著者プロフィール:水口 典久
兵庫県ワシントン州事務所所長。2012年4月にワシントン州にある同事務所に赴任し、兵庫県とワシントン州の経済・文化・教育交流の促進、および姉妹都市交流の支援を担当しています。兵庫県ワシントン州事務所の公式サイトはこちら。
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分(日本時間)、兵庫県南部を中心にマグニチュード7.3という直下型巨大地震が発生しました。
後に阪神・淡路大震災と呼ばれるようになったこの地震によって、死者6,434人、行方不明3人、焼損棟数7574棟と、神戸市を中心とした広い地域が大きな被害に見舞われました。そうした中で、地域経済を支えていた多くの地元企業も被災しました。地元住民の働く場であり、また、各分野の伝統を守ってきた企業です。
その地震から今年で20年。今回は、地震という自然災害がもたらした困難を懸命な取り組みによって乗り越え、米国市場に挑戦するまでに復活した神戸の企業の活動をご紹介します。
神戸酒心館 - 260年以上の歴史を持つ福寿ブランド -
(1) 260年以上の歴史を持つ酒蔵
宝暦元年(1751年)12月、灘五郷の一つ御影郷(神戸市東灘区)に「福寿」を醸す酒蔵が創業しました。それから260年以上が経過した現在、13代目の当主である社長の安福武之助氏と常務の久保田博信氏の兄弟によって、手間暇をかけた麹作りなど生産量を追わず手作りにこだわった酒造りが行われています。
神戸酒心館 ホームページ:www.shushinkan.co.jp/fukuju/
(2) 「阪神・淡路大震災」により木造の酒蔵が全壊
阪神・淡路大震災によって、神戸市内にあった31社の酒蔵のうち17社が全半壊し、震災以降、多くの酒蔵が廃業に追い込まれました。
神戸市東灘区にあった「福寿」の木造蔵も地震の強烈な揺れによって全壊するなど大きな被害を受けました。そうした中、長い歴史を途絶えさせないという強い意志により、再建に向けた取り組みが始まりました。その方向性は、酒蔵は酒造りをするだけの場ではなく、お客様にお越しいただけるような魅力ある場にしたいというものでした。昭和50年(1975年)頃から日本酒の消費量が減ってきていたため、「福寿」の酒蔵では、昭和60年(1985年)「酒蔵から情報発信をして、沢山の人に来てもらおう」と、精米所を改装してお酒を提供し、ちょっとしたコンサートも楽しめるスペースが設けられていました。震災によりこのスペースは全壊してしまいましたが、同じコンセプトを基本に、酒造りの心臓部である醸造棟を中心にショップや飲食施設、ギャラリー、イベントホールなどを併設した酒蔵として、地震から2年後の平成9年(1997年)秋に「神戸酒心館」として生まれ変わりました。安福幸雄会長(当時専務)に、建設途中の酒蔵を案内していただいたことがあります。倒壊した酒蔵の柱などを大切に保存し、新しい酒蔵にはそれらを使用するのだと説明していただいたことを覚えています。
(3) 新しい酒蔵に戻ってきた「蔵つき酵母」
平成9年(1997年)秋から新しい蔵での酒造りが再開されました。神戸酒心館でも元々酒蔵に棲みついている酵母「蔵つき酵母」を採取・純粋培養していましたが、震災により木造蔵が倒壊、「蔵つき酵母」はいなくなってしまいました。しかし、蔵の建て直しにより新たな「蔵つき酵母」が誕生したというお話を安福会長からお聞きしたことがあります。酒造りは自然とともに生きているのだと実感しました。
(4) 昨年9月からシアトルでも販売がスタート
当事務所では、7年前から米国での販路開拓のためマーケティング支援を行ってきました。福寿のブランドを理解し、市場開拓や市場浸透を任せられる米国でのディストリビューターがなかなか見つからない状況が続きましたが、安福社長の継続した努力によって、KURAMOTO US というディストリビューターが見つかり、2年半前から米国での販売がスタートしました。シアトルにおいても、昨年の9月から、当事務所が支援をして、シアトルの2つのレストラン(Ten Sushi と Saka Nomi)で販売がスタートしています。
オリバーソース - 関西の粉もの文化を支える神戸のソースブランド -
(1)英国のウスターソースから生まれた「日本で最初のとんかつソース」
オリバーソースは、現社長の道満雅彦氏の祖父の道満 清氏が英国からウスターソースの輸入を始め、大正12年(1924年)3月に「道満調味料研究所」を神戸市内に設立し、自社製ソースの製造を行ったことから始まりました。オリバーという社名は、英国ウスター市の老舗商標「OLIVER」を引き継いだもので、昭和23年(1948年)に日本独特の甘みと粘りのある濃厚ブラウンソース「とんかつソース」が日本で初めて誕生しました。
ウスターソースは、ロンドンの北西部180キロほどのイングランド中央部、ウスターシャー州の州都ウスター市で初めて作られたため、地名をとって「ウスターソース」と呼ばれています。
その後、オリバーソースは、関西庶民の食文化・お好み焼きや焼きそばの粉ものメニューを支えていくようになりました。
オリバーソース ホームページ:www.oliversauce.com
(2) 「阪神・淡路大震災」による火災により工場が消失
阪神・淡路大震災では、建物の倒壊による電気機器や配線などが原因の大規模火災によって7千棟を超える住宅、焼損面積にして80万平方メートルを超える街並みが消失しました。
神戸市兵庫区にあったオリバーソースの本社・工場も火災の被害に遭い、事務棟を含む3棟を全焼、残ったソース製造設備はことごとく倒壊という、壊滅的な被害を受け、3年以上もの間、市場から商品が姿を消し、海外への輸出も途絶えてしまいました。
(3) 新たな工場での生産開始と震災に耐えたソース
その後、再建に向けた懸命な取り組みが始まります。平成7年5月、被災地跡にプレハブの仮本社事務所及び仮倉庫が建設され、事業を再開。しかし、区画整理に伴い、同じ場所での工場の再建ができず、神戸港内の人工島ポートアイランド2期に移転し、平成8年(1996年)3月に建設が始まった新工場が、平成9年(1997年)7月に完成しました。
また、道満社長は、「地震で全てがなくなってしまった訳ではない。生まれてくるものもある」とのチャレンジ精神を培っています。それは、震災に強烈な揺れを受けても倒れずに耐えていた一つのタンクの中に寝かされていたソースを、「復興の祈りをこめて」 震災からちょうど10年後の平成17年(2005年)1月、『オリバークライマックス10年仕込みソース』として限定発売し、その収益をすべて震災遺児に寄付していることにも表れています。普通のソース作りではそこまで長期間ソースを寝かすことはないとのことですが、その経験は、同社のソースの新たな製法に「長期熟成製法」が加わることにつながりました。
道満社長は「当社では今回、最後の原液でクライマックス20年仕込みソースの生産を完了し、復興に区切りをつける気持ちです」と話しています。
(4) シアトルでの販売開始・海外輸出再開
当事務所においてアメリカ北西部最大の日系スーパーマーケットの宇和島屋にオリバーソースをご紹介し、平成24年(2012年)9月からシアトルとベルビューでの宇和島屋での店頭販売が開始され、同社の海外輸出が再開しました。
商品は伝統の「とんかつソース」と、和風の「神戸ソース」で、平成25年(2013年)4月には、当事務所の職員が宇和島屋の店頭で試食販売を行うなど、その後の販売促進活動を継続して支援しています。
「地域ブランド」の米国での販売促進
日本各地には、ご当地ブランドがあり、さまざまな環境の変化に対応しながら、各企業の努力によってそのブランドを守っています。
神戸では、今回ご紹介した福寿とオリバーソースをはじめ、地域ブランドを大切に守ってきた多くの企業が、阪神・淡路大震災がもたらした困難にも諦めずに立ち上がり、再建を図っています。当事務所では、兵庫県内の地域から愛され、地域経済を支えてきた「地域ブランド」の米国での販路開拓を引き続き支援していきます。
今年は震災が発生した1月17日に併せ、シアトル時間の1月16日に、ニューヨークでは北東アメリカ兵庫県人会、シアトルではシアトル・神戸姉妹都市協会の主催によって、阪神・淡路大震災20年の追悼式が行われます。どなたでもご参加いただけますので、午後12時にシアトル・センターの神戸の鐘までお越しください。
掲載:2015年1月