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第30回 世界にひとつの本

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

居間の壁に、ラミネートされた紙面が飾られている。「歓迎、千代田区の神尾さん親子。朝日新聞社へようこそ。」仰々しいヘッドラインが華を添える。大きなカラー写真の中で、ハスキーのプルオーバーを着た息子と赤いジャケットを羽織った私が寄り添う。朝日新聞2010年3月31日号の第1面だ。私達親子が特別ゲストだったという訳では、もちろんない。この新聞は、朝日新聞社の見学ツアー参加者全員がお土産にもらうものだ。東京本社で編集局から印刷工場までを見て歩き、「世界にひとつの朝日新聞」を手に意気揚々と帰路についた春休みの一日を懐かしく思い出す。

見学に訪れた、中央区築地にある朝日新聞東京本社。

見学に訪れた、中央区築地にある朝日新聞東京本社。

都会には、都会なりの楽しみ方がある。東京という地の利を最大に活用しようと意気込んだ私は、さまざまな博物館から国会議事堂まで幾多の場所に子供たちを連れ出した。新聞社もそのひとつと言える。一方で、朝日新聞そのものへの思い入れも深かった。16歳の頃、私が投稿した記事が2度にわたり朝日新聞の朝刊に掲載されたのだ。今でこそ、なんとまあ拙い文かと笑い出したくもなり、いっぱしのジャーナリスト気取りで鼻高々に記事を読み返していた少女がそれ以上に滑稽に思われる。だが、当時の私にとって、新聞掲載はとてつもなく大きな出来事だった。

記憶の中で道を辿れば、ことばを操る歓びを噛み締めていた日々が蘇る。3年生の頃だったか、親友Yちゃんと考案した「図書館ごっこ」に、私は夢中だった。創作をもとにイラスト入りで作った本(もどき)を級友たちに貸し出すというものだ。だが、早々に飽きたYちゃんが「いち抜けた」となり、結局は私一人で図書館を維持する羽目となった。最初は面白がって借りに来てくれた友も次第に興味を失い、誰も足を運ばない無人図書館は、悲しいかな、閉館の憂き目をみた。中学・高校では機関誌に記事を書き続けた挙句、ジャーナリズムの世界の片隅で生きていけたらという願望を漠然とながらも抱き始めた。イギリスの某ミュージシャンに没頭していた私は、渡英して彼のインタビュー記事を書こうと大真面目に計画を練っていた。(実を明かすと、頭の中でシュミレーションを繰り返しては胸を弾ませていた。)

結論から言えば、青春時代の夢は実現しなかったということになる。今の私に弁護士なるタイトルはあっても、ジャーナリストというタイトルはない。(「何言ってんのよ。ベンゴシの方がカッコいいじゃない。」そう屈託なく笑う友人を前に、複雑な気持ちを味わったこともある。)ブロンドの長髪を艶やかに光らせ、魅力的なブリティシュ・イングリッシュを話すあのドラマーへのインタビューもシュミレーション止まりに終わった。だが、負け惜しみ半分に言えば、私の夢は全く夢のままに終わった訳ではない。アメリカに移住した当時は、朝日新聞やニューヨーク・タイムズの足元にはとても及ばないがコミュニティ新聞の記者として、インタビュー記事を書いていた。詩人ウィリアム・スタフォードから、成人クラスで読み書きを学ぶ人たち(文盲率がゼロに等しい日本では想像し難いが、アメリカには読み書きができない大人が少なからずいる)まで、実に多彩な背景を持つ人々に取材をしてきた。数々の出会いをもたらしてくれた貴重な体験だった。

それが、なぜ法曹界へと方向転換を図ったのか? 書くことは手段に過ぎず最終目標ではないという結論に達したのが理由の一つだ。法律を選んだことへの後悔はない。一方で、法曹界に進んだ後も、いわば副業として、CEO やパートナー弁護士のために執筆をするゴーストライターを務めてきた。聞こえはいいが、所詮、ゴーストはゴースト。いかに丹念にリサーチをし原稿を仕上げたところで、作品は他人の名のもとに掲載され、著作権から何から法的権利を取り上げられてしまう。むろん、その前提で契約を結び報酬を得る訳だから、文句を言う立場にはない。それを知りつつ、手塩にかけて育てた子が他人に連れ去られるのを黙って見ているような空しさを感じる時もある。それでも、書くことを趣味の域にとどめたくはない、細々とでも実績を残していきたいという望みがあるのだ。法律セミナーなどを通じて高齢者の方々へのボランティア活動も行ってきた私は、やがてお年寄りの自分史執筆のサポートといった形でささやかな社会貢献もできればと考えている。どんな形にせよ、綴った文が活字になるという静かな歓びは、私の中で絶えず呼吸を続けていくのだろう。

そして今、母親として、ライターとして、更には小中学生の言語教育に携わった元教師として、子供の文章力ひいては表現力養成を目標とするプログラムを編み出そうとしている。これを私は勝手にBridgeプログラムと呼んでいる。2年半程前になるだろうか、息子が夏休みの自由研究も兼ねて、会社経営者や建築家、教師、バイオリニストなど多様な分野で活躍中のプロフェッショナルにインタビューを行い、「みんな夢をおいかけた」というタイトルの「本」を作った。(コラム第6回)もっとも、アメリカ育ちの8歳児が拙い日本語で綴ったものだから、自慢できる代物ではない。それでも、直後に引っ越した東京では、大勢の人に読んでもらうことができた。このプロジェクトを通じて、「ぼく、出版社をやるんだ」と息子が大真面目に宣言し創設した会社(言わずもがな、フィクションである)が Book Bridge であることから、Bridge プログラムと称した。このプログラムを知人・友人に紹介することから輪を広げていこうと、私は意気込んでいる。

では、Bridge プログラムとは何か? 端的に説明すれば、子供自らが情熱を持てるテーマを選び、そのテーマに沿って世界にひとつしかない「本」を完成させるというものだ。最も重要となるのが、最初のテーマ選びだ。基本的には、「バレエ」や「イチロー」、「飛行機」、「ディズニーランド」、「クッキー作り」といった風に興味の対象から選ぶ。要は、本人が好きなものであれば何でも構わないのだが、なるべく具体的な内容を盛り込むことが大切だ。例えば、バレエが大好きでバレリーナを夢見る女の子ならば、こんな内容が想定できる。「写真やイラストを取り入れ、バレエ教室のレッスンや発表会、先生や友達の紹介をする本を作る。完成作品は、アメリカでの生活報告も兼ねて、日本のおじいちゃん、おばあちゃんにプレゼント。」また、空の遊泳を夢に描くパイロット志望の男の子ならば、こういうのはどうだろう。「インタビューや図書館でのリサーチをもとに、パイロットになる上で必要なスキルや勉強といった情報を提供する本を作成。やはり飛行に関心のある友達にバースデープレゼントとして贈呈する。同時に、ブログも開設。」(実際、息子はこういったプロジェクトを選んだことがある。私があれこれリサーチを重ねメールでの打診を繰り返した挙句、幸運にも著名な飛行士から返事が届き、息子の夢の対面を実現させた。「インタビューしようにも、知り合いにパイロットはいない」と最初は嘆いていたが、やってみるものだと痛感した。)幼い子であれば、極めて単純なものでよい。娘は、幼稚園児だった頃、「てんとうむし」というテーマを選び、「本」よりはレポート、いや、せいぜい数ページのスケッチブックと呼ぶ方がふさわしい簡素な作品を作り上げた。5歳の彼女にはそれで十分だったといえる。最初は数ページの作品でも構わない。カラー印刷をしたり、表紙をつけリボンで閉じたりと工夫次第で、たった5ページであっても見栄えがよくなる。「長文を書くのは苦手」というのであれば、写真やイラストに重点をおき、それにコメントを添える形で書くことに馴れていく方法もある。重要なのは、一人一人の子が、独自に適した無理のない方法を用い、自己表現の場としてのプロジェクトを完成させることだ。

本の内容に加え、「X 月 X 日までに完成」「約20ページ」というように、期限日やページ数に至るまで、なるべく細かい事柄を最初に設定しておく。そうすれば、「X 月 X 日まで、あと3ヶ月、つまり12週間。1週間のうち、お稽古事や宿題に割く時間を除けば、プロジェクトに費やせる時間は実質3時間。計36時間で完成させるには、どう進めていくか。どのような分量を週ごとに消化すべきか」といった風に計画が立てやすくなるからだ。さらに大切なのは、日本の祖父母なり、親友のXちゃんなり、読み手を明確にすること。書くというプロセスは、読み手との無言の対話を持つことにも繋がる。相手にメッセージを伝達するという意識があってこそ、コミュニケーションのスキルも身につく。また、好きな人に完成作品を手に取ってもらうという歓びが、プロジェクトに取り組む上でのエネルギーになるのは言うまでもない。

ファシリテーターとしての私の役目は、テーマ選択の手助けに始まり、プロジェクトの内容と進行具合のチェック、そしてアドバイス提供だ。時には、複数の参加者を集め意見交換を行うミーティング兼交流会も開く。スカイプなどのツールを活用すれば、外国にいる子でも参加可能だ。「ぼく、パイロットのインタビューをしたんだ。こんな感じだったよ。」「もうすぐ本が仕上がるから、見てよね。」そんな風に海を超えて励まし合える関係を築き上げることができたら、素晴らしいではないか。いずれオンライン展示会などもできれば、とひそかに楽しみにしている。「インターネットを使って、世界中いろいろな国の子供達が交流できる場を作れたらいいよね。」母親仲間と真摯に語り合った日があった。その夢が遠いとしても、それを目指して一歩づつ歩いていくことはできるかもしれない。そう、信じていたい。

東京の小学校で、新しい一日の始まり。

東京の小学校で、新しい一日の始まり。

晩秋のシアトルで、居間の壁を飾る新聞を見つめ、その春の日へと想いを馳せる。投稿が採用され小躍りをした高校生の私は、まさか我が子を連れその会社を訪れようとは思いもしなかった。世界にひとつの新聞。その写真の中で、朝日新聞のマスコット人形を背景に笑みを浮かべる母と息子は幸せそうだ。「ずるいなあ。」見学ツアーに年齢制限があるため参加できなかった娘が、悔しそうに口を尖らせる。「どうして、わたしばっかり、おるすばん!」今度はね、みんな揃って行こうよ。母は、心の中で呟く。その日までに、日本語がもっと上達していたらいいね。一歩、一歩、歩いて行こうよ。世界にひとつの本を創り上げようよ。

掲載:2011年11月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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