MENU

第52回 子育てとスーツケース

  • URLをコピーしました!

X 月 X 日

幼少時代によく乗った音戸の渡し船を降りた所。

幼少時代によく乗った音戸の渡し船を降りた所。

呉駅を出たバスが停まった。寒空の下、白髪の老人が立っている。「よう来んさったなあ。」70代後半の叔父が出迎えてくれた。広島弁の温もりに、笑みがもれる。

「くれへいく。」それは、少女時代の私にとり、胸が高鳴る出来事だった。夏休みが間近になると、旅立つ日を文字通り指折り数え待つ。今は亡き祖母の家で過ごす日々が待ち遠しくてならなかったのだ。「あしたは、くれへいきます。だから、へやのそうじをしました。」1年生だか、2年生だか、当時の絵日記帳を母に見せてもらうと、心なしか文字までが躍っているように見える。「きょうは、くれにつきました。でんしゃで、なんじかんもかかりました。」いとこ達と蝉取りに興じた原っぱ。後生大事に小銭を握り締め、駄菓子屋を目がけ駆け下りた坂道。映画でよくあるシーンのように、セピア色の写真の中で静止していた人や景色が息を吹き返し動き出すかのようだ。母の手縫いのワンピースを着て、つばの広い帽子の下から、日に焼けた顔を覗かせる少女。その少女が、いっぱしの大人になり、あの時の母よりも年をとった。そして今、夫や子供と一緒に、この懐かしい坂道を上っている。もう一度、戻れたら。一瞬、そんな気持ちが胸を過ぎる。あのキラキラした夏の日々に戻れたら。お皿に盛られた黄色いスイカ。蝉の抜け殻。線香花火。そんな思い出のかけらたちが矢継ぎ早に脳裏を過ぎり、私を切なくさせる。師走の冷気を肌に感じながらも、みずみずしい夏草の匂いが蘇り鼻先をくすぐるかのようだ。あの日々に戻りたい。再び、麦藁帽子をかぶり、この坂道を風のように駆け下りたい。英語など話せなかった。シアトルなる地名も、弁護士という職業も知らなかった。坂の下の駄菓子屋で、どのアイスキャンディを買おうか。それだけを考え走っていた。あの頃に戻りたい。妻として母として満ち足りた生活を送っている筈の人間が、そんな願望を抱くのは、傲慢なのだろうか。

真冬とはいえ、晴れ上がった空が清々しい昼下がり。叔母の心づくしの手料理に舌鼓を打った後、叔父の案内で、音戸の瀬戸へ行く。平安時代に、平清盛が夕日を招き返し1日で切り拓いたという伝説が残る名勝地。ここもまた、幼少時代の思い出が眠る場所だ。3分で対岸の桟橋に着き、日本一短い海上定期航路を結ぶ音戸の渡し船は、「大人70円、子供40円」で今も健在なのが嬉しい。船上から仰ぎ見る空は、こんなにもやさしい。

1 2 3 4
  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ