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第7回 ニューホーリーとレーニア・ビスタ

筆者プロフィール:松原 博(まつばら・ひろし)
GM STUDIO INC.主宰。東京理科大学理工学部建築科、カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築大学院卒。清水建設設計本部、リチャード・マイヤー設計事務所、ジンマー・ガンスル・フラスカ設計事務所を経て、2000年8月から GM STUDIO INC. の共同経営者として活動を開始。主なサービスは、住宅の新・改築及び商業空間の設計、インテリア・デザイン。2000年4月の 『ぶらぼおな人』 もご覧ください。

写真1: オセロー駅付近

約150年の歴史 を持つシアトルで最も新しい街と言えば、ニューホーリーとレーニア・ビスタかも知れない。ダウンタウン・シアトルから南東に約3マイル、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・ウェイ・サウス(Martin
Luther King Jr. Way South)沿いにあるこれら2つの住宅街は、シアトル・ハウジング・オーソリティという、日本で言えば日本住宅公団のようなシアトル市の事業部によって、主に低所得者層住宅を中心に1995年に再開発が開始された。ニューホーリーは現在ほぼ完了、レーニア・ビスタは2期開発がまだ進行中である。直線距離にして1マイルも離れていないこれらの住宅街はこれまでのような団地開発とは異なり、「ニュー・アーバニズム」(New
Urbanism)と言われる新しい都市計画コンセプトに基づいて街区や建物が計画設計されており、特にニューホーリーは既に数多くの都市設計の賞を受賞している。また、これらの再開発地域はちょうど2009年に開通したライト・レール(軽量軌道交通)沿いにあって(ニューホーリーはオセロー駅、レーニア・ビスタはコロンビア・シティ駅)、ダウンタウンまで約20分、シアトル・タコマ国際空港まで約20分という理想的な立地条件を満たしている(写真1)。

この「ニュー・アーバニズム」は、1980年代初期に提案された、新しい形態の都市計画で、一言で言えば第2次世界大戦以前の旧来の都市像、すなわち車に頼らず歩行距離内に都市としての必要な機能(住宅・学校・職場・公園)が備わった街を造ることを主眼としている。その背景には、20世紀後半の自動車交通を中心とした個別住宅地区(郊外)のスプロール化によって生じる都市中心部のスラム化や経済の空洞化を喰い止める目的がある。また、このニュー・アーバニズム形式の中で特に強調されていることは、その地方にあった建築様式(リージョナリズム)、職住一致、低所得者層住宅の増加、コミュニティ・センターなどを中心とした公園施設などの開発である。

写真2: ニューホーリー街区内の通り

ニューホーリーもレーニア・ビスタも共に、1940年代初期に軍需産業携わる工員のための住宅街として開発され、戦後は復員兵の家族が住む団地として利用された後、低所得者向けの団地として1990年代まで利用されてきた。1995年に再開発が始まったニューホーリーへの投資額は約3億4千万ドル。もともと871世帯が入っていた102エーカーの街は、その後、1,400世帯の街に変身した。1999年に始まったレーニア・ビスタの再開発には2億4千万ドルが投資され、現在進行中の2期工事終了時には約900世帯の住宅地となる。これらの新しい街を訪れてまず気がつくことは、街区が他のシアトル市内の街のように碁盤目状になっておらず、通りの始めから終わりが見渡せることだ。また、シアトル市の街並に比べて家の全面が通りに近く、建物同士の距離も明らかに近い。それぞれの家の前庭のプライバシーが少ない分、街区に一つの集合体としての親近感が感じられ、京都の町屋街のように、通りのセキュリティと交通安全の向上に役立っているようだ(写真2)。

写真3:レーニアビスタ街区内樹齢数十年の木

また、街の中に突然樹齢何十年にもなる大樹が残っていて驚かされる。街区のレイアウトをする段階で、この地域にあった古い木々は造成の経済的な利便に優先されることなく保存され、その雄大な枝ぶりは再生された街並みの魅力の一つとなっているのだ(写真3)。そして、5~6街区ごとに大小の公園または小さな溜まり場が設けられ、子供達の遊び場と大人たちの触れ合いの場所も確保されている(写真4)。また、街の中心部には図書館とコミュニティ・センターがあり、共稼ぎの家族のための子供の保育施設、仕事斡旋所、ユース・センター(青少年のための活動施設)なども完備されている。

写真4: ニューホーリー街区内のオープン・スペース

シアトル市内で人気の高い魅力的な街といえば、海や湖や山が見える地域であったり、歴史を感じさせる古い建物が残った街区であることが多い。それらと比べたニューホーリーとレーニア・ビスタの魅力は何かと言えば、街全体が単なるベッドタウンという機能を超えて、その住人の生活により有機的に機能していることだろう。言い換えれば、昔懐かしい「村」のような形態の街と言えるのではないだろうか。

(2010年9月)

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