著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
ちょっと、がっかりだよね。折りたたみ傘をしのばせたバッグを提げ、恨めしげにグレーの空を仰ぎ見る。紺が匂い立つような真新しいスーツがよく似合う(と、親ばかの母は、ひそかにほくそ笑む)息子の背をまじまじと眺める。日の丸がはためく正門を潜り抜ければ、祝宴に華を添えることもままならず校庭の片隅に佇む桜の木が、どこか寂しげにも手持ち無沙汰にも映る。降り注ぐ陽光の中、『仰げば尊し』のメロディを背景に、はらはらと薄桃色の花びらたちが肩に舞い降りる。そんな情景を思い描いては胸を熱くしていた自分が、滑稽にさえ思えてくる。「お天気がよかったら、いいのにね。残念だよね。」私が呟くと、息子は、こともなげに答えた。「神様がさ、シアトルと同じ天気にしてくれたんだよ。」なるほど。いい答えじゃないか。ふっと、海を超えたエメラルドシティへと想いを寄せる。一年前の今頃は、緑滴るあの地で生活していたのだ。東京のガラスの森を舞台に駆け抜けた日々が、新たな色合いを帯びて心に染み入る。折りたたみ傘に加え、厚めのタオルハンカチをバッグにしのばせたことも、マスカラがウォータープルーフなのも、息子は知らないし、どうだっていいだろう。(きっと、泣いちゃうよ、ママは。でも、今日だけは勘弁してよね。)息子は、遅れそうだと苛立ちの声をあげながら走り出す。夫と私は、無言で校舎までの道を歩く。「おめでとうございます。」受付で登録を済ませた後、手渡された赤い花のコサージュを胸につけ、体育館へと階段を上った。
「えっ、公立の小学校に入れるんですか?」丸の内の弁護士事務所に勤務が決まった当初、国際電話で話した人事マネージャーが、不審そうに尋ねた。受話器の向こうでしばしの無言の後、彼は呟くように言った。「他の弁護士は、こぞってインターナショナル・スクールを選んでますけどね。」お宅は、なぜインターナショナル・スクールを選ばないのか。これまで一体、幾人の人から不思議そうな表情で聞かれたことだろう。アメリカ人の父を持ちアメリカで生まれ育った子が、黄色の校帽をかぶって日本の公立小学校に登校し、音楽の授業で 『もみじ』 を歌ったり、給食でマーボー丼をかきこんだりするのは、合点がいかないらしい。もっとも、私達が居を構えたのは都心だけに、イギリス人やフランス人の家族は界隈でよく見かける。外国人の子供が公立の学校に通う姿は、今や珍しくもない。その一方で、やはり、私たちのような国際結婚組は、インターナショナル・スクールという選択を取る方が自然と受け止められているのも事実である。それを百も承知の上で、私は日本の学校を選んだ。期間限定の日本滞在であるのなら、それこそ普通の学校で、日本文化にどっぷりと漬からせてやろう。そう考えたのだ。(その辺のいきさつは、前回のコラムで紹介した。)
私は、日本が好きだ。大真面目で、几帳面で、そのくせ肝心なところで抜けているくせに、どこか温かい。どこか愛しい。抽象的な表現かもしれないが、それが、私にとっての日本である。「夕焼け小焼け」が街中に響く黄昏時、自転車に幼子を乗せて風を切る若い母親や、有楽町の高架下で飲み屋の暖簾をくぐる会社員の背。さりげない日常の風景のひとつひとつに、長い歳月の中で置き忘れてきたものを肌で感じては立ちすくみ、涙ぐみたいような衝動にさえかられる。(だらしないが、私は感傷的で涙もろい人間なのだ。)「日本が好きだって?そんな風には見えないけどね。」このコラムを読めば、きっと苦笑を漏らす友人も一人や二人はいるだろう。来日後、さんざん人から、「異色の存在」だの、「日本人としての感覚を失っている」だのと言われ続け、挙句の果てには、アメリカ人とさえ呼ばれた。私はことさら個性派を気取るタイプではない。むしろ、日本文化に順応すべく自らを抑えてきた部分さえある。「へえ、あなたって意外と日本的なのね。」そんな風に評してくれる人もいるかと実は期待もしていた。だが、現実にはただの一度もそのようなコメントを受け取ったことはない。それどころか、実の母にさえ、「あんたみたいなのは、アメリカに帰った方がいいんじゃないの。日本には向いてないからね」とまで断言される始末だ。私って、日本に「片思い」してるのかな。そう首を傾げつつも、私は東京で新たに切り拓いた生活を慈しみ、この地で働く機会が与えられたことに感謝している。私が息子と娘を日本の学校に入れたいと切望した背景には、私自身の日本への深い想いがあったのだ。
結論から言えば、私の選択が正しかったのかどうかは、わからない。その答えは、成長した子供達が来た道を振り返る時、彼そして彼女の中で初めて明確になるものかもしれない。母親の私がどれだけ日本への愛情を持とうが、息子と娘は(当然ながら)彼ら独自の価値観ひいてはアイデンティティを持つ、それぞれ別個の人間なのである。特に、6年生となり、自分なりの世界を確立し始めた息子にしてみれば、アメリカの学校で親友との密接な繋がりを持ちながら、それを断ち切らされるかのごとく日本に連れて来られたという苦い思いが、心の奥に蓄積していた。「僕はね、アメリカにずっといたかったんだよ。」12歳の少年の切実な声に胸を衝かれる夜が幾多もあった。確かに彼は、アメリカの学校で代表委員会の委員長に選ばれ、ロボットクラブやディベートクラブにも積極的に参加し、充実した学校生活を送っていた。元来、自分の意見を発表するのが好きな子だから、ディベートは特に楽しかったようだ。授業中でも活発に発言すると、担任の先生から聞いていた。だが、悲しいかな、日本の学校では、先生が黒板に書くことを黙々とノートに書き写すような受身中心の授業が、私の少女時代と何ら変わることなく、延々と続けられているのである。このような形式の教育が性に合う場合も、当然あるだろう。一概に悪いと決めつけることができないのはわかる。しかし、アメリカの学校で個性や主体性を重視した教育を受けてきた息子が、「どうして日本の学校ってこうなの?」と困惑の表情を覗かせたのは十分に理解できたから、私は口をつぐむしかなかった。
みんな、おんなじ。それが重視されるのも、また日本であり、それが学校教育の隅々にも反映されている。マニュアルに忠実に沿うことの重要性が強調される一方で、個性を発揮する自由空間が極めて限定されている。シアトルっ子の私がこよなく愛する店・スターバックスを例に取ろう。(ちなみに、日本の友人達はこぞって「スタバ」なる略語を使うのだが、私はこれが苦手である。)都内のスターバックスに足を運べば、どのバリスタも同じパターンで接客をする。「お客様、店内でお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」「ごゆっくり、どうぞ。」見事なまでに、どの店でも、どのバリスタも、判を押したかのような対応をする。丁寧な言葉遣いには違いないが、あまりにも一律的に客をさばいていく姿は、本場のスターバックスに慣れ親しんできた私の目には空しくも映る。シアトルのバリスタは、そうではなかった。「そのネックレス、素敵じゃない。」「今日は最高に天気がいいよね。これから、どこかに出かけるの?」「この飲み物は、私のお薦め!本当においしいんだから。」時には、そんな風にお喋りを交えながら、モカやフラぺチーノを渡してくれたものだ。手取り足取り指導を受け、規律に服従しつつ仕事をこなすのは、当の本人にとって面白いものとは言えないだろう。(こんな風に書くと、「いや、ルールに従う方が楽でいいんだよ」と反論が返ってくるのだろうか。)それよりも、最低限のガイドラインを抑えつつ、あとは個々のバリスタが独自のコミュニケーション・スタイルを開拓し、それを接客に活かすようにした方が、やり甲斐も増すように思えてならない。もちろん、客の方もその方が楽しいというものだ。だが、日本人はマニュアル好きな国民なのだ。「お客様、ポイントカードはお持ちですか?」「(無いと答えると)、失礼致しました。お作り致しますか?」他の店のカウンターでも、毎回うんざりするほど同じパターンが展開する。学校教育は、まさにこのパターン化の入り口ではないだろうか。そう思わざるを得ない側面が実に多い。
祖国の文化への思い入れもあって、日本の学校教育を選択した私。一時的な滞在では、それもよかっただろう。だが長期的に我が子の教育を考えるとすれば、不安が募るのは否めない。インターナショナル・スクールについては残念ながら断面的な情報しか持ち合わせないし、それが必ずしも理想的な選択肢とは言えないかもしれない。そう覚悟しつつも、その選択肢を検討せずにいられないぐらいに、日本の学校教育に関しては私の失望が大きかったとも言える。そして大切なのが、息子自身、そして娘自身が、将来はアメリカ国籍を選択し(ちなみに、現在は二重国籍を持つ)アメリカで生きていくのを切望しているという事実だ。日本人の母としては一抹の寂しさを感じつつも、心でそっと語りかける。「うんうん、やっぱり、その方があなた達には向いてるよね。アメリカで人生を切り拓いていってよね。お母さんと同じ道を選ぶ必要なんて、これっぽっちもないよ。」 Go. Make your own history. 本で読んだ詩の一節が、胸に響く。
「今こそ、わかれめ。いざ、さらば。」息子が、『仰げば尊し』 を歌っている。かつて、私も歌った、その歌を、アメリカ育ちの彼が神妙な顔つきで歌っている。私以上にシアトルっ子で、故郷への恋しさを募らせ、時には涙をこぼしそうにもなった彼が。季節はずれの寒空が広がる東京で、はからずもひとつの大きな節目を迎えることになった息子を、私は言葉にしがたい思いで見つめていた。「はい、お父さん、お母さんも一緒にくぐってください!」先生に促され、下級生が作った花のアーチを、私と夫は息子の後に続き、くぐり抜ける。「卒業、おめでとう!」「おめでとう!」脇に並ぶ在校生や先生方が一斉に声をかけてくれる。祝福の拍手の渦の中、卒業証書と花束を抱えた息子は歩いていく。アーチの向こう側に待つ新しい生活に向かって。この瞬間を、この一歩一歩を、私はいつまでもいつまでも覚えていよう。シアトルを彷彿とさせる小雨がやさしく肩を濡らす朝、ひとつの物語の終焉が、新たな物語の序章へと静かに繋がろうとしていた。
掲載:2013年4月
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