにつながったと思います。また、正直に言いますと、勉強が好きではなかった息子が、「私の勉強する姿を見たら奮起してくれるのではないか」と思ったというのもあります(笑)。
学校はどのように選択されましたか?
最初はエドモンズとエベレットとどちらのカレッジにしようか迷いましたが、エドモンズで教えているウェイン・レインハード先生が教師としてとても魅力的な方だったので、エドモンズ・コミュニティ・カレッジで早期教育(Early Childhood Education)の資格を取得することにしました。彼はアジアの教育にすごく興味を持たれている方で、いろいろと質問をされたことを覚えています。
学校ではどのようなことを勉強されたのですか?
入学後すぐに履修したクラスは幼児教育概論のようなものでした。このクラスはコースの最初に取ると良いのでしょうが、大学生活から何年もたってしまっている上に、英語で勉強しなくてはならなかったのでとても大変でした。先生が授業の概要を授業前にインターネットで公開してくださっていたので予習をすることができましたが、とにかく授業がさっぱりわからない。授業のたびに先生にアポを取って質問していました。その他には、子供の発達・成長を促すためにはどのような教え方をしたらいいのか、親御さんとどのように会話をすればいいか、どのようにして子供の “Self-Esteem” (自尊)を育てるか、どのようにして効果的なカリキュラムを組みたてるかなどを勉強しました。
学校で大変だったことはありますか?
クラスでグループを作る時が困りました。「あの人がいいな」と思っても、自分が外国人であること、私より年上のクラスメートもいましたが全体的に年齢に差があったので、積極的になれなかったのです。でも、「幼児教育を勉強しよう」「先生になろう」という人は、心があたたかいのですね。新しいものを見たい、知りたいという好奇心がある人たちですし、子供が好きな人たちですから、私のたどたどしい英語にもちゃんと耳を傾けてくれ、グループで何かをやる時はみんなに引っ張ってもらいました。でも、一番居心地が良かったクラスは、カリキュラムの作り方というクラスでしたね。例えば数学的なことを勉強するにはどんな遊びが良いか自分たちで考えるのですが、グループのメンバーは、たまたまクラスにいた台湾人の子たちとロシアの子たち。お互い外国人ということで、目に見えない強い絆で結ばれました。この資格は、詰め込めば1年半くらいで終了するものですが、私の場合は、夏は家族と過ごすために休み、大変なクラスは同時に取らないことにしたので、3年かけてゆっくり取得しました。
学校の勉強をされている間、家庭との両立も大変だったのでは。
ありがたいことに、夫は私のやりたいようにさせてくれます。もちろん、私自身も突拍子もないことは言いませんし、何でも夫に相談するのですが、これまで反対されたことはありません。私が学校に入ることについても、「幸子はやりたいんだろう?やれば?」と言ってくれましたし、アメリカの自然も人も文化も好きで、山男でもある夫は、料理などもたまに作ってくれますし、子育てにももちろん深く関わっています。アメリカのいいところを取り入れ、日本のいいところを残しつつ、という感じですね。それで私はあれもこれもと、がんばれたのだと思います。また、子供も口には出しませんが、家事を手伝ってくれたりしてサポートしてくれました。でも、学校に入学したての頃は、夕食後にみんながテレビを見ているのに私は勉強しなくてはならず、「私はこれからずっと勉強しないといけないのだろうか」と考えたりして悲しくなったものです。でも、やはり終わりはあるんですね(笑)。勉強は一生していくつもりですが、資格を取得できたときは、本当に嬉しかったです。
就職
モンテッソーリは特別な教育法で知られていますが、そのアシスタント・ティーチャーという仕事は、どのようにして見つけられたのでしょう。
去年の9月から3ヶ月間、デイケアで働き始めたのですが、そこでの仕事が評価されたのと、モンテッソーリ・スクールにお子さんを通学させておられた友人のバックアップを得て、採用していただきました。私はもちろんそれなりに努力していますが、小さな事を始めると大きな事へつながって、うまく事が運んでしまうようです。また、モンテッソーリでリード・ティーチャーになるには特別コースを履修しますが、アシスタント・ティーチャーであれば、そのコースは必要ありません。
でも、これからリード・ティーチャーになるべく勉強していくつもりです。今年の夏に1ヶ月ほど日本に帰った際、たまたまモンテッソーリの教えを一部採用している保育園を参観したのですが、そこで群馬県の高崎市から横浜まで100日間続けて新幹線に乗って通学し、モンテッソーリでリード・ティーチャーの資格を取得したという方に出会いました。その方にはまたパワーをいただきましたね。アメリカであれば、車でどこでも行けますよね。「やろうと思えばなんだってできるんだ」と実感させられました。
アシスタント・ティーチャーとはどのような仕事をするのですか?
モンテッソーリでは「子供がやることを手伝う」ということが念頭にあり、アシスタント・ティーチャーは、リード・ティーチャーの補佐を行います。主な仕事は、子供にとって教具(モンテッソーリの学習に使われる道具)が子供に魅力的に見えるよう、好きなものを取りやすいよう、いつもきれいに整えておくこと、そしてリード・ティーチャーに代わってサークルタイムで歌を歌ったり テーマに沿ったことで皆で話をすることなどがあります。また、1つのクラスには3歳から5歳までの子供が20人以上いるのですが、いろいろなお子さんの成長を見ながら、変化があったら先生同士で話し合います。とにかく先生と生徒そしてその親との関係が密ということがいい点ですね。
今後はどのようなことを教えていきたいと思われますか?
プレスクールには、8時半からお昼まで、または3時までいるお子さんもいます。長時間に渡って保護者と離れていることが多いので、「学校が好き」「友だちと遊んで楽しい」「先生と一緒にいて楽しい」と思ってもらえるような場所作りができたらなと思います。また、私はやはり日本人なので、日本の歌や言葉も教えられたらなと思いますし、また、それに限らず日本のいいところを生活の中で自然に伝えられたらと思います。先日はプリスクールに、海苔・ふりかけ・ご飯・サランラップを持っていき、みんなでおにぎりを作ってみました。アメリカ人の子供の中には、黒くて海草の匂いがする海苔を拒絶する子供もいましたが、韓国人の子供は「韓国語では海苔のことを “キンパ” と言うのだ」と教えてくれました。子供から学ぶことはたくさんありますね。そう思うと、自分自身もこれからまた大きな人間になっていくことができるのではないでしょうか。
掲載:2003年9月