駐在員の方に、シアトル地域でのご経験と、駐在員の目から見たシアトルやアメリカ、日本について伺うシリーズ。第3回は、茹で時間がわずか3分という、特徴ある製品をはじめとした乾燥パスタを製造しているメダリオンフーズに、2019年6月から副社長兼品質保証責任者として赴任している寺沢(北脇)恵理子さんに、お話を聞きました。
ー メダリオンフーズについて教えてください。
メダリオンフーズは日清製粉グループの加工食品事業を担う日清製粉ウェルナの子会社で、ワシントン州タコマ市に工場を持ち、1998年から乾燥パスタを製造しています。日清製粉グループは、製粉事業、食品事業、その他の事業を行っていますが、加工食品事業ではアメリカはメダリオンフーズ、日本国内やトルコで製造する乾燥パスタ以外にも、ミックス粉やパスタソース、冷凍食品を提供しています。
ー この仕事に就いたきっかけは。
10代の頃から生物や化学が好きだったので、理系の大学に進学し、農学系の大学院で研究をしていました。研究内容を生かして製薬企業に就職するべきかどうか迷いましたが、もともとパンやベーカリーが好きだったので、「やっぱり好きなことに囲まれて仕事をしたい」と思い、日清製粉グループに就職しました。大学や大学院で勉強したことのまったくの延長ではありませんが、基本的な知識や食品化学の知識や考え方が役に立っていて、今年で入社24年目になります。
ー 海外駐在のチャンスをどのようにして掴んだのでしょうか。
日清製粉グループの中に海外事業があるのは知っていましたし、グローバルに活躍できる企業であることも就職の理由だったので、「海外に行きたい」という希望はことあるごとに社内で伝えていました。
これまで日本国内で転勤を何度か経験し、工場勤務も経験しましたが、女性の海外駐在はまだグループ内に数名しかいません。日本では女性駐在員はまだ珍しいですが、これから増えるでしょうから、その道を少しでも作れたらいいですね。でも、女性ということにとらわれず、仕事をやりたいと思っています。
ー こちらでの仕事の内容や1日の様子を教えてください。
副社長兼品質保証責任者として、タコマ市にある工場で、製品の品質管理や品質保証の上での判断、現場での生産管理を担当していますが、現地の市場開拓や今後のビジネス展開立案の長期テーマも経営陣として携わっています。
メダリオンフーズの茹で時間3分のパスタの技術は日本で開発されたもので、パスタの断面を風ぐるまのような形状にすることで、茹で時間を短縮することができます。でも、日本で売れるものが、そのままこちらで売れるわけではありませんし、アメリカ市場で、その価値がどう受け止められているのかとらえていくことも今後の課題です。
コロナ禍の時も、今も、基本的に製造現場が職場であるので、在宅勤務をせずに今と同じように朝7時台に自宅を出て、1時間ドライブして工場に通勤しています。穏やかな日もありますが、何らかの判断や指示が必要な日もあり、バタバタしているうちに夕方になり、今度は朝になった日本の本社から依頼が送られてきたり会議があったりして、2シフト稼働しているような気持ちです。週末はなるべく休んで、家族と時間を過ごすようにしています。
ーシアトルでの仕事で気づいた共通点や驚いた点
日本の本社とこちらの子会社では、職場の雰囲気が違います。本社は長い歴史がある日本企業で、伝統を大事にするところがありますが、こちらではストレートに意見を言い合って、ディスカッションをし、最適な方法を見つけて変えていこうという文化があります。好みの問題かもしれませんが、私は上司に、直球しか投げられないと言われるほど、行間を読むとか空気を読むとか苦手ですから、気兼ねなくできるのがやりやすいと感じるのでしょうね。
では、こちらでは行間を読む、空気を読むことがいらないかというとそうではなく、日本ほどディープではないけれども確かにそういうところもあって、相手の気持ちを汲んでデリケートに扱う伝え方も求められます。お互いに気にし合う部分が違うのでしょう。でも、こちらはそもそもポジティブな発想でポジティブに動いていくので、相手に動いてもらう時にポジティブな気持ちにさせることは、とても大事だと感じています。例えば、日本なら「こうしたら、このような(マイナスの)影響があるからね」と、リスクや不安を認識させるネガティブな点から動いたりします。一方、アメリカでは「これをやったら、これだけプラスのいいことがあるよね。」とポジティブな点から動く感じですね。どちらかが良くて、どちらかが悪いというのかではなく、こちらでは指示を出す時やコミュニケーションをとる時は、ポジティブな点からアプローチするようにしています。
ー 寺沢さんはご家族を帯同していますが、どのようにして決めましたか。
日本では共働きで、娘は当時まだ6歳だったので、私が一人で渡米するか、私と娘だけが渡米するか、それとも夫が会社を辞めて3人家族で渡米するか、夫婦で話し合いました。結局、家族で一緒にいることを選んで、夫が仕事を辞め、3人で渡米しました。
娘のことが一番心配でしたが、馴染むのはとても早かったです。今は10歳で現地の学校では5年生になり、英語も平気になりました。思い切って連れてきて、アメリカの学校に入れて、本当に良かったなと思います。
夫の場合、海外に来たことより、仕事を辞めて主夫になったことの方が、苦労が大きいのではと思います。最初の頃は、これまでぶつからなかったことでぶつかったりして、お互いに大変でした。そんな経験を通して、異国にいるからこそ、もっと思いやりが必要だという理解が深まりました。
ー 子育てをしながらの海外赴任で気づいたことはありますか。
子育てをしながらの海外赴任は、充実しているように思います。お話ししたような、ストレートに意見を言い合って、ディスカッションをし、最適な方法を見つけようというポジティブな職場環境についても、娘の公立学校での教育を見聞きすることで、「なるほど、こういう教育を受けてきたから、こうなんだ」と理解できるのが、とても面白いです。例えば、こんなに職場で活発な議論をするのも、小学校からプレゼンテーションやディスカッションをして育ってきているからなんですね。
また、学校に関係することで、合理的だなと思うことが日常的にあります。一つの例ですが、学校からの一斉連絡はアプリやメールなどが使われています。今ある便利なものを使って合理的にやるという考えが、日本よりも浸透しているように感じます。
ー 住環境についてはどうでしょう。
駐在員は、日本の会社に雇用されていることもあり、本当の意味でアメリカの生活を感じることはできないと思います。また、自宅のあるベルビューの生活がアメリカそのものではないことも理解していますが、とても暮らしやすいところで、住んでいて困ったりすることはありません。強いて言えば、家が古いことぐらいでしょうか。でも、私はアメリカの広いキッチンや、パワフルな家電が好きで、特に日本に帰ったら使えないようなオーブンを使いこなして、時間があればいろいろなものを作っています。
家族で帯同することについて 寺沢さんご夫妻インタビュー
一家3人で赴任した寺沢さん。夫の暁彦さんは会社を辞め、主夫として家を切り盛りし、娘さんの現地校や補習校のサポートをしています。日本では妻が駐在し、夫が主夫となるケースはまだ珍しいとのことで、お話を伺いました。
ー 渡米の準備で、今も覚えていることはありますか。
暁彦さん:そんなに準備らしい準備はしなかった気がしますが、物理的な準備より、気持ちの面の準備が必要だったと記憶しています。もし私が日本に残って仕事をするのであれば、私と妻のどちらが子どもと一緒に暮らすのか、どうするのが一番いいのか話し合いました。幸いなことに、日本で働き方改革が始まり、私の勤めていた会社は対応が早く、2019年4月には「配偶者の都合で転勤になると、その転勤に伴って会社を辞めても復職できる」という制度が導入され、私はその2ヶ月後に会社を辞めて渡米しました。この制度で辞めたのは、おそらく私が最初だったと思います。いつになるかわかりませんが、将来日本に戻った時に仕事に戻れるようにしたいと思っているので、こちらでも勉強を続けています。
ー 来た当初に苦労したことや、驚いたことには、どんなことがありますか。
暁彦さん:日本ではIT系の会社で事業計画や企画を担当し、法務部にいたこともあります。でも、特にこちらで就職したいと思っていなかったので、英語も話せない状態でしたから、こちらに来たばかりの頃はまったく話せず、英会話の先生を見つけて勉強しました。とてもいい人で、よく面倒を見てもらいました。
恵理子さん:昔から海外旅行が好きで、英語も旅行レベルでは苦労はなかったのですが、実際に引っ越して生活してみると、「自分の英語はこんなに通じないんだ」と驚きました。
暁彦さん:そういえば、来たばかりの頃、娘と二人で初めてスーパーマーケットに行った時、行方不明になっている子どもたちの写真が貼ってあって驚いたのを覚えています。大変な地域なんだろうかとドキドキしながら店に入ると、買い物をしていたおばあちゃんに声をかけられました。「お嬢ちゃん、かわいいね」みたいなことを言われただけなのですが、日本の生活ではそんな経験がなかったのと、直前に行方不明の子どもたちの写真を見たことで、構えてしまいました。そして、コーヒー豆が見つからなかったので店員に聞いたところ、「あっちにある」というようなことを言っただけでどこかに行ってしまい、不親切だなと。また、日本でいうファミレスみたいなところで外食した時、お金の払い方がわからず困りました。日本のそういう店では自分で会計に行って支払いますが、こちらではサーバがテーブルに請求書を持って来ることを知らなかったので「どこで払うんだろう?」と店の中をうろうろして、店の方に怒られてしまいました。最初の頃は、そんな小さなことがすごくストレスでしたね。
あと、医者にかかる方法がまだわかりづらいです。日本だと、ヒビが入っているようなら整形外科、風邪を引いたら内科と、自分で考えて行って薬をもらってきますよね。でも、こちらではアージェントケアとかプライマリケアに行って、紹介をもらって・・・と、それをやってる間に風邪が治ってしまうじゃないかと思いました。娘の腕にヒビが入った時、プライマリケアに行ってレントゲン(X-Ray)をとって、骨が折れていないことは確認したものの、そこから先に進まなくて困りました。折れていなかったから大丈夫ということなのか。結局、自分で薬局に行ってテープを買い、固定して治したのですが、いまだに何だったのかよくわかりません。
恵理子さん:その一方で、医療でもはっきりしていることがありますね。この間、日本で人間ドックを受けたら要精密検査と結果を受けたのですが、はっきりした説明がなく、モヤモヤしたまま、「次の検査に進んでください」と言われただけでした。それで、こちらでも同じ検査を受けてみたところ、検査の生データを全部見せてくれて、「病気ではありません」と言い切ってくれましたし、説明もとても詳しく、「ここまで患者に開示するんだ」と驚きました。そして、その後どうするかは自分次第、家庭医と相談してくださいと言われたので、状況がわかりやすかったです。
ー 学校生活はどんな感じですか。
暁彦さん:娘は今でこそとても元気に学校に行っていますが、最初は大変でした。私と家から歩いて登校する時は元気でも、教室に入った途端、毎日泣き出してしまうのです。でも、担任の先生がとても優しい方で、「子ども達にプリントを配るボランティアをしてくれ」と、私に仕事をくれて、娘が泣き止むまで教室にいてくれていいと言ってくれました。そんな個人の事情に合わせてくれるなんて、保育園ならまだしも、日本の公立小学校では考えられないと思うのです。その場その場の事情に合わせて、最適なやり方を見つけ出してくれるなんて、とても柔軟でいいと思いました。
言葉に関しては、娘はまだ6歳だったので準備らしい準備はしませんでしたが、英語を覚えるのは早かったです。振り返ってみると、半年ぐらいから話し始め、1年後ぐらいにはそれなりにコミュニケーションを取れるようになっていました。こちらに来て半年でコロナ禍になり、学校もリモートになって、少し特殊な状況だったとは思いますが。
恵理子さん:今だから言えるのかもしれませんが、子どもは、大人が想像するよりもずっと速く言葉を吸収するんだなと。もし不安を感じている方がいたら、思い切って放り込んでみたらと言えるかもしれません。娘はソフトボールをやっていて、地域のリーグに入っています。スキルにかかわらず楽しくスポーツができる土壌があるのがいいなと思います。
ー 日本語の維持はどのように工夫していますか。
恵理子さん:私は平日は仕事で、土曜日の日本語補習校の宿題はまったく面倒を見ることができないので、「教科書の音読を聞かせて」と、たまに促したりするぐらいです。平日に計画的にやる家庭学習は夫に頼っています。でも、補習校のお友達とのお泊まり会や、お友達と一緒に勉強したりお菓子作りをしたりといったことは、私が周りのお母さんたちとアレンジしています。私ができるのはそのぐらいですね。
暁彦さん:「宿題をちゃんとやろうね」と、以前から言ってきましたが、もう5年生ですから、少し自立して欲しいという思いもあります。そこで、今までは「この土曜日は補習校があって、宿題はこれがあるね。それまで5日あるから、この日はここまで進めようね」と私が言うのをやめてみました。親に言われるままにやって、やらされているという気持ちになったり、頭を使わなくなったりするのは避けたいなと。そして、遊んでいる時やテレビを見ている時、ご飯を食べている時などに、「あれどうなったの?」と、しれっと聞いてみるようにしたんです。そうすると、「パパ、宿題やる?」と聞いてくるようになりましたので、今のところ、その方が良さそうに見えます。もちろん、娘にとっては遊ぶのが最優先ですけどね(笑)。
恵理子さん:学校以外では、娘は、実家から送られてきた日本語の本を読んだり、日本のテレビや動画、映画を見たりしています。でも、現地校に日本人がいないので、普段の日本語は家庭と補習校の宿題ぐらい。やっぱり、普段の生活で使わない言葉を1週間に1日だけ学んで身につけるのは難しいですね。あまり英語だけに偏っても困りますが、無理に日本語を学ばせるのでもなく、バランスを取りながら、うまく両方話せるようになったらいいなと見ています。
ー生活での楽しみにはどんなことがありますか。
恵理子さん:コロナ禍で仕事以外の外出がほとんどなくなっていた時は、自宅でお菓子作りをするようになりました。シアトルには日本やヨーロッパのお菓子は高級品しかないので、食べたいなら作るしかない。私がお菓子を作るようになったので、娘も作れるようになってきました。今では子どものお友達も呼んで一緒にやることもあって、喜ばれます。また、娘は、鳥や野生動物が好きなので、双眼鏡や図鑑を買って、近くの山や、野生の鳥が集まる自然保護区に行ったりしています。野鳥や動物には会えない可能性もありますが、見つけたときには「そんなところにいたのか」という、動物園とはまったく違う楽しみがあることを、こちらに来て知りました。それから、パンプキンパッチやトリック・オア・トリート、自宅を飾るイルミネーションなど、アメリカならではのイベントを楽しんでいます。
ー 家事の分担についてはどうですか。
暁彦さん:日本にいた時は共働きでしたが、妻の出産後は、私が時短勤務制度を使って毎日保育園に迎えに行き、ご飯を作っていました。今は、家事はだいたい私がやっています。
恵理子さん:普段、掃除と洗濯は、私はまったくせずに夫に任せきりです(笑)。ゴミ出しもしていませんね(苦笑)。週末にお菓子とパンを作って、できる時だけ料理をすることが担当です。
暁彦さん:妻は帰宅も遅いですし、一生懸命に働いてくれているので、半分ずつ分担して欲しいとか、そういうことは思わないですね。私が仕事をしていないので、そこは全然困りません。困ることがあるとすれば、晩御飯のメニューです。この1ヶ月ぐらい、娘は毎日カレンダーに夕食のメニューを記録し、それを見て「またハンバーグ?」とか言い出すので、妻が土日だけでもご飯を作ってくれたり、外食したりすると、助かります。
ー 最後に、アメリカにいる間にしておきたいことは。
暁彦さん:結構いろいろなことをやって、いろいろなところに行きました。でも、アメリカにいる間に、NBAの試合を観に行きたいですね。
恵理子さん:車で何時間もかけて遠くに行くロードトリップはあまりチャンスがなかったので、できればもっとやってみたいと思います。また、アメリカから直行便で行けるところのうち、日本からはアクセスしずらい南米などにも行ってみたいですね。お話ししたように、娘が動物が好きなので、野生動物が見られるところにもぜひ行ってみたいと思っています。
寺沢(北脇)恵理子さん(てらさわ・きたわき・えりこ)略歴
メダリオンフーズ.Inc 副社長兼品質保証責任者。メダリオンフーズ.Incは、日清製粉ウェルナの子会社。1977年、長野県上田市に生まれる。2001年に東京大学農学生命科学研究科の応用生命化学専攻修士課程を修了し、日清製粉株式会社に就職。4年間業務用ミックス粉の研究開発に携わった後、日本国内の千葉工場や東灘工場に駐在して小麦粉の品質管理にも携わる。2012年から、日清製粉プレミックス株式会社で、ミックス粉の品質管理に携わり、2013年に1年間の育児休職を経て復帰した。2019年から初めての海外駐在で現職につき、乾燥パスタの製造工場で品質保証および事業経営に携わっている。
【公式サイト】www.medallionfoods.com