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第13回 東京ダイアリー(5) 道しるべ

著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

12月X日

これでもかとばかりに、丁寧に歯を磨く。そして、丁寧に口をゆすぐ。髪にカーラーを巻きつける。リップブラシを器用に操り、唇を艶やかに際立たせる。鏡に貼り付くようにして、マスカラで睫毛を黒々と塗り上げる。ラメ入りのマニキュアが彼女達の爪に光る。

昼休みの化粧室の華やぎ。ここは丸の内。エルメス。ティファニー。セルジオ・ロッシ。街路樹の脇を彩る高級ブランド店に加え、日本の経済・金融を代表する大企業がひしめき、そびえるビルが高さを競い合う。東京駅の赤レンガ駅舎と皇居外苑に挟まれたビジネス街。この地で、ハイヒールの踵の音を軽やかに響かせ闊歩する「彼女達」が初めて目に飛び込んだ時、「ああ、丸の内の OL か」と感慨深くなったものだ。彼女達は、ネイルサロンに通いつめ、会社帰りに買ったファッション誌をくまなくチェックするのだろうか。クリスマス・イブには、恋人と腕をからませ、銀座のネオンの渦の中に吸い込まれていくのだろうか。10秒間(いや、正確には18秒ぐらいか)の羨望を感じつつ、そして、自分の剥がれかかったマニキュアに苦笑をもらしつつ、化粧室を後にする。クリスマス・ソングの流れる地下街は、水に放たれた魚のごとく束の間の自由を享受する勤め人で溢れかえる。心地良いざわめきに包まれつつ、難題と格闘する。「今夜のお惣菜に何を買おうかな。」(「作ろうかな」ではないところが、我ながら切ない。)ブティックや小物の店で品物を吟味する OL の姿を横目に、「デパ地下」へと急ぐ。息子はビビンバが大好物だっけ。学校の給食でおかわりをしたと嬉しそうに話してくれた。韓国料理の店へと自然に足を向ける。

12月X日

プラットホームに乗客が吐き出される。今夜もまた私達の長い一日が終わろうとしている。永田町駅の改札を抜け、赤い定期入れをポケットにしまいながら考える。一日に幾度これを出したり入れたりしているのだろう。朝、電車で娘を保育園に連れて行く。(息子は友達と登校する。)その後、再び電車に乗り反対方向へ通勤。夜は2人を別々の場所へ迎えに行き、最後にはやっと母子3人揃って永田町へと舞い戻る。単純に計算しても、日に8回、改札口を抜けていることになる。昼休みに霞ヶ関でのミーティングに出かけたりもするから、8回が10回にも増えメトロ三昧の日々だ。「ママ、どうして早く迎えに来てくれなかったの!」保育園での生活に疲れ気味の娘が口を尖らせる。無理もないと思いつつ、話す。「あのね、ママのお仕事があるからこそ、こうやって東京に住んでるんでしょ。そして新しいお友達がたくさんできたんでしょ。お仕事がなかったら、お友達にも会えなかったよね。」それでも涙が彼女の頬を濡らす。ワーキング・マザーなら誰もが避けられない道だろう。送り迎えの時間に挨拶を交わす母親仲間の顔が脳裏を掠める。一方、息子は無言で私の話を聞いている。彼だって本当は学童保育の日々に辟易しているのだ。でも、母親の仕事から得られる経済的恩恵を自分と妹も享受しているのだと悟り、歯をくいしばりもするのだろう。「何が経済的恩恵よ!子供にしてみれば、外国でユニークな経験をするよりも、母親が家にいて手作りのおやつを出してくれる方がよっぽど嬉しいんじゃないの!」叱責の声がどこから飛んできそうな気がするのは、私の危惧か。そんな批判を想定しつつ、そして時には私自身も悩んで立ちすくみつつ、最終的にはやはり、「ここに来てよかった。子供達もいつかは感謝してくれる」と思えてならない。日本の小学校や保育園で運動会や学芸会の練習にいそしみ、給食当番を務め、お習字やお団子作りに挑戦した。もっとも、お客さん扱いの体験入学とは異なるから、「楽しい。おもしろい」だけでは済まない苦労もつきものではある。「世の中っていいことばっかりじゃないの。本当はいやなことの方が多いの。でも、みんな、みんな、ママだって、パパだって、がんばってるの。そんなものよ。」班長に選ばれなかったと肩を落とす息子に、人生論もどきを語る夜もある。トロトロと不器用な生き方しかできない母親が、そうして自分自身へもエールを送っているのかもしれない。

12月X日

幸せだ。そう叫び出したい衝動に突き動かされた。保育園のクリスマス会で、招待されたバンドのヴォーカリストがジョン・レノンとオノ・ヨーコの 『Happy Christmas』 を歌い出した瞬間だった。この季節の到来とともに、ラジオからよく流れる永遠のクリスマス・ソングのひとつである。私が長年、愛してきた歌でもあり、ジョン・レノンの代表作として名を馳せる 『Imagine』 よりも個人的には思い入れが深い。何のてらいもない素朴なメロディ。シンプルな歌詞。心の琴線に響くものは往々にしてそんなものかもしれない。歌に合わせて微かに体を揺らせながら目を閉じる。「ありがとう。」誰に向けるでもなく、言葉にならない言葉を心で呟く。この地へ来ることがなければ接点もないままだった多くの人達との出会いに胸が熱くなったからだ。都会の裾野で時には孤独や苛立ちも感じつつ、それでも家族が笑い合いながら暮らしていけるのは、温かい笑顔を向けてくれる人達や困った時に手を差しのべてくれる人達がいるからだ。高校時代の恩師の言葉が蘇る。「出会いこそ、すべてである。」彼は語った。「我々が、シベリアの労働者の肩をたたき語り合うことは、一生ないだろう。生涯で巡り合う人の数は限られる。だからこそ、知り合った人の一人一人を大切にしなければならないのだ」と。浅草の雷門の下で歓声を上げ、できたての揚げ饅頭を頬張りながら仲見世通りを歩いた。国技館のある両国で自転車にまたがった力士に遭遇し、店の真ん中に土俵があるレストランで食事をした。吉祥寺。お台場。表参道。週末ごとに、ガイドブック片手に東京散策にいそしんできた。だが、私達は観光で日本に来たのではない。いつか思い出の中で懐かしい東京への帰路を辿る時に道しるべとなるのは、スナップ写真に収めた風景ではなく、何気ない日常の中で拾い集めたふれあいのかけらだろう。

クリスマス会のプログラムが終了し、こんもりと盛られたお菓子をつまみながら、普段はお互いに忙しくて話す機会もない母親仲間と輪を作り談笑する。「Ho! Ho! Ho!」と登場したサンタさんにプレゼントをもらった子供達が、大はしゃぎで駆け回る。冬空の下、陽だまりのようにほっこりとした気持ちをお土産に帰路につく。師走の東京はことのほか温かい。

永田町で古くから親しまれる日枝神社

子供達が海老の飾りに興味深々だった鏡餅

1月1日

「ご近所さん」として馴染みの深い自民党本部の前を歩く。暗闇の中、手持ち無沙汰に立つ複数の警備員に向かって、大の大人が小学生のごとく快活に挨拶をする。「あけましておめでとうございまーす。」紅白歌合戦のお祭り騒ぎが「蛍の光」で幕を閉じ、「ゆく年、くる年」の荘厳な鐘の音が響き始めた午前零時過ぎ、近所の日枝神社へと親子で足を速めた。子供達と手をつなぎ高揚した気分で、政党本部が密集する永田町を歩く。日比谷高校脇の小道を通り神社に辿り着くと、溢れんばかりの参拝客の波にのまれそうだ。「はい、ここに並んで下さい!」 警察官に誘導されるままに列についたが、息子は背後ばかりを気にしている。何のことはない、屋台でクレープを焼く若い二人組に視線を奪われているのだ。ソースせんべい。いか焼き。大阪焼き。じゃがバター。フランクフルト。ベビーカステラ。りんご飴。お囃子の音色が流れる中、香ばしい匂いが何重もの層を織り成して鼻先をくすぐり空腹を刺激する。厳粛な場にいながら、親の私も結局は花より団子か。ワイワイと紅白を観戦中、ひっきりなしにみかんを食べていたくせに。ふと仰ぎ見ると、永田町の夜空を背景にそびえ立つ超高層ビル、プレデンシャルタワーが誇らしげにその存在を主張している。赤阪のビル街も隣接する。そんな都会にあって静謐な空間を創造するこの神社。鳥居をくぐり元旦の喧騒に包まれた瞬間、ウサギのアップリケのジャンパースカートを履いた少女に戻ったかのような錯覚にとらわれた。お雑煮の匂いで目覚めた朝。年賀状の束。新春かくし芸大会。海の彼方で幾多の季節を重ねようとも、心に織り込まれた正月風景が色褪せることはない。いいな、いいな、日本のお正月は。冷風にさらされながら、幾度もその言葉を胸で反芻する。

晴れ上がった元旦の午後、羽田空港にて

これは天の贈り物か。陽光を浴び目を細めた。北国シアトルの精彩に欠けた元旦しか体験してこなかった息子と娘にとって、この天気はあまりにも清々しい。真夜中に日枝神社から帰宅して睡眠を貪り、ささやかなおせち料理に舌鼓を打った後、羽田空港の展望台に来た。眩しい滑走路を滑り、やがて碧空に溶け込むように飛翔する銀色の翼たち。その光景を目の当たりにしながら、ゆるやかに流れる時間に心を浸す。帰りの渋谷行きリムジンバスでは、突如として車窓の外に浮かび上がる東京スカイツリーに息をのむ。高さ634メートル、隅田川を背景に「世界一の観光タワー」として君臨することが予想されるスカイツリー。2010。闇の中、灯りをともしたタワーが数字をくっきりと浮き彫りにし、新年の到来を高らかに宣言する。この塔が完成する2012年、私達はどこでどんな風に生きているのだろう。「見てごらん、きれいでしょ。」子供達をつつきタワーを指差すが、彼らは無表情だ。娘は空港のターミナルビル内で買った本「かいけつゾロリ」を貪るように読み、息子は軽食代わりに持参したメンチカツサンドを食べたげに凝視している。やれやれ。一人で窓の外の世界を堪能し、こみあげる想いの深さにたじろぐ。ああ、この瞬間、私は東京に恋している。東京はこんなにも温かく、こんなにも力強い。これまで綴ってきた「東京ダイアリー」は、実は東京へのラブレターだったのかもしれない。そしてそれは、未知の土地で私達に道しるべを築いてくれた人達一人一人への感謝の手紙でもある。

掲載:2010年1月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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