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第11回 東京ダイアリー(3) メトロの風景

著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

10月 X 日

「営団地下鉄の赤坂見附駅は永田町駅と通路で接続されていることもあって、朝夕は非常に混雑する。人の波は申し合わせたように同じテンポで動き、自分と同じ方向に向かう波に混ざると後は足を前後に動かすだけで入り口の階段に運ばれるように進む。」

私達家族が通勤・通学に利用するメトロ永田町駅

地下鉄での人間模様を描写した短編小説「明るい雨空」の冒頭を飾る文章だ。単行本を手に、笑みがもれる。永田町で生活を営む私は、まさにその経路を頻繁に利用している。今日もそうだった。赤坂見附駅から永田町駅まで、半蔵門線(「ハンゾウモン」なる言葉の響きが私は妙に気に入っている)のホームを通り、電車から吐き出された人達に背を押されるように前進するうち、永田町駅に辿り着く。(歩くのが遅い娘の手をぐいぐいと引っ張るようにして永田町への帰路を辿る夕暮れ時などは、この通路がとてつもなく長く感じられ疲労困憊する。)
不思議だ。シアトルで同じ本をひもといた時は精彩を欠いていた文が、東京の秋空の下、生活のぬくもりや息づかいを湛え、情景をくっきりと心に映し出す。永田町駅の出口近くで自動販売機が目に入るやいなや、「あのグレープフルーツのジュース、おいしいんだよね」と遠回しに催促する娘。改札口を前に、生まれて初めて購入した定期券をぎこちない手つきで、それでも少し得意げに取り出す息子。そして、機械的に足を動かす人、人、人。東京メトロの空気や匂いが行間から滲み出るようで、小説を噛み締めるように読む。「上智大学外国語学部除籍。」作家である鷺沢萌のプロフィールにはそうある。上智は我が家から近く、馴染みも深い。新宿通り。聖イグナチオ教会。キャンパス周辺を包む喧騒がよみがえる。彼女もこの界隈で青春のひと時を過ごしたのだ。彼女は十代で文壇にデビューし名声を獲得しながら、三十代で自ら命を絶った。その鷺沢萌も、かつてはテキストを小脇に抱え、人波にのまれながら二つの駅を繋ぐ経路を闊歩したのか。著者の辿った道が文章の背景に見え隠れする。断ち切られた人生への想いを馳せながら、幾度も読んだ物語に今一度、心を浸した。

10月 X 日

どこか、おかしい。丸の内のビル街で、有楽町駅へと続く地下道で、そして朝夕の満員電車で首を傾げる。周囲の勤め人を観察すると、男性陣と女性陣とでは大きな違いがある。男性の方は、明らかに年齢層の幅が広い。青年というよりは少年の面影を残し、心なしかネクタイが窮屈そうな新卒社員。孫の一人や二人はいそうな、貫禄に溢れるおじさま方。そして中間が、教育費の捻出に頭を痛めたり、家族サービスで遊園地に足を運んだりするのであろう三十代、四十代。彼らの背広姿の向こうには多彩な物語が見える。反面、女性陣はというと、実に一律的な顔ぶれといえる。ネイルサロンに通いつめたり、デート前に口紅の発色を吟味したりといったライフスタイルをほうふつとさせる女性が目立つ。つり革に掴り、口も利かなくなった高校生の息子を思案したり、鏡の前で発見した白髪に困惑したりといった年代の女性は、極めて少ない。その年齢層の女性は、「パートのおばさん」と哀しい名でひとくくりにされる職に就いている場合が多い。新聞の求人広告を眺めては溜息をついていた母の姿が脳裏を掠める。あの頃と日本は大して変わり映えしていないということか。昼休み、化粧室にずらりと並び歯を磨く女性社員達の、丹念にブローされ、つややかに光る髪を眺めながら考える。

10月 X 日

今朝も国際フォーラム沿いの地下道を丸の内へと真っ直ぐ歩く企業戦士達。日本はサラリーマンにより成立する国だと本で読んだが、頷ける。終身雇用が崩れただの崩れつつあるだのとはいうけれど、カイシャなる組織の重さに変わりはない。社歌を歌い、社訓を唱え、社内結婚をして、社宅に住む。自分も男なら、そんな日々を生きていたのだろうか。いや、私には無理だ。長髪をポニーテールに束ねて、耳たぶにピアスを光らせ、アーティスト気取りで生きる方がよっぽど爽快じゃないか。だが一瞬、考えて、かぶりを振る。芸術的な才能など私には微塵もない。異端児に憧れつつ、異端児として生き抜く勇気もない。似た想いを飲み込み、丸の内に向かって歩く人達もいるのだろうか。一家の大黒柱となることを社会的に期待されない女性の方が、選択肢に恵まれ幸福なのか。戦士達の肩をポンと叩き尋ねてみたい。カイシャに捧げる人生、空しくはないですか、と。「どっぷり漬かってこそ、カイシャのよさだってわかるというもんだよ。」気弱な笑みをつくろい、そう呟く人もいるかもしれない。日本を脱出して外国人と結婚し、会社員的な人生からはあえて距離を置いてきた私。そんな私が今やビジネス街の中心で、日本の企業社会を肌で感じる機会を与えられている。

廃校となった旧永田町小学校前でどこか哀しげに並ぶ、卒業生製作の人形たち。
(旧永田町小は、現在、別の学校の仮校舎として使用されている。)

10月 X 日

シアトルで渡航準備に追われていた頃、東京出身の友人達から、こぞって不思議がられた。「永田町?子供を連れて、あんな大人中心の町に住むの?」「千代田区?コンクリートジャングルだよ。」「自然があって、子供がのびのびと遊びまわれる場所を選べばいいのに。」確かに永田町はお硬い表情の男性が行きかう場所であり、子供は稀有な存在だ。(自民党本部の傍らにあった永田町小学校とて、悲しいかな、廃校の憂き目をみた。) 日曜日のマクドナルドでさえダークスーツの男性が陣取り、無表情でバーガーを頬張っている。それでも、私は永田町が好きだ。皇居をはじめ、国会議事堂や各政党本部、首相官邸、最高裁判所などが徒歩距離内にあり、散歩がてらに壮大な景観が堪能できる。それに、治安がすこぶる良い。恐れ多くも天皇陛下や総理大臣が「ご近所」にあたる訳だから、警備は厳重この上ない。随所で警察官が目を光らせ、一箇所で数人以上が勢揃いすることもある。子を守る義務がある母親として実にありがたい。

反面、生活の匂いが欠けることへの不満が尾を引く。夕闇の中、台所から漏れる灯のぬくもり。白い蒸気。キャベツを刻む音。そんなものは永田町の街並みにはそぐわない。それだけに、郊外を訪れるたび、ふと目に入る風景にほんわりと心を温められる。誇らしげに三輪車を漕ぐ子と、傍らで相好を崩す祖父母。「おはようは、朝のはじまり、いいきもち。」児童公園の掲示板に貼られたスローガン。ベランダに干された、うさぎの絵がついた布団。ミレニアムだのリッチビラだの優雅なカタカナ名が重々しく感じられる小ぶりなマンションには、穏やかで、そして力強い日常のドラマが溢れている。

観光バスもやってくる国会議事堂

バイオリンの先生のお宅を訪ねた土曜日、マンションのエレベーターで一緒になった茶髪の父親と4、5歳の男の子を思い出す。先にエレベーターに乗り、後から来た私達母子の為に扉に手をかけて待っていてくれた父親は三十そこそこだろうか。スーパーの袋を提げていた。「ママは?」男の子が聞くと、父親が微笑みかけた。「ママはね、仕事で遅くなるの。パパがご飯をこしらえてあげるからさ。」頼もしい声が響く。先に降りる時、「じゃ、お先に」と見知らぬ私に会釈をしてくれた。電車を降りて遠くに国会議事堂を眺めながら帰路につく道すがら、父子のやりとりを思い出し、2人の食卓にのぼったランチは何だったのかと、楽しい想像を膨らませた。カレーライスやハンバーグといったお子様メニューだろうか。それとも、意外と渋くて筑前煮だったりするのだろうか。帰宅した母親が、残り物をつまみ、「へえ、パパもやるじゃない」などと声を上げるのだろうか。凡庸な日常のシーンを後生大事に心の中で反芻する。大都会の裾野での無機質な生活で募らせる寂寥感の表れか。

スピーカーから放出される音声が静寂を突き破る。右翼団体のパレードだ。これもまた永田町の側面である。この界隈には政党本部に加え靖国神社もあるから、彼らにとっては絶好の地なのだろう。数百人にも及ぶかと思われる老若男女が歩行者天国まがいに車道を占領して行進する。「外国人に参政権を与えるな!」「夫婦別名は社会破綻をきたす!」「日本の未来を守れ!」チラシを配る。日の丸を振る。拳を振りかざし叫ぶ。「子供のために、日本を守れ!」

10月 X 日

こんな所に公園があったなんて。バイオリンのレッスンが休みになった土曜日の朝、息子を校庭での少年野球に連れて行った後、時間潰しに娘とぶらぶらしていた散歩道で、思いがけない発見に立ちすくんだ。「この辺に子供が遊べるような場所はありませんか。」そう尋ねるたびに、幾人もの人に苦笑交じりで言われたものだ。「大人の町ですからねえ。」だが、目の前に拡がるのは、まさに公園だ。スカートの裾を翻して飛び跳ねる娘の笑みが陽に映える。晩秋の陰鬱はどこへやら、夏の余韻がわだかまるとさえ感じさせる暖かさだ。ひとしきり娘を遊ばせて校庭まで戻る途中、パン屋の香ばしい香りに包まれ、たまたま居合わせた保育園の母親仲間と会話が弾む。校庭では別の母親達と輪を作り、他愛無い主婦の情報交換に興じる。H 店の肉が安いだとか、巨人の二軍選手が子供に野球の手ほどきをする教室があるだとか。清々しい光の中、ささやかな幸せを噛み締める。空はどこまでも高い。

11月 X 日

オレンジ色、と心で呟いてから、思う。いや、やっぱり橙色だ。あの夕陽にはそちらの語感の方がふさわしい。心地良い疲労感に包まれる黄昏時。ガラス越しに目を見張る。ほのかに空を染め、高層ビルの狭間に沈んでいく太陽。やがて闇が舞い降りる。次第に闇は濃くなり、みっしりと並ぶ高層ビルが高さを競い合う丸の内には無数の灯りが散りばめられ、マンハッタンさながらの夜景が繰り広げられる。東京も、季節によって、時間によって、無限の表情を覗かせてくれるから面白い。緑滴るシアトルか、乾いたコンクリートの街、東京か。どの地を選ぼうとも、自分の居場所を創り上げるのは自分自身でしかないのだ。

降り立つ永田町駅は、もったりと澱んだ空気が充満する。憔悴しきった表情で家路につく人々の波にのまれ歩く。11月に入り、風が晩秋の憂いを帯び始めた。だが、その憂いは華やかな宴の序章でもある。階段を上り地上に出れば、気の早いクリスマスの飾りつけが闇を照らす。年末年始をどう過ごそうか。計画を練りながら、東京での我が家へと足を早めた。

掲載:2009年11月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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