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第52回 子育てとスーツケース

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X 月 X 日

呉市の大和ミュージアムで見た戦艦「大和」の10分の1モデル。

呉市の大和ミュージアムで見た戦艦「大和」の10分の1モデル。

私は、旅が好きだ。若くして海外に出た私にとって、日本には未知の地が多い。だからこそ、東京に居を移して以来、積極的に国内旅行を楽しんできた。小樽の運河。鳴門の渦潮。軽井沢のイングリッシュガーデン。ただし、お金も時間も限られるから、週末や三連休を利用して、身近な場所へ1、2泊のささやかな旅をすることも多い。いや、日帰りであっても、東京都内または郊外には、存分に楽しめる場所がひしめく。寅さんの舞台となった柴又。力士とすれ違う、国技館のお膝元・両国。小江戸の街並みや風情を堪能できる川越。「仕事を持ちながら、それだけ出歩いていて、よく疲れないよね。」母親仲間にあきれられる程、あちこちで街歩きをしてきた。出歩くのは苦にならない。シアトルでも、直前の思いつきでフェリーに飛び乗っては、ブレマートンやベインブリッジへ出かけたものだ。東京だろうが、シアトルだろうが、お金をかけなくても、ささやかな非日常の空間を創り出すことはできる。

子供たちが日本での日々を振り返る時、ほのかに温かい思い出のかけらが次々に姿を現してくれたらいい。記憶の中の景色は時とともに色褪せ、いずれは消えてしまうかもしれない。それでも、家族で共有した時間の断片は静かに呼吸を続け、生き続けるのだと信じたい。そんな思いが根底にあるので、冬休みは私の母の故郷・広島県呉市を経て大阪・神戸を訪れることにした。関西へは出張も含め頻繁に出かけているが、呉に行くのは、およそ20年振りになるだろうか。子供たちにとっては初訪問となる。スーツケースを詰めながら、何年、いや何十年か振りに会う親戚を想い、胸を熱くした。

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「海色の歴史回廊」。そんな言葉で形容される呉は、かつて東洋一の海軍工場の町として繁栄した。過去の栄光は陰を潜めたとはいえ、潮風の中、今もその歴史が薫る呉で、真っ先に訪れたのが、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)だ。旅行先で、絵葉書のような景色を見て廻るだけでは、どこか空しい。「楽しかった」「おもしろかった」だけの旅行にはしたくない。子供が成長するにつれて、その思いが深まってきた。広島を選んだのも、実はそんな理由がある。親戚との懐かしい再会が第一の理由には違いないが、それと同時に、広島が辿った軌跡が、日米双方を祖国とする子供たちに諭すものがあると私なりに考えたからだ。(広島市内でも、平和記念公園に行ったが、原爆資料館の閉館日にあたったのが残念だった。)

ミュージアムには、呉で建設された史上最強の戦艦「大和」を忠実に再現した10分の1のモデルがある。さらに、造船・製鋼を始めとした各種の科学技術や呉の歴史を紹介する展示もある。最終的なねらいは、この海軍の街が辿った歴史を学ぶと同時に、平和について考えるところにある。当時の最高技術の結晶として、巨艦・大和は、緻密な計画と徹底した機密保持のもとに築かれた。アメリカ側の “量” 的優位に対し、日本が “質” で対抗を試みた戦艦だったという。お国を守り、お国のために戦い抜く人々の決意の表れだったのだろう。展示品には、沖縄特攻へ出撃した乗組員の遺書や遺品もある。「死に場所を得て、男子の本懐(ほんかい)これに勝るものはなし(注:原文のまま)」。艦長が長男に宛てた書には、そう記されている。アメリカ海軍空母機との応戦の末、多数の魚雷、爆弾の命中により、大和は沈没した。「ぼくの国が、ぼくの国と戦ったんだよね。」何気なく呟いた息子の言葉が胸に染みた。

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