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椎尾譲さん (フレッド・ハッチンソン癌研究センター研究員)

「ミック - 謎のガンたんぱく質を追って」- 今月は、フレッド・ハッチンソン癌研究センターに研究員として勤務されている椎尾さんを訪ねました。
※この記事は1999年10月に掲載されたものです。

椎尾譲(しいお ゆずる)

1964年 札幌市に生まれ、神奈川県鎌倉市で育つ

1989年 東京大学医学部卒業、医師免許取得、東京大学大学院医学系研究科博士課程入学、発ガンウイルスとガン抑制遺伝子に関する研究開始

1993年 医学博士、学術振興会特別研究員

1996年 フレッド・ハッチンソン癌研究センターで勤務開始

【関連サイト】www.fhcrc.org

ミック(Myc: Myelocytosis)研究について

椎尾さんがこのフレッド・ハッチンソン癌研究センターに来たのは1996年のこと。東京大学大学院在学中からガン抑制遺伝子の研究分野で学術振興会特別研究員となった後、白血病に関係するガン遺伝子を研究していた頃の謎の物質との出会いがきっかけでした。その物質の名前はミック(Myc: Myelocytosis の略)。トリにガンを起こすウイルス(Avian Myelocytosis Virus)、つまりトリ骨髄球症ウイルスから発見された、たんぱく質です。現在のところ、ミックは、いろいろな種類のガンの発生に関係するたんぱく質で、正常な人間の体内にも存在するということがわかっていますが、その正確な働きは明らかになっていません。

「ミックはどうやってガンを起こすのだろう? このたんぱく質について研究したい」

椎尾さんは1993年に講演のため来日した Myc 研究の第一人者、ロバート・アイゼンマン博士と昼食を共にしたことで、一緒に研究してみたいと思うようになりました。その後、研究に参加したいとの手紙を送ると、これまでの業績が認められ、ついにフレッド・ハッチンソン癌研究センターの同博士の研究室で研究することになりました。

フレッド・ハッチンソン癌研究センター(Fred Hutchinson Cancer Research Center)について

アメリカの研究所というのは、日本と比べると、どのような感じですか?

そうですね。規模は大きいですし、研究も非常に進んでいますね。職員の数から予算まで、日本とは桁違いです。研究所内外から参加できる研究集会なども頻繁に行われていますし、所内の図書室(Arnold Library)では、コンピュータで書籍の検索もでき、研究に必要な医学生物系の書類や雑誌がほとんど手に入ります。また、効率を高めるシステムも驚くほどです。例えば、私の所属するベーシック・サイエンスには約200人の職員がいますが、それぞれのグループで共通して必要なもの、例えば DNA 配列決定や合成、ペプチド合成などは、すべてバイオ・テクノロジー・センターでまとめて行います。テクニシャン達が実験に必要な器具も洗ってくれますし、滅菌や共通の試薬もまとめて用意してくれるので、コスト節約もでき、実験のスピードも速いです。アメリカのいいところの一つですね。

さらに、日本の建築と比べ、建物のスペースの取り方に余裕があります。研究室の中は日本とそう違いはありませんが、所内には噴水やカフェがあり、人間的な時間を過ごすことを考えて作ってあるので、とてもゆったりとしています。

日本の分子生物学も相当に高い水準にありますが、分子生物学はもともと欧米で始まり発展してきたためか、学問の方向を決めるような研究は、いまだに欧米、特にアメリカでなされることが多いです。この研究所でも、過去に筋肉細胞分化の鍵を握る遺伝子の発見や、Myc に結合する Max の発見(後述)などの大きな業績があげられています。

ガンについて

一般的にも広く知られているガンとは、どのような病気なのでしょうか。

1980年代前半、ガンという病気は、「発ガン遺伝子によって作られる」と考えられていました。しかし、同年代後半に、発ガン遺伝子の他に、ガン抑制遺伝子という、ガンの発生を抑える働きをする遺伝子も存在することがわかりました。車の原理で説明すると、ブレーキにあたるのは、ガンの発生を抑える役割をしているガン抑制遺伝子で、アクセルにあたるのは、ガンの発生を助ける役割をしている発ガン遺伝子です。つまり、ガンになるということは、このブレーキとアクセルのバランスがうまく取れていない状態のことなのです。それからさらに研究が進み、現在では複数のガン遺伝子と複数のガン抑制遺伝子の異常(複数のアクセルが働きすぎて、複数のブレーキが故障すること)によってガンが発生すると考えられています。これは多段階発ガンモデルとよばれています。モデル動物として使われているのはショウジョウバエ。ショウジョウバエをガン研究に応用するのはまだ始まったばかりですが、ショウジョウバエにも Myc が存在するので、遺伝学を利用した Myc の機能の解明に役立つのではないかと考えられています。

ガンの原因には、どういったものがあるのでしょうか。

癌の原因の3分の1が、喫煙です。これには、ブリンクマン指数というのがあります。

「1日の喫煙本数 X 喫煙年数 > 500以上」

であれば、危険レベルと見て良いでしょう。

次の3分の1は食事です。 日本人は塩辛いものを多く摂る傾向にありますが、これは胃の中で発ガン物質の発生を進めます。ですから日本人には胃ガンが多いですね。これを抑える働きをするのが、野菜や果物から摂れるビタミンCです。 それから、油っこいものは大腸ガンの原因になります。アメリカ人には大腸ガンが多く見られますが、これを抑制するには野菜から摂れる繊維が良のです。また、これは当たり前のことですが、カビの生えたものは食べないこと。カビには、アフラトキシンに代表される強力な発ガン物質が含まれています。そして、魚の黒コゲは食べないこと。魚の黒コゲにはベンツパイレンという、発ガン性の物質が含まれています。また、よく知られているように、アルコールの飲みすぎは、肝炎や肝硬変、そして肝ガンの原因になります。

この次に多い原因としては、ウイルスによるものがあります。聞いたことがあると思いますが、B型肝炎ウイルスでは、親から感染した子供がウイルスのキャリアーになっていることがあります。それが後々に慢性肝炎になって、肝硬変からガンに発展したりします。また、C型肝炎ウイルスも、肝ガンの原因になると考えられています。

その他のガンの原因には、遺伝もあります。頻度としては非常に少ないですが、家系に伝わる遺伝の為にガンになる場合もあります。

それから、白人に多いのが皮膚ガンです。小麦色になろうとするのもいいのですが、やはりきちんと日焼け止めなどを塗らないと、紫外線による皮膚ガンの危険を増やしていることになります。

いろいろと原因がわかっているようですが、それに対してはどのような治療方法が研究されているのでしょうか。

そうですね、ガン研究は、分子生物学の中でも盛んな分野の1つ。多額の予算や人員が投入され、ガンがどのようにしてできるのかはかなりいろいろわかっているのですが、それが治療に結びついていないのが現状です。治療は今のところやはり早期発見・早期切除が基本です。特定のタイプのガンについては、化学療法や放射線療法が効果を上げるものもあります。

椎尾さんが研究されているMyc(ミック)とは、どのようなたんぱく質なのですか。

前述のブレーキとアクセルで説明すると、ミックはガン細胞を増殖させるアクセルにあたります。ミックが働きすぎることがさまざまなガンの発生に関わるということははっきりしていますが、ミックがどのようにしてガンを起こすのかはいまだによくわかっていません。現在のガン研究の最大の課題の一つと言っていいと思います。

今現在わかっているのは、ミックがマックス(Max)というたんぱく質と結合すると、ガン細胞を増殖させることができるということです。このマックスを発見したのは、私の上司のアイゼンマン博士のグループです。まず、ミックとマックスが結合しますね。そして、DNA 内の “CACGTG” という配列部分に一緒に結合し、ガン細胞増殖のスイッチを ON にすると考えられているのです。このマックスは、発ガンのアクセルであるミックともくっつくのですが、一方で、発ガンのブレーキであるマッド(Mad)とも結合するのです。そこで私は、このようにいろいろなたんぱく質が互いに結合して働くということに注目し、これらのたんぱく質にさらに結合するたんぱく質を探す研究をしています。

これからの研究の目標を教えてください。

これまでにミックやマッドあるいはこれに関係するたんぱく質に結合するものとしていくつかのたんぱく質を見つけてきました。これからは、そのたんぱく質の働きを明らかにすることを通して、ミックがどのようにガンを引き起こし、マッドがどのようにガンを抑えるかを理解し、さらにそれが有効な治療法の開発に結びつけばと願っています。

掲載:1999年10月

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