著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
桜連なる散歩道で、彼は自転車を停めて待っていた。喧嘩別れをした恋人が通りかかった時、彼は彼女に一通の手紙を差し出した。そこには、こう綴られていた。学生である僕達にとって、4月は新たな年の幕開け。あけましておめでとう、と。
高校時代に読んだ物語の結末だ。凡庸な恋愛小説で、話の筋はとうに記憶からすり抜けたにも関わらず、最後の場面は鮮明な余韻を心に残していった。学生であってもなくても、日本にいてもいなくても、日本人なら誰もが今の季節に馳せる想いが巧みに凝縮されている。アメリカに居を移してからも、早春の声を聞く頃になれば、何かの折にふと胸をよぎるシーンだ。そして今、千代田の空の下、千鳥が淵の薄紅色のトンネルの下をくぐりながら、あるいは聖イグナチオ教会脇の桜並木でフリスビーを飛ばす上智大学の学生達を眺めながら、例年とは異なった角度よりこの情景を思い描いている。
3月 X 日
「うちは狭いので。」「散らかっているので。」 そんな決まり文句で予防線を張り、親しい相手でも決して家の中にはあげない人が日本にはいる。私だって無理強いをしてまで人様の家に押しかけようとは思わない。ただ、自宅と目と鼻の先にいても、家に入れてはくれず、その代わりにレストランへ連れて行かれ、子供と共に煙草の匂いを嗅ぎながら味のないパスタなど食べさせられる羽目になると、さすがに、「少しぐらい乱雑でも気にならないから、家に呼んでもらえないかな」という思いがちらりと脳裏を掠める。(煙草の煙ほど私達親子にとってつらいものはない。)「狭い」上に「散らかっている」場所に住むのは私とて同じだ。それでも、日本に来て以来、私はことあるごとに、「ご飯を食べて行きませんか」「お茶をご一緒しませんか」「パーティに来ませんか」と声をかけてきた。日本到着後、3週間もしないうちに20人呼んでのパーティも開いたし、一室に30人以上が集まり、押しくら饅頭が始まりそうな時もあった。こんな風に書き連ねると、社交家振りを豪語していると思われかねない。だが、実のところ私は図々しいくせに人見知りが激しく、シアトルでは招かれることはあっても招く側にまわるなど考えられなかった。それが、どう変わったのか。答えは極めて単純である。日本での滞在期間が限られている事実が常に意識の底にあり、人間関係においても貪欲にならざるを得ないのだ。「まあ、そのうちに家が片付いたら、あの人を呼ぼう。」 そう後回しにする余裕がシアトルではあった。だが、半永久的に暮らすアメリカとは異なり、期間限定で滞在する日本ではそうのんびりと構えてもいられない。だから、子供のおもちゃが部屋の隅にズンと積み重なっていようが、宅配のピザしか出すものはなかろうが、お客さんを呼ぶように努めてきた。お陰で、半年あまりしか東京に滞在していない割には豊かな人間関係を築いてこれたように思う。同時に、過去の生活を振り返り悔いが生まれる。人間関係に限らず、同じような貪欲さで物事に取り組んでいれば、シアトルでももっと内容の濃い生き方ができたじゃないか、と。「半永久」なんてとんでもない、人生そのものが「期間限定」なのだ。今この瞬間、私達が唯一100パーセントの確実性を持って知ること。それは、誰もが一人残らず死を迎えるという事実だ。そう語った人がいた。まさに人は皆、刹那の旅人。その現実にはシアトルも東京もないのだと改めて思い知る。
3月 X 日
期間限定。その現実を目のあたりにするのが卒業シーズンでもある。鮮やかな笑みをカメラに向かい投げかける袴姿の若い女性グループとすれ違う路上。ああ、そんな時期が到来したのだと悟り、その華やぎに自分まで心を躍らせる。そんな季節の中で娘の卒園式が訪れた。半年に過ぎなかった保育園生活。私は一滴も涙をこぼしはしない。所詮、新生児の頃から6年にもわたって子を預けていたお母さんとは違う立場なのだから。そう、たかをくくっていた。だが、これはなんだろう。「卒園生、入場。」 その声と同時に、おめかしをした子供達がお行儀よく並んで行進してきた瞬間、涙が溢れ出た。(アメリカ暮らしが長いとこういう時に困る。ハンカチではなくティッシュをバッグに入れてきたため、一枚また一枚と使い込むうちに気がつけばなくなっている。ウォータープルーフのマスカラにすればよかっただのと、涙を流しながらも見栄を気にかける自分を嘲笑したい気になる。)気がつけば、周りのお母さんも、お父さんも、そして先生方も泣いている。「だれでもさいしょはいちねんせい。どきどきするけど、どーんといけ。」 旅立ちへの喜びを体一杯に表現して卒園生達が歌う。みずみずしい息吹に包まれ、別れと出会いが交差する3月と4月。ひとつの物語の終焉は、新たな旅の序章でもある。さんざん泣いた後、式後のパーティでは親同士の談笑も弾み、笑顔をとり戻す。それなのに、家に帰って卒園アルバムを開いた途端、また泣けて仕方がない。目の中でゴロゴロするコンタクトレンズに苦心し、それでも流した涙の分、スポーツでも終えたような爽快な気持ちで、自分に言い聞かせる。「さあ、新しい生活の幕開けだ。」 桜の季節がもうそこまで来ている。
3月 X 日
さいた、さいた、さくらが さいた。小学校1年生の教科書に出てきたこの文章に涙する男性のエピソードを聞いた。さいた、さいた、さくらが さいた。その言葉を私も心で反芻する。約3,300本。千代田区にはそれだけの桜の木が存在する。花の名所として名を馳せる場は区内に数多い。特に名高いのが、260本のソメイヨシノやオオシマザクラで彩られる皇居のお堀沿いの緑道、千鳥が淵である。約700メートル続くこの散歩道で、桜と菜の花が織り成すピンクと黄の春模様や、お堀の水面にくっきりと映し出される緑の陰影などが創り上げる絵画のような世界を目のあたりにするのは贅沢な気分だ。日没後は、ライトアップされた夜桜のかもし出す幻想的な風情を堪能するカップルも多い(と聞くが、子連れの身ではそうそうロマンチックなこともできない)。千鳥が淵は徒歩で行ける距離にあり、娘は保育園のお散歩でこの周辺を頻繁に訪れている。だが、シーズン中は全国から100万人以上の花見客が押し寄せ、その喧騒には辟易する。ありとあらゆる類の観光バス。「頑張れ日本」「外国人に参政権を与えていいの?」 演歌調の曲を流す右翼団体のトラック。そして、人、人、人。その波に背を押されるかのごとく歩を進めるうちに、靖国神社に辿り着く。
ここもまた有数の桜の名所なのだが、私に言わせれば「花より団子」を絵に描いたような場所である。鳥居をくぐれば、これでもかと言わんばかりに境内両側の沿道を埋め尽くす出店。こちらではうずら卵入りの大たこ焼きにソースが塗られ、あちらではできたてのベビーカステラが甘い香りを放つ。キティちゃんやらドラえもんやらキャラクター物の袋が目をひく綿菓子や、愛らしく飾りつけられたりんご飴たち。「あそこに行くと、高くつくのよね。」そう嘆く母親仲間がいるのも頷ける。境内に一歩足を踏み入れれば、子供達は(いや、われわれ大人も?)咲き誇る花を愛でたりはしない。ましてや、アメリカ育ちの息子と娘にしてみれば、花よりも出店の方が立派な文化研究の材料であり、目を輝かせては一つ一つの店を覗き込み吟味する。「いか焼き、いい匂いだよ。」「きなこ餅にしようか。」兄妹でそれは熱心に意見交換をする。特設ステージでは、着物姿の演歌歌手が歌い出す。びっしりと敷き詰められたゴザの上で宴会が進行する。花より団子、大いに結構じゃないか。来年はワシントン大学のキャンパスで仰ぎ見る桜に、日本の春の風物詩を切なく思い描くのだろうか。
4月 X 日
ぽっかりと時間が空いた黄昏時、ぶらぶらと上智大学のあたりまで足を伸ばす。そこで思いがけなく遭遇した桜並木に歓喜の声をあげたくなった。千鳥が淵や靖国神社ほどの知名度がないこともあり、近場とはいえ私はこの桜並木のことを知らなかった。「わーっ、きれい。なんだか得した気分。」 高揚した気分で、カメラを取り出す。JR 四ツ谷駅からガタゴトと響く音を背景に拡がる花の世界は、スケールこそ小さいにせよ、この界隈では知られているのだろう。お花見に先駆け場所を確保する学生や心なしかスーツ姿もぎこちない新入社員の姿が見受けられる。彼らがビニールシートに腰を下ろし、手持ち無沙汰に携帯電話をいじったり、おでんをぐつぐつと煮たりしているのも日本的で興味深い光景だ。既に3、4人でミニ宴会に興じるグループもある。やがて、活気みなぎる宴が一帯で繰り広げられるのだろう。ふっと笑みがもれる。桜のはかない美しさもさることながら、花びら舞う中で展開する人間ドラマの方が実はそれ以上に味わい深い。
4月 X 日
「ねえ、かみさまがプレゼントをしてくれたのかな?」 登校途中で幾度も娘に質問を投げかける。透明な光が降り注ぐ朝、桜色のランドセルを背負い誇らしげな娘と手を繋いで歩く。曇り空が拡がったり雨が降ったりとお花見日和とは言い難い天気が続く東京。昨夜は折りたたみ傘をバッグにしのばせたのに、その出番などあろう筈もない、すがすがしい朝を迎えた。「おめでとう。」 すれ違う人達が次々に声をかけてくれる。
「2010年度の入学式を始めます。」 アナウンスにピンと背が伸びる。私は男性陣にただ一人混じりビデオ撮影をしている。母親が体育館で式に参列し、父親がバルコニーからビデオ撮影という役割分担が定着しているらしい。「きちんとビデオを撮っておいてくれよ。」 スカイプを通して毎夜顔を合わせるシアトルの夫が、PCのスクリーン越しに懇願した。3度の来日を果たした彼はとうに有給休暇を使い果たしてしまっただけに、娘の入学式を心待ちにしながらも、涙をのんで仕事を優先せざるを得なかった。そこで私が一人二役を務める。「1年2組がいいの。ママがそうだったから。」 そう宣言していた娘はまさに2組となった。「一年生、起立、礼。」 掛け声と同時に律儀に頭を垂れる娘の白いワンピース姿にフォーカスしてレンズを向ける。式終了後、教室に入れば、保育園や幼稚園を通じて馴染みのある顔がいくつも見える。「同じクラスね。」「どうぞ、よろしく。」「また一緒に遊ぼうね。」 母親同士、笑顔で挨拶を交わす。教科書が、道具箱が、そして校帽が手渡される。「平仮名で、ちゃんと名前を書いてきてくださいね。」 こちらも教師一年生という担任の S 先生がやさしく話しかける。
「はい、前を見て!」 紺が匂い立つような制服を着て、正面を凝視する少女たちがそこにいる。桜吹雪の中、シャッターの音が響く。小学校入学こそ記憶にないが、中学入学の日は憶えている。赤い定期入れ。真新しい靴。神戸の六甲山を背景に私の新しい旅が始まった。そして今、母として私は東京の真ん中に立つ。春爛漫の校庭で、1年2組の27人と親、先生方が一緒になっての記念撮影だ。おちびちゃんの娘は一番前に座っている。やがて桜は散り、季節はめぐる。一年後の今頃、私達はここにいない。10年後、20年後に娘がこの日を振り返る時、そこにはせいぜい断片的な記憶しか残らないかもしれない。でも、私は憶えていよう。この光、このざわめき、この空、この瞬間。
忘れずにいることが、母の愛の証だと信じて。さいた、さいた、さくらが さいた。ほとばしる想いを抑え、私は真剣な面持ちで正面を見つめる。「じゃあ、撮りますよ、皆さん。」 ひらひらと風に舞う薄紅色の花びらたちが祝宴に彩りを添える校庭で、シャッターが切られた。
掲載:2010年4月
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